第40章 結びの光 (第一部完結)
ヨルダン・クイーンアリア国際空港に降り立った光とえま、そして陣内。
空港の外に出ると、肌を刺すような強い日差しと乾いた風が二人を迎えた。
「さあ、難民キャンプに入る前に、少し寄り道をしましょう」
陣内が手配していたSUVに乗り込み、車は南へと走る。向かった先は、砂漠の中にひっそりと佇む世界遺産——ペトラ遺跡だった。
深い岩の裂け目を歩き抜けると、突如として目の前に圧倒的なスケールの赤い岩肌を削り出した宝物殿「エル・ハズネ」が姿を現した。
「……すごい……!」
息をのむ光とえまに、陣内が静かに語りかける。
「ここは2000年以上前、機械も水もない砂漠で古代ナバテア人が岩を削り、独自の貯水システムを作って築いた街です。インフラがなくても、人の知恵と手仕事があれば命も文明も繋いでいける……それを二人に見てほしかったの」
感銘を受けた光は、ハルトから手渡された
「てんとう虫」をかざした。空中へふわりと浮かび上がったてんとう虫が、ペトラ遺跡をバックに笑顔を見せる3人の記念写真を撮影する。
◇
【日本の『結の郷』・事務所】
ピコン、とハルトの手元の端末が鳴った。画面を開いたハルトと仁は思わず声を上げた。
「うわっ! これって……映画『インディ・ジョーンズ』に出てきたあの聖杯の遺跡じゃないか!?」
「マジかよ! 光もえまも、陣内先生とめっちゃイイ顔して映ってるな!」
ハルトは写真の中の光が大切そうに抱え込んでいる白衣を見て、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
「光ちゃん、無事に着いたんだな……」
◇
【ヨルダン・難民キャンプ】
ペトラを後にした一行が到着したのは、シリア国境近くに広がる巨大な難民キャンプだった。
地平線の彼方まで見渡す限り続くテントと簡易ハウス。何万人もの人々がひしめき合い、砂塵が舞う圧倒的な光景に光とえまは言葉を失う。
「ここが、私たちの現場です」
簡易テントの診療所には、国境なき医師団をはじめ世界各国から集まった医師や看護師たちが汗だくで治療にあたっていた。CTも電子カルテもなく、限られた水と医療物資の中で命と向き合う極限の現場。
想像を絶する現実に固まる光とえま。
「ぼんやりしている暇はありませんよ!」
陣内の激に、光はハッと正気に戻った。
先端医療機器に頼れない環境で、光は陣内の指導を受けながら、自分の目・耳・手だけを頼りに患者の身体に触れ、正確な診断を下していく。言葉の壁を越え、必死に患者の手を握り締め、自分にできる最高の治療を施す光の姿は、すぐに現地スタッフたちの信頼を勝ち取っていった。
一方のえまも、西洋医薬品が枯渇する現場で本領を発揮していた。現地で調達できるハーブや生の生薬を巧みに組み合わせ、感染症の予防や傷口の処置、皮膚病の軟膏を作り出し、現地の医療チームを「この日本の薬剤師は魔法使いか!」と驚嘆させていた。
◇
【同じ頃——日本の『結の郷』】
郷の敷地内では、トントンカンカンと威勢の良い槌音が響き渡っていた。
源さん率いる宮大工軍団が、半年後に帰国する光と陣内のための「新しい診療所」と「陣内の住居」を急ピッチで建設していたのだ。1000年耐えうる伝統工法で組まれていく木造の診療所。
「光ちゃんたちが帰ってきたとき、いつでも最高の医療ができるように最高の建物を建ててやらなきゃな!」
職人たちも力が入る。
ハルトと後藤も大忙しだった。高梁市の爺ちゃんのブドウ畑の収穫や棚田の野菜の世話、薬草畑の手入れに汗を流す。えまの指示通り、収穫した薬草を干し、種類ごとに丁寧に仕分けていった。
◇
【半年近くが経過した『結の郷』・集会所】
光とえまがヨルダンへ渡ってから、半年近くの月日が流れた秋。
完成した集会所に、源さん、中島さん、佐藤さん、真田さんをはじめ、全国から集まった職人全員が勢ぞろいしていた。ハルトの横には、クリスと仁も立っている。ハルトはゆっくりと集まった仲間たちの顔を見渡した。
「10年かかりましたが、皆さんのおかげで、結の郷がようやくオープンできることになりました。本当にありがとうございます」
