すまき
椎奈視点です
どこかで……。
泣いている声がした。
これは……だれの声?
『どうして、ここにいる?』
『なんで、ここにいるの?』
声の持ち主はわからない。
けれど、その問いかけは私にも覚えがある。
私がこの世界にやってきたとき、何度も一人で考えた。
……日本から突然、異世界に召喚されて。しかも、巻き込まれただけだって言われて。
『なんのいみもないの? ここにいるいみは?』
……一人で何度も自分に問いかけて。
出た答えは、残酷だった。
――なにもない。
――私に意味なんてなかった。
でも、日本に帰ることもできなかった。
このまま、この世界で過ごすしかないんだって……。
『ずっと……ひとりなのかな』
王宮の小さな部屋。出てくる食事はぬるいスープと固いパン。
私も思った。
このままずっと一人ぼっちなのかなって。でも――
「――違うよ」
気づけば、そう答えていた。
今は一人かもしれない。
けれど……。
「大丈夫だよ」
小さな部屋のドア。
その向こうに私を待っていてくれた人がいた。
心配してくれた人がいた。
一緒に庭に出て、スキルのことを相談して……。王国の騎士なのに私の意思を尊重してくれて……。
私の作ったごはんを食べて、きらきらした目で笑顔を向けてくれた。
「泣かないで」
一人ぼっちじゃないよ。
きっと、優しさを分けてくれる人がいる。
「……泣かないで」
なんとかしたくて、そっと手を伸ばす。
すると――
「――ッ……え……?」
開いた目に飛び込んできたのは、紫色に染まった空だった。
……うん。そう。どうやら今までは目を閉じていたようだ。
今までのはたぶん……。
「夢か……」
きっとそうなんだろう。ちょっと変な夢だったなぁ。
昔を思い出して、私の胸も苦しくなってしまった。
「海に落ちて……それで……」
とりあえず、寝転がっていた状態だったので、上半身を起こす。
体の痛みを確認してみるが、苦しくないし、寒くもない。体は濡れているけど……。
近くにはパチパチとはぜる火があり、たき火をしているようだ。
「……助かってる?」
座ったまま、あたりを見回せば、どうやら海岸から少し上がった陸地にいるようだ。
島……かな?
たき火のそばには、木を組んだものに服が干してあった。
たぶん、ハストさんの服だ。
そして、どうやら私は簡易で作ったと思われる木のベッド? に寝ていたようだ。
「……ハストさんが助けてくれたのかな」
おそらく、たぶん、間違いなく、きっと。
すごくきれいな飛び込みを見た記憶がある。
こっちに猛スピードで泳いでいたような気もするし。
「さすが、ハストさん」
しっているか シロクマは およぎがうまい
「ッ――シーナ様!」
「ハスト、さん?」
ハストさんの泳ぎを反芻していると、背中側から声がかかった。
振り返れば、いたのは、もちろんハストさん。
どうやら島の奥で薪を拾っていたようだ。
薪を抱えたハストさんがこちらに駆け寄ってくる。
――上半身、裸で、
……いや、うん、わかる。
ここに服が乾かしてあるということは、脱いでいるってことだもんね。
濡れた服のまま活動するより、脱いでから活動したほうが体温の低下が抑えられるんだと思う。
でも、うん、ちょっとこう、目のやり場に……困るよね……。
「シーナ様」
「は、い」
あっという間に私のそばまできたハストさん。
ベッドに腰かけている私の足元に跪くと、手をそっと取った。
「申し訳ありません。シーナ様を危険な目に合わせてしまいました」
声がすこし沈んでいるような気がして、さまよわせていた目をゆっくりとハストさんに合わせる。
すると、その水色の目は心配そうに私を見上げていて……。
あ、もしかして、落ち込んでいる!?
