34 ステージへ向かう
「まあ! さすがhikariね! 女性スタッフ用の衣装を着てもらったけど、文句なしに可愛いわ」
「俺が可愛いのは世界の理ですけど、ここに来てこんな格好をするとは……」
時刻は気付けば夕方。
空はマジックアワーというやつで、夕焼けの赤と夜の紫がプールサイドを幻想的に染め上げている。
俺はステージ出演者用の更衣室(もちろん男性用)で、自力でメイクをして浴衣に着替えたところだ。メイクの基本をココロさんに教わっておいてよかった。
新商品の冷たい抹茶ドリンクのコンセプトは、『夏に飲みたい日本の心』。
そのコンセプトに合わせて、スタッフはあえて水着ではなく、風情ある浴衣を選んだそうだ。
「俺の浴衣は、大人可愛い路線ですかね」
そっと俺は袖を持ち上げる。
奇しくも前に着たデザインとよく似ていた。
hikari用の飴色ウィッグは、連絡したらアメアメ社員の人がわざわざ届けてくれ、出来ないことはたぶんない会長がシニヨンにまとめてくれた。
シニヨンは以前ココロさんに聞いたところによると、『うなじ』を意味するフランス語が語源。アレンジの仕方が無限大なおだんご風のまとめ髪だ。
素人の急ごしらえといえばそうだが、総じて品よく可愛い。
帯でぎゅうぎゅうに圧迫された腹は苦しいが、これぞ日本の心だよな。
「会長もお似合いですね」
「そうかな? 君に褒められて嬉しいよ」
hayateモードで色男の流し目を食らう。
こちらも更衣室(もちろん女性用)から出て来た会長は、俺とは逆にウィッグを取って地毛であるショートの金髪を晒していた。
彼女も男性スタッフが着る予定だった、紺に青海波文様の浴衣を着ている。白い角帯は『貝の口』という結び方で、高身長な全身をパリッと引き締めていた。サラシ巻きのクオリティが高すぎて、相変わらずボリュームのある胸は跡形もない。
和服に金髪の組み合わせは意外なほどによくマッチし、涼やかな立ち姿からは色香も漂っている。
なんてこった死ぬほどカッコいい。
「こんな私と晴間くん……hayateとhikariがステージに現れたら、会場に死者が出るかもしれないわね」
「わりとガチであるかもですね」
俺たちはこれからステージ裏に移動し、ご当地アイドルの子たちのライブが終わるまでいったん待機だ。
雨宮さんたちはもう観客側にいるだろうか。
この急なお仕事案件については、雨宮さんには事情を包み隠さず話してある。雲雀と雷架には会長の正体だけ伏せて、いきなりhayateとステージに立つことになったとだけ説明しておいた。
なにも知らないのは薄井先輩だけで、会長と俺はどちらも疲労でダウンし救護室で休んでいる設定だ。
前情報など一切ナシに、hikari登場のサプライズを目の当たりにする先輩が案外一番幸運なのかもしれない。
「俺は雨宮さんにこそ、浴衣も着て欲しかったですけどね……」
「水着も浴衣も見たいなんて、欲張りなんだから」
会長にからかわれるが、見たいものは見たい。
どんな浴衣が似合うかなあ、雨宮さん。
「もっと暗くなったら花火も上がるわ。浴衣の雨宮ちゃんとじゃなくても、ふたりきりで見て頂戴。もちろん、役目を遂行してからね」
雨宮さん浴衣妄想で浮かれた脳みそに、グサッと釘を刺される。
花火は成功報酬といったところか。
「でも俺、新商品の抹茶ドリンクのことはサッパリですよ。いけますかね?」
「問題ないわ、あなたはいて微笑んでくれるだけで。ドリンクの詳細は成分表示まで頭に叩き込んだから、解説は私に任せて」
英才教育も受けてきた才女は頼りになる。
だが俺とてプロだ。可愛すぎる浴衣姿に加えて、hikariという存在の輝きだけで商品をアピールしてみせよう。
「ふふっ、盛り上がっているわね」
芝生エリアに設けられた簡易ステージでは、ご当地アイドルの女の子たちがマイクを手に歌って踊っていた。ファンも大勢来ているようで、オール立ち見の観客側からは合いの手や雄叫びが絶えない。
反して俺たちのいるステージ裏では、スタッフジャンバーを着た人たちが段ボールを抱えて行ったり来たりしている最中だ。
中身は配布用の抹茶ドリンクで、ミニサイズのペットボトルに緑色のラベルが巻かれている。俺たちも一本ずつ持たされた。
「次の曲が終わったら行くよ。準備はいいかな?」
「ええ」
完全にhayateモードになった会長に続き、俺もhikariスイッチをオンにする。
今から俺は、『世界で一番可愛い』と称される女の子。実はもう二番目ではあるが、可愛さには絶対の自信がある。
そんな俺の隣には今日、『世界で一番カッコいい』メンズモデルのhayateが並ぶ。
このふたりが揃って立つステージに、きっとここにいる誰もが魅了される。失敗などはあり得ない。
パチパチパチ……。
拍手に包まれながら、ラストソングを歌い終えたアイドルの子たちが下手にはける。
まだ照明はついたまま。
いよいよ出番だ。
「――hikariのお仕事、スタートね」
ヒラリと黒地の浴衣の袖を翻し、俺と会長はステージに上がった。