第14話:笑顔の中に、君がいた
文化祭当日――校舎の廊下には、朝から生徒たちの笑い声が響いていた。ポスターや装飾で彩られた空間に、まるで学校全体が別世界になったような高揚感が漂っている。
2年B組の教室も、開場前の最後の準備で慌ただしかった。だがその中で、誰もが一つのことを気にしていた。
「……来るかな、陽翔」
美月が小さく呟くと、あおいが頷いた。
「信じよう。あいつ、昨日……“出たい”って言ったからな」
──
午前10時、文化祭がスタートした。校内に来場者が溢れ、各教室の催しも賑わいを見せていく。2年B組の出し物は、クラスみんなで企画した「幻想喫茶」。異世界をテーマにした内装は、かつての記憶をうっすら思わせるような不思議な雰囲気に包まれていた。
だが、陽翔はまだ姿を見せなかった。
時刻は11時。心のどこかで、誰もが不安になりかけていたその時――
「……失礼します」
静かな声と共に、教室のドアが開いた。
制服に袖を通し、少しだけ緊張した面持ちで立っていたのは、陽翔だった。
「陽翔……!」
美月が駆け寄り、思わず手を握る。
「よく来たね……!」
「……ああ。ちょっと、勇気いったけど」
彼はぎこちなく微笑んだ。その笑みに、教室中が一瞬止まる。けれど次の瞬間、誰かが拍手を始めた。
そして、それは徐々に広がっていく――
「よく来た!」
「待ってたぜ!」
「こっち来いよ、エプロンまだ余ってる!」
クラス全員が、彼を迎え入れるように声を上げた。
陽翔は、驚いたように目を丸くする。
こんなふうに、自分の帰りを待ってくれていた場所があることが、ただ、信じられなかった。
「……ありがとう」
ぽつりと、陽翔は呟いた。
その一言で、空気が変わった。
彼はエプロンを渡され、会場の一員として加わる。初めてのお客様にお茶を運び、緊張してコップを少し傾けたり、メニューを間違えて訂正したり――それでも、誰も責めなかった。みんなが自然にサポートし、笑い合っていた。
──
昼過ぎ。
喫茶の一角に、美月が用意していた“メモノート”が置かれていた。「思い出を書き残してね」という呼びかけの下に、来場者やクラスメイトたちが自由にメッセージを書いていた。
陽翔はふとそれに目を落とす。
ページをめくると、そこにはたくさんの言葉が綴られていた。
「陽翔くんの作った内装、最高だね!」「またみんなで何か作りたいね」「迷ったときは、またここに戻ってこよう」
最後のページに、美月の文字があった。
「陽翔くんへ記憶がなくても、関わりが浅くても、私はあなたと“今”を歩きたい。昨日の後悔より、明日の希望を信じてる。ようこそ、私たちの世界へ」
陽翔はページを閉じ、ふっと笑った。
「……俺、本当に帰ってきたんだな」
彼の手は、ノートの空いている隅にペンを走らせた。
「俺も、皆と同じ“今”を歩きたいと思った。ありがとう」
──
夕方。文化祭が終わりに近づき、教室の中は後片付けの空気に包まれていた。
陽翔は一人、窓際に立ち、夕焼けを眺めていた。
そこへ美月がそっと近づく。
「ねえ、今日……楽しかった?」
陽翔は少し考えたあと、ゆっくりと頷いた。
「うん。……たぶん、生まれて初めて“楽しい”って思ったかもしれない」
美月の目が潤んだ。
「……ありがとう」
「こちらこそ」
窓の外の空は、茜色に染まり、どこまでも広がっていた。
陽翔の胸の奥で、静かに何かがほどけていく。
それは、長く閉ざしていた心の檻が、静かに開いていく音だった――