ゴールデンレトリバー
小説4巻が無事に発売されました。
本当にありがとうございました。
みんなで旅をして、王宮に戻ってきた私は、豪華な部屋へと案内されていた。
王宮と言えば、一階の角。日の当たらない一部屋で過ごしていた私には驚きの現状である。
一度、雫ちゃんの部屋へと訪れて、そのまま寝てしまった(ドラゴン酔いのせい)ことがあったが、あの部屋は雫ちゃんが聖女として大切に扱われていたことがよくわかる場所だった。
寝室のほかにリビング? 応接室? のようなものがあったし、調度品も豪華だった。日当たりも眺めも良かったしね。
そして、私は今、同じような所謂「いい部屋」へと通されたのだ。
なんと同じ階に王太子であるエルジャさんの部屋もあるらしい。いいのか。私がそんな好待遇で……。
困惑して、一度断ったのだが、「王太子殿下の乳母であるイサライ様にはこちらを使っていただかねば……」と案内してくれた人が泣きそうになっていたので、それ以上はどうもできずに、頷いて、今に至る。
「そもそも、乳母とは」
乳母になるとは一体どういうことなのだろうか……。
乳母スカウトをされ、王太子の乳母という立場を手に入れた私だが、結局、乳母がどういうものかピンと来ていない。
なので、思い切って、エルジャさんに聞くことにした。
幸い、同じ階にいるので、訪ねるのはすぐだ。
ハストさんにお願いすれば、すぐにエルジャさんに会えることになった。
エルジャさんが来てくれるということで、ハストさんと話をしながら待っていれば、ドアがコンコンと軽快にノックされ――
「シーナ君! どうしたのカナ?」
「あ、エルジャさん、聞きたいことがあって」
王宮へと帰ったエルジャさんは、当たり前のように忙しそうだ。さすが王太子。そして、衣装もちゃんとしたものへと戻っている。
旅で見ていた吟遊詩人的恰好はもうしない。安心の露出度の低さ。雫ちゃんも見て大丈夫。
私が一人で安心していると、エルジャさんは向かいの一人掛けのソファへと座った。
ここはいい部屋なので、こうして訪ねてきた人をもてなすことができるんだよね。
というわけで、さっそく、本題。
「乳母という話ですが、具体的にはなにをするものですか? 頭を撫でればいいということですが……」
さすがにそれだけで、こんな豪華な部屋に滞在していいとは思えない。
「いずれエルジャさんにお子様ができた場合、私がその子の乳母に……という感じですか?」
きっとそういうことだよね?
エルジャさんが結婚しているかどうかは知らないけれど、乳母というのは母親の代わり、あるいは母親とともに子どもを育てる人、というイメージがある。
だから、エルジャさんの『シーナ君をボクの乳母にするヨ!』という発言はエルジャさんの子どもに……ということだと思ったんだけど――
「まさか! ボクは結婚していないし、まだ子どもを作るつもりはないヨ!」
「はぁ」
「乳母にする、というのはそのままの意味サ!」
「ふむ」
つまり……。
「シーナ君にはボク自身の乳母になって欲しい」
なんでだ。
「エルジャさん……エルジャさんはいくつですか……?」
「23になったヨ!」
「……成人男性に乳母はいりますかね……」
いらない。
絶対にいらない。
「シーナ君。ボクはネ、一人でなんでもできる」
「へぇ」
「それは幼いころからで、乳母を必要とせずここまで来たんダ」
「ほぉ」
「でも、君に出会った。それはもう必然だと思っても不思議ではないのにサ!」
なんでだ。
「シーナ君は乳母という役割に不安があるのかもしれない。けれど心配することはないんダヨ」
エルジャさんは自信たっぷりに胸を張る。
そして、紫色の目でパチンとウィンクをした。
「――ボクにたくさんの愛を注いでくれればいいのサ!」
「あいをそそぐ」
それ、一番難しいやつ。
頭を撫でるということで了承したわけだが、愛を注ぐとは……。
そして、なんかグッと気温が下がった。
もしかして、ここは北極の上空……?
「これ以上、シーナ様にそのことを話すなら、突き落すぞ」
あ、ハストさんが座っていたエルジャさんの首を掴んでる……。
いつもみたいに木の棒を振り回さないのは、室内だから? こんな豪華な部屋で暴れたら、いろいろと壊れちゃうしね。
まあ、威圧感のすごさでハストさんが本気だとわかるよね……。
「ハストさん、大丈夫なので……」
そう。だから、その手を離して……。
こんな素敵な部屋を凄惨な事件現場に変えるのはやめよう。
「……はい」
私の言葉にハストさんがエルジャさんから手を離す。
良かった。王宮の五階から突き落とし! 王太子が潰れたトマト事件は回避された!