3人は深々と頭を下げた。
「そして……皆さんに伝えなければならないことがあります。皆さんが最初に私を見た時、全員が同じ表情をしていました。皆さんが見たあの夢は、世界の未来です」
ハルトは自分の知るすべての情報を話した。自分も同じ経験をしたこと、アメリカに行きトアや世界から集められた天才たちに会ったこと。そして、これから23年後に起きる楽園のこと、78年後に起きるインフラ停止と人類の存亡がかかる世界が待っていること。
会場は静まり返った。なぜこの結の郷を作り、全国から最高の手仕事を持つ職人たちに集まってもらったのか、そのすべてをありのままに打ち明けた。ハルトは深く息を吸い込むと、頭を下げた。
「皆さんに黙っていて、本当に申し訳ありませんでした!!」
ハルト、クリス、仁の3人が深々と頭を下げ続ける。一瞬の静寂の後——。
「社長!! 頭を上げてください!!」
「そんなこと、最初っから知ってましたよ!」
瓦職人の中島が声を張り上げた。
「現在あるにもかかわらず、ソーラーパネルを瓦で作りたいという依頼を聞いて確信してましたよ」
漆職人の小出も笑いながら続く。
「そうさね、普通瓦に漆なんて塗らない。社長は頭を下げて頼んできたし、それに尋常じゃない数ときてる。さすがに気づきますよ」
真田や山本も温かい目を向けた。
「社長は真冬に火鉢実験してたでしょう。俺が何故ダルマストーブ作ったと思う? 注射針もそうだぜ」
「そうです。私も医療用手袋の元を作ったり、注射器を作ったり……全部今売ってる物ですから」
ハルトの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「あ……ありがとうございます。皆さんがいなければ、俺は何も出来なかった……」
震えるハルトの肩に、クリスと仁が優しく手を添えた。ハルトは涙を拭い、言葉を続けた。
「あと、もう1つ大事なことがあります。これから結の郷がオープンし、全国から人が集まってきます。中には皆さんの仕事を学んでみたいという人も来ると思います。トアが認めれば、結の郷の仲間になります。そして皆さんには、若い人たちに技を継承していってもらいたいのです」
「あ、そういうことだったんですね」
井戸掘り職人の佐藤が大きく頷いた。
「はい。佐藤さん、あなたの技は水=命に直結しますので……ぜひ息子さんに継承してください」
「は、はい!! 分かりました! バカ息子ですが勘のいい奴なんです。しっかり教えます!」
「ありがとうございます。佐藤さんの仕事の展示は写真しかありませんので、やりたいと思う人が現れるか分かりません。息子さんのこと、よろしくお願いします」
職人たちの表情が変わっていく。ハルトの言葉が、全員の魂に火をつけていく。
「私たちの仕事は、未来への種を蒔くことだと思っています。インフラが止まる頃には、私を含め皆さんもこの世にはいないでしょう。けれど、未来の子供たちが迷わないように……その技を、心意気を、未来へ残してください」
ハルトの誠実な言葉は職人たちの心を一つにし、割れんばかりの拍手が巻き起こった。結の郷の絆は、誰にも引き裂けない固いものとなった。
◇
そして——ついにその日がやってきた。
空港でソワソワと待つハルトと後藤。
「ハル兄……ただいま!」
日焼けして引き締まった、たくましくも美しい光とえまが走ってきた。
「おかえり」
ハルトが優しく微笑むと、えまが後藤の顔を覗き込んだ。
「仁君。浮気しなかった?」
少し目を潤ませていた後藤が、照れ隠しに声を上げる。
「開口一番それかよ!」
ふたりが顔を見合わせて笑う。その後ろでは、陣内が温かい笑顔で見守っていた。
秋晴れの空の下、ヨルダンの過酷な環境で命と向き合ってきた光輝く小さな戦士たちが、ついに帰ってきたのだ。
◇
『結の郷』のオープン記念は来年の春に決まり、皆は大忙しで展示品などの準備を進めていた。後藤とえまは、高梁市の婆ちゃんからいなり寿司の作り方を教わり、腕を上げている。えまはお土産用のハーブポプリ作りにも大忙しだ。
