第三十五話
突然姿を現した若き黒竜族長は、まさに神々しいまでの存在感を周囲に知らしめた。
陽光を凝縮したような輝く金色の髪、立ち姿は凛々しくも牡鹿のごとく引き締まっている。そして、精霊・流星と再び身を離した今、その瞳は見る者を惹きつけずにいられぬ真夏の蒼天の色へと戻っていた。
「ルーガ!」
不安から解放された喜びの声を上げたのは、ルーガに対していつも素直になれずにいるイオンであった。
ルーガは、左斜め前方にいる青い外套の男を感情の読み取れない表情で一瞥したあと、無言でイオンとユルグ老、そして、今は白髪になってしまっているが、見紛うことなき愛しの少女――ルシフェルカに歩み寄った。
ルシフェルカを守るため寄り添っていたイオンは、ごく自然にその場所を退きルーガに譲った。
「ルーガ……ルーガ。ルシカさんがルーエのために力を……それで――」
心の中で張りつめていた糸が一気に緩んでしまったのであろうイオンは、声を震わせながらルシフェルカの状態を説明しようとした。そんなうっすらと涙ぐんでしまったイオンにユルグ老が寄り添って肩を抱いてやり、ルーガは勇気づけるように微笑んだ。そして、すぐに表情を引き締めると、そっとルシフェルカの頭に手を差し入れ、腕の中に抱いた。
「ルシカ」
そう名前を呼ぶのが精一杯であった。
ルーガは歯を食いしばって湧き上がる強烈な感情を抑え込んだ。
腕の中のルシフェルカの柔らかな淡い栗色だった髪は哀れなほど白く色を変え、大量に吐血した後の顔色は寒気を誘う青さであった。それに、気を失いぐったりとしているというのに、少女の体のなんと軽いことか。ルシフェルカはもともと華奢ではあったが、空しさと恐怖を感じるほどに軽い。
「ルーエを助けてくれてありがとうな……」
ルシフェルカの血で汚れた口元を拭ってやり、ルーガは唇が触れそうなほど顔を近づけて囁いた。
「ルーガ様、黒竜族の設備では、ルシカさんを助けることはできませぬ」
落ち着きのある低い声でユルグ老が事実を告げると、ルーガは素直に肯いた。しかし、その次に返した言葉は意外なものであった。
「クリプトの大樹のもとにルシカを連れていく」
それに驚いたイオンの眉間に深い皺が刻まれた。ルシフェルカの治療を諦めたかのような提案が理解できないといったところであろう。
美少年に睨まれたルーガは手短に説明した。
「ルシフェルカはウォルド王国の神々の森にいたところを拾われたと言っていた。クリプトの大樹なら彼女に命を分け与えてくれるはずだ」
「神々の森か……」
あらゆる薬草や植物に精通している少年は、神々の森という名前で合点がいった、と、表情を和らげた。それはユルグ老も同じである。
「急ごう。これ以上話している余裕はない」 ルーガがルシフェルカを抱き上げ歩きだそうとした時だった。
「待て、――黒竜族長だな」
青い外套の男が引き留めた。しかし、ルーガは冷たい一瞥をくれただけで無視しようとすると、外套を脱ぎながら男から歩み寄ってきたのだ。
その不審な行動にあからさまな不快感をあらわにしたルーガだったが、冷たい目をした男が青い外套をルシフェルカの体にかけたことに、一瞬我が目を疑った。
「体温をこれ以上下げてはいけない」
「おい……」
ルシフェルカを挟み、ルーガは少女の様子を覗き込んだ男をまじまじと見てしまった。
彫像のように整った目鼻立ちは冷たい印象だが、気を失ったルシフェルカを見る灰色がかった水色の瞳は存外穏やかで、感情までは読み取れないが、悪意を感じることはなかった。
男は、ルシフェルカの顔を見てすぐに退いた。
「行ってくれ。ルシフェルカを頼む」
「言われずとも、そのつもりだ」
静かな、短いやり取りではあったが、ルシフェルカに特別な思い入れがある二人の男の間に、刹那の炎が見えるようであった。