「ハハッ! 大丈夫だよ、シーナ君! ボクならここから落ちてもどうということはないサ!」
回避された……はずなのに、エルジャさんが高笑いをして、ハストさんを煽ってくる。
……あれだね。王太子様は自由だね……。紐なしバンジーも辞さない……。
「エルジャさん。エルジャさんは大丈夫かもしれませんが、私が心配になるので、やめましょう」
「シーナ君が心配?」
「はい。エルジャさんが落ちるところは見たくないです」
絶対に「ひぃっ」ってなるし……。
「そうか! シーナ君が心配してくれるんだネ!」
「はい」
「心配か!」
「はい」
「そうか!」
「はい」
エルジャさんがうれしそう。
……たぶん、心配されているのがうれしいんだろう。変な王太子様である。
なんだか、エルジャさんを見ていると、ふと友達が飼っていたゴールデンレトリバーを思い出した。
陽気で愉快で……。なにより、躾がしっかり入った賢い子だったな……。
「……エルジャさん。ちょっとお願いがあるんですが、いいですか?」
「なにカナ?」
エルジャさんが紫色の目を瞬かせる。
私はその目をみつめながら、そっと右手の人差し指を立てて、口元に持っていった。
「これは『静かに』の合図です」
「静かに?」
「人差し指を立てて、口を横に広げます。そして『シーッ』っと空気を出すんです」
「それで?」
「……これは私とエルジャさんの合図として使いましょう」
王太子様に対してあんまりである。
けれど、言葉で伝えるよりも、こういう合図を作ったほうがいいんじゃないかという気がしたのだ。
……友達のゴールデンレトリバーが、そう、教えてくれている気がする。
「ボクとシーナ君の合図か! それはいいネ!」
私のすごく失礼な提案に、それでもエルジャさんは楽しそうに笑った。
……そう! 自由で悪戯好きな子犬には、遊びながら躾を行うんだよね……!
「ほかにもいくつか合図を決めてみますか? 合図で通じ合えたら、一緒にごはんを食べましょう」
そして、褒めるときは、おやつやごはんを!
「シーナ君と遊んで、またシーナ君の料理を食べられるなんて最高じゃないカ!」
私の言葉にエルジャさんの紫色の目がうれしそうにきらきら輝く。
「じゃあ、今は『シーッ』です」
「わかったヨ!」
私の合図にエルジャさんが任せてくれ、と頷く。
よしよし。これでエルジャさんがハストさんを煽ることもなく、素敵な部屋が事件現場になることも回避された。
ありがとう、ゴールデンレトリバー。
ありがとう、日本にあふれていた子犬の躾に関する情報。
そっと手を合わせて、拝む。一件落着。
「シーナ君と二人だけの合図。これからもたくさん増やそうネ!」
エルジャさんはそう言うと、とってもうれしそうに笑った。
そして、感じたのは殺気。そう殺気。
「ボクはもう行かないといけないようダ。じゃあ、またネ!」
「あ、はい」
エルジャさんは本当に忙しいようで、ちょっと話しただけですぐに出て行ってしまう。
わざわざ来てくれたなんてありがたいことだ。乳母についてちょっとはわかったし、ゴールテンレトリバーを思い出して、幸せな気持ちになったしね。
そう。よかった。よかったはずなのに――
「……シーナ」
「は、はいっ!」
は、ハストさんから、ハストさんからの色気が……!! なぜここで色気?
たしかに、王太子様であるエルジャさんに、日本で子ども相手にやるようなハンドサインを教えたのは良くないかもしれない。
でも、エルジャさんとは知り合ったばかりだけど、身分とかよりも楽しいこと優先! というような人柄だ。
なので、大丈夫だと思ったんだけど……。
「ちょっとした遊びみたいなものだから、エルジャさんが楽しんでくれれば、問題にはならないと思って……」
慌てて言い訳のように告げると、ハストさんは私の隣へとそっと腰かけた。
「ああ。それは構わない」
「あ、よかったです」
良かった。よかったんだけど……。
「あ、あの、ちょっと近いような……?」
座る、場所が? あと、こう……抱きしめられて? いるような?
「シーナ」
「は、はいっ!」
「二人だけの合図、か」
「え、いや、それは、エルジャさんの言葉の綾かと……!」
はい。言葉の綾です。
なので……!
「待て、待てです……!」
私は必死に手を出し、ハストさんにてのひらを向けた。
これは『マテ』の合図。かわいいゴールデンレトリバーの子犬は一生懸命待ってました!
けれど――
「シーナ」
――まったくハストさんには通じず。
「~~~っ」
色気が止まりませんでした……。
新作書いてます。
「魔物をペット化する能力が目覚めたので、騎士団でスローライフします」
異世界転移でかわいい魔物とわちゃわちゃしてます。
台所召喚が好きな方ならば、同じようなテンションで楽しめるのではないかなと思います。
よろしければ。↓