そして——オープン直前。
三重の塔の中で、鈴木さん親子が想いを込めて織り上げた結城紬の白無垢を身にまとう光とえま。
「本当に綺麗ですね……ありがとうございます、鈴木さん! こんな立派な打掛、私、感激しちゃって……」
涙ぐむ光に、えまがピースサインを作ってみせる。
「あー! 化粧が落ちちゃいますよ〜! 私たちかなり焼けて黒くなったんだから、パンダ顔になっちゃいますよ〜!」
かたわらで着付けを手伝っていた若菜は、少し微妙な気分でそんなえまを見つめていた。
(……コイツに負けたのか……)
そこへ、紋付き袴姿のハルトと後藤が現れる。
「綺麗だ……光……」
後藤が光の白無垢姿を見て、じーんと涙ぐんだ。それを見たえまが、ぷくっと頬を膨らませる。
「ちょっと、嫁より妹ですか!?」
「お前も可愛いよ……おかめみたいで♡」
「なっ……!」
思わずぷっと吹き出す若菜。胸の中に残っていたさっきまでのモヤモヤは、綺麗に吹き飛んでいった。
◇
「あ! 花嫁さんが出てきたよ〜!」
春、桜が舞い散る『結の郷』。
紋付き袴のハルトと純白の結城紬を纏った光が、柔らかい笑顔で並んで歩いてくる。後ろには、少し照れくさそうにふくれ面をするえまと、ニヤニヤが止まらない後藤が続いていた。
「ハルトおめでとう。光ちゃんも綺麗よ」
美琴は、新しい命「空」を抱いている。
双子の陸と海も可愛いスーツ姿で立っていた。
「社長良かったですね。光さんもおめでとう」
3人の父になったクリスは、相変わらずイケメンで、親父臭くなっていない。
「ありがとうクリス、ミコ姉。これからもよろしくお願いします」
ハルトは、自分もクリスや美琴の家族のようになりたいと憧れている。
「おめでとうございます!」
「社長、後藤さん、おめでとう〜!!」
郷の仲間たちが、あたたかい祝福の歓声を投げかける。
「おめでとう、ハルト、光ちゃん」
ハルトの父と母が満面の笑みで立ち、後藤の両親も幸せそうに微笑んでいる。
「ハルトさん、光、そして仁、えまさん、本当におめでとう」
2組のカップルは車に乗り込み、岡山の歴史ある吉備津神社で格式高い神前式を挙げた。
そして披露宴は、結の郷の野外特設会場で行われた。
主役の2組が会場に姿を現すと、地鳴りのような歓声が上がった。
吉備津神社での挙式を終えた光とえまは、結城紬で作られた美しいドレス姿へ。ハルトと仁も同じく結城紬の白いタキシードに身を包んでいた。
ハルトや仁の両親、爺ちゃん、婆ちゃん。クリスファミリー。全国から集まった職人たちとその家族。誰もが心からの笑顔を浮かべている。
その時——ハルトの目が大きく見開かれた。
「え……!?」
人ごみを割って近づいてきたのは、マイケルをはじめとする世界の仲間たちだった。
「おめでとう、ハルト! 2人が結ばれて本当に良かった。結の郷も素晴らしい完成度だね!」
マイケルはまるで父親のように胸を張り、豪快に喜んでくれた。
「ハルト、良かったわね! 光さんドレス姿が、本当に素敵!」(ラファエラ)
「素晴らしい郷が完成したな! 結婚おめでとう、ハルト」(サリ)
「自分のことみたいにすっごく嬉しいわ!! おめでとう、ハルト!」(セラフィナ)
「光さん、お会いできて嬉しいわ。おめでとうございます」(ユリア)
「最高の気分だ!! おめでとうハルト、そしてえま!」(ガブリエル)
「ハルト、これからですね。お2人の未来に期待しています。おめでとう」(トア)
「み、皆さんが来てくれるなんて……っ!」
溢れ出る涙を止められないハルト。
「トア、みんな……今まで本当にありがとう。みんなのおかげで結の郷が完成したんだ。俺、これからも頑張るよ!」
桜の花びらが優しく舞う春の陽気の中、世界中の仲間と職人たちがごちそうを囲み、語り合い、笑い合っている。ハルトはその光景を焼き付けるように愛おしく見つめた。
(ここからだ。俺は、このみんなの笑顔を絶対に守る——)
そう心に深く誓った瞬間、隣に座る光がスッと自分の手を重ねてきた。
「一緒に、頑張ろうね」
花が咲くような最高の笑顔で、光が優しく微笑んだ。
【第1部 完】