「全然危険じゃなかったですよ! すぐに助けてくれましたし」
そう。海に落ちたけれど、私は無事。
今は無人島? にいるようだけど、木のベッドに寝かせてもらっていたしね。
私が眠っているあいだにハストさんが島の木を使って作ってくれたに違いない。
海に落ちて、無人島に流れ着いて、木のベッドで目を覚ます人間は私だけではないだろうか……。
さすがハストさん。キャンプ能力が高い。
「こんなことになったのも、特務隊長である私の責任です」
「いえ、それを言うならば、私が勝手に一人になったからで……!」
午前中に魔魚が出たばかりなのに、すっかり油断していた。
……うん。油断というか……うん……。
「シーナ様のことを港の者に聞きました。王宮のときのように、また嫌な目にも合わせてしまいました。『席はない』との発言があったようで、申し訳ありません」
「いや、それは本当にハストさんが悪いわけじゃなくて……。それに……あの、港の人も完全な嫌がらせでこういうことをやったわけではないというか……」
……ね。うん……。
できれば隠しておきたい事実を前に、ごにょごにょと言葉を濁す。
そんな私を見て、ハストさんは「大丈夫です」と力強く頷いてくれた。
「同じことが二度と起こらぬよう、港の墓標を立ててきました」
「みなとのぼひょう」
なにそれ、こわい。
「シーナ様は望まないと思いますが、こうして実際に危険な目にあった以上、やはりあの墓標を現実のものにするべきかと考えています」
「ぼひょうをげんじつに」
よし! この港をすべてお墓にするぞ! ということか。
ふむ、なるほど。
「墓標は撤去しましょう」
やめよう。墓標の実現。
「あのですね……私が一人で海に近づいたのは……、……すごく深いワケがありまして……」
「深い訳とは?」
「そうですよね……うん……」
聞くよね、それは。
「……あの、なんとなく、こう、ふわっと捉えて欲しいんですが……」
絶対に映像を想像したり、状況を考えたりはして欲しくないんですが……。
「その……あの、私が魔魚からエビにしましたよね。それを見られていたようで……」
「そうだったのですね」
「はい。それでまず『大変だ!』と思ったんです。スキルのことはもちろん、包丁のことだってバレるのは良くないに決まっているので。なので気を取られました。さらにその後なんですけど……」
言いよどむ私と、急かすことなく私の発言を待つハストさん。
私は一度、ゆっくりと深呼吸をして……。
片手で顔を覆った。
「港の女性たちは私が魔魚をエビに変えたとは思っていませんでした。ただ……その、私の様子を見て、『エビの前で包丁を手にして踊っている』と……。……そう思ったようなんです」
私はなにを言っているんだ?
「『海を見て、心を落ち着けたほうがいいよ』と心配されて、放心しているうちに、もう波止場に来ていました……。……っすみません、本当にだれも悪くなくて……っ私が……」
私のはしゃぎ方がおかしかったから……!
「海に落ちたときも、話せる隙があったなら、スキルを使って台所に行けば良かっただけなのに、気が動転していて、すっかり忘れていました」
ね。『ライフセーバーの手法』とか言ってる場合じゃなかった。
それを言えるなら『台所召喚』! と言えば、安全だったのだ。
今回はハストさんがいたとはいえ、海では声が出せないのだから、そういうところも気を付けないといけなかったのに、私は……。
「なので、墓標はやめましょう。その墓標は私に効きます」
自分のはしゃぎ方についての疑問が深く残ってしまいます……。
「レリィ君も今頃、落ち込んでいないですかね……。私が勝手に離れたのに、きっと自分を責めてますよね……」
レリィ君は宿でも私が休めるようにいろいろとしてくれたし、中央広場までしっかり護衛してくれていたのだ。
私が勝手に離れていまったのが良くなかった。
「……嫌な思いをしたのでは? 怖い思いは?」
顔を覆っていた私の手の上にそっと重ねられる手。
大きくて、力強いその手はあたたかくて――
「なにも……ないです」
嫌なことも、怖いことも。
なに一つなかった。
「ずっと楽しいです」
顔を覆っていた手を離し、ハストさんとてのひらを合わせる。
そっと握り、ハストさんの手の甲を私の頬に当てた。
「ハストさんがいれば、なにも怖くありません」
強くてあたたかい手にすりっと頬を寄せる。
すると、ハストさんはゴホッとむせた。
「――ッ、ん、……いえ、申し訳ありません」
ハストさんがそう言うと、いきなり、大きな声が響く。
「ずるい!!」
まさか私とハストさん以外にだれかがいると思わなかった。
急いで、ハストさんの手を離し、声のほうを見る。
すると、しくしくと泣き声もして……。
「ミカも……! ミカもさわりたい……」
「黙れ」
泣き声の要望を、即座に言葉で切り捨てるハストさん。
冷え冷えとした目線の先。
波打ち際に、その泣き声の持ち主がいた。
「え……?」
それは大人のようで、なぜかハストさんのマントで縛られていた。
でも、私が疑問に思ったのは、マントで縛られていたからではない。
胸したから腰のあたりで覆われたマントの境界線。その上下で造形が違ったのだ。
上半身は人間。下半身は……魚。
これは、そう――
「――すまきのにんぎょ」






