第9話:ひとつ、踏み出したら
週明けのホームルームで、担任が言った。
「今週末、地域のボランティア活動に参加してもらうことになった。清掃活動が主だけど、町のイベントと連動してるから、屋台の手伝いや案内係もあるぞ」
ざわつく教室。その中で、陽翔は「できれば参加しないで済む方法」を思案していた。
だが隣の席のさやが、言った。
「陽翔くん、もしよかったら一緒に屋台の係やらない? アリアちゃんも、私も手伝うって決まってるんだ」
「……俺が行っても邪魔になるだけだろ」
「そんなことない。むしろ、いてくれたら安心するよ。陽翔くん、結構細かいところ見てくれるし、なんだかんだで気がつくタイプだったから」
「記憶があるときの話、だろ」
「ううん。“今の陽翔くん”の話だよ」
そう言われて、陽翔は返事を詰まらせた。
(……俺が、今のままで役に立てるのか?)
それでも、断る理由が決定的に見つからなかった。そして何より――最近、ほんの少しだけ、「避けること」が疲れてきていた。
「……わかった。行ってみる」
小さな一言が、周囲の空気を変えた。
「やったー! ありがとう陽翔くん!」
「ふふ、じゃあ当日、一緒に行こっか」
さやとアリアが笑顔を向けてくる。その顔が、妙にまぶしかった。
──
週末。イベント当日。
陽翔たちは地域公園で、焼きそば屋台の準備をしていた。エプロン姿で材料を並べながら、さやがてきぱきと指示を出し、アリアが手際よく包丁を握る。
「陽翔くん、こっちの焼きそばのソース混ぜてくれる?」
「わ、はい……いや、分かった」
慣れない手つきで鉄板をかき回す陽翔。最初こそ焦げつかせてしまい、アリアにフォローされて赤面したが、徐々に手際が良くなっていく。
(……俺、案外こういうの、嫌いじゃないのかもな)
ふと、周囲から小学生たちが「お兄ちゃん、焼きそばうまい!」と声をかけてくる。照れながらも「……ありがとな」と返す自分に、少し驚く。
昼を過ぎると、クラスメイトたちも交代で手伝いに来た。
「お、陽翔! 焼けてるかー! やるじゃん!」
「お前、意外と屋台向いてんじゃね?」
何人かの男子に肩を叩かれ、からかわれる陽翔。だが、不思議とイヤな感じはしなかった。
(こんなふうに、笑い合うのって……いつぶりだろう)
──
イベントの終わり。後片付けの合間、陽翔は少し離れたベンチに座っていた。
そこへ、美月が水のペットボトルを差し出しながらやってくる。
「おつかれさま。今日は、すごく頑張ってたね」
「……別に、誰かの役に立とうなんて思ってたわけじゃない」
「でもね、そうやって関わろうとしてくれたことが、私たちには嬉しいの」
美月は、そう言って隣に座った。
沈黙。陽翔は、水を飲んでから口を開いた。
「……ありがとうって、今まで何回も言われたけど、今日は、ちゃんと嬉しかった」
「うん。私も、今の陽翔くんに“ありがとう”って言いたい」
並んで座る二人の距離は、まだ曖昧で、遠くて、でも――確かに近づいていた。
──
その夜。陽翔は帰宅して、スケッチブックを開いた。
今日の出来事を、なんとなく、絵にしてみる。
鉄板の上の焼きそば。笑顔のアリア。ペンを握る自分。下手くそで雑な線だけど、ページの隅に描かれた“焼きそば”は、なんだか輝いて見えた。
(……これでいいのかもな、今は)
少しずつ、自分の“現在”に意味を見出していく陽翔。
それは、記憶の有無とは別の――本当の人間関係の始まりだった。