第24章 実験
トア・コーポレーション・ジャパン会議室。
クリスから緊急の呼び出しを受け、ハルトが慌てて部屋に飛び込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
室内に並ぶ全ての大型モニターに、世界各国の拠点にいるメンバーたちの顔がズラリと映し出されていたのだ。ハルトが呆気にとられていると、画面の向こうから一斉に声が降ってきた。
「ハルト、婚約おめでとう!」
「いやぁ、良かったなぁ〜!」
「本当に頑張ったわねぇ、ハルト!」
「光ちゃんとお幸せにね」
「無事に婚約出来て、本当に良かったですね」
マイケル、ラファエラ、ガブリエル、ユリア、サリ、セラフィナ――世界中の天才たちが、満面の笑みで拍手を送ってくれている。
(は?? 何故、昨日の今日で、あんな山奥での出来事が全員に知れ渡ってるんだ!?)
ハルトは頭が混乱し、完全にフリーズしてしまった。
「み、皆さん……何故それを……?」
おそるおそる尋ねるハルトの横で、クリスが説明し始める。
「あ、あの……実は昨夜のハルト社長の、あの非常に感動的なプロポーズシーンなのですが……トアから世界中の全メンバーへ同時に送られてきまして……」
必死に真顔を保とうとしているクリスだが、口元が完全に「ぷっ」と歪んで笑いをこらえている。
その背後から、肩を激しく震わせた後藤がニヤニヤと生温かい笑みを浮かべて近づいてきた。
「へタレなハルトにしちゃ、上出来すぎるくらい頑張ったよな。そっか〜、ついに俺の弟になるんだなぁ〜、ハ・ル・ト?」
「後藤、お前まで……っ!」
ハルトは一瞬で顔面から耳の先まで真っ赤になり、爆発しそうな羞恥心で頭を抱えた。
「み、皆さん、温かい祝福のお言葉、本当にありがとうございます! で、では、失礼しますっ!!」
それだけ辛うじて叫ぶと、ハルトは脱兎のごとく会議室から廊下へと飛び出した。誰もいない廊下で、天井の監視カメラに向かって吠える。
「トア!! 聞いてるんだろ! 何で録画までして世界中に送ってんだよ!?」
頭上から、いつもと変わらない淡々としたトアの音声が響いた。
『日本代表であるハルトの極めて重要な慶事ですから、世界全拠点で共有させて頂きました。それと、補足ですが、録画では無く【ライブ通信】にて字幕付き生中継致しました』
(ら、ライブだとぉぉぉぉ!?)
時差を超えて、世界中がリアルタイムで俺の「君ほど好きになった女性はいない」というセリフを聞いていたのか。ハルトのライフはもうゼロだった。
「アレは二人だけの大切な思い出なんだから、共有なんてしなくてイイんだよ! 今後は絶対、プライベートの監視は禁止だからな!!」
ハルトの必死の抗議に、トアはほんの少しだけ間を置いて、実にあっさりと返答した。
『……承知しました。では、不具合の解決策として、今から皆さんの脳の記憶領域から昨夜の映像データを直接【抹消】しましょうか?』
「はあ!? 怖いこと言うなよ!! もうイイから! そのままでイイから!!」
『分かりました』
トアが静かになったところへ、会議室からクリスが追ってきた。
「社長。世界各国の皆様から、個別で『婚約祝いの品』をこちらへ発送するとのことです。くっ……」
クリスはまだ、ハルトの真っ赤な顔を見て笑いをこらえるのに必死だった。
「もう、お祝いの話は禁止……!」
ハルトがガックリと項垂れたその時、ドカドカと豪快な足音を立てて、大工の棟梁・源さんが廊下にやってきた。
「おう、ハルト! お前に頼まれてたあの『インフラ無しの実験ハウス』が建ったぞ! しかし、クーラー入れないと熱中症になるんじゃないか?」
「え? アレは冬用の実験ハウスなんじゃ?」
「何言ってんだ、光ちゃんとの新居だろ? で、いつ引っ越しするんだ? 色男!! W布団は俺からの祝いじゃ!! ガハハ!」
(だ、だ、W布団だとぉ!?)
「げ、源さん! まだ結婚もしてないのに一緒になんて暮らしませんよ!!」
ハルトはアタフタと狼狽している。
クリスがスッと近寄り、
「源さん。冗談は、ほどほどに……。社長は世界メンバーからも祝福のお言葉を頂戴致しまして、もうメンタルが下がっておりますから……」
クリスは、昨日の配信を思い出して必死に笑いをこらえている。
ハルトは、すっくと立ち上がると宣言した。
「結の郷に行くぞ!」
――結の郷。源の建てたインフラ無しハウス。
中に入ると、木の香りと共にムアっとした暑さが押し寄せてきた。
「暑!!」
後藤が、たまらず窓を全開にする。
(サウナだな。外より暑いし、やはり夏は無理だということが分かった)
「源さん。お身体は、大丈夫ですか?」
「ガハハ!! 身体の鍛え方が違うからな。それに冷風機があるから少しはマシじゃ」
真夏の厳しい作業の中、冷風機を何台か用意して作業してもらってはいたものの、あまりの過酷さにハルトは反省した。これからは職人たちの健康を守るため、巨大なプレハブ内に冷暖房のクーラーを効かせた快適な状態で、工房を作ってもらうことに決めたのだった。
――そして、季節は巡り、真冬。
インフラ無しの実験ハウスへと再び赴く四人の姿があった。
「よし……。じゃあ、まずは昔ながらの日本の知恵、江戸時代スタイルを試してみよう。電気もガスもストーブも使わず、『火鉢と炭』だけで新見の冬を越せるか、みんなで実験だ!」
ハルトのその提案に、後藤が「面白そうじゃねえか。アナログサバイバルだな」と乗り、クリスも「データのサンプリングのため、私も同行します」と頷いた。発案者の源さんも含め、男四人は妙にノリノリで、結の郷の一角に建てられたインフラゼロの日本家屋へと乗り込んだ。
家の中は、当然明かりは点かない。
ろうそくの光が揺れる中、四人は部屋の中央に座布団を敷き、風情のある木製の火鉢を囲んで座った。パチパチと心地よい音を立てて赤々と炭が熾り、ハルトは「お、結構温かいじゃないか。やっぱり昔の人の知恵は凄いな」と笑っていた。
――しかし、そんな余裕があったのは最初の数時間だけだった。
夜が更けるにつれ、新見市の山奥特有の容赦ない極寒が、実験ハウスを襲い始める。
どれだけ火鉢に炭を足しても、部屋全体の温度は下がり続け、室温はあっという間に氷点下へと突入した。
「ガタガタガタガタ……っ! ふ、風情があるのは最初だけだよこれ!! 手先しか温まらない! 背中の感覚が無くなってきてる! コレ絶対凍死するやつだ!!」
ハルトは、涙目で叫んだ。
その時、見かねた源さんが重い腰を上げて立ち上がり、別室へと向かった。
戻ってきた源さんの手には、大きな紙の包み。そこにはでかでかと「祝」の文字が躍っていた。
「ここで死んだら元も子もないからな。使うぞ!」
ビリビリと容赦なく包装紙を破くと、中からふっかふかの「W布団」が姿を現した。
「じ、じ、冗談じゃなくて本当に買ってあったんですね……」
クリスが目を丸くして驚く。
結局、男四人はW布団に一列に並んで収まり、掛け布団をすっぽりと頭からかぶった状態で、小さな火鉢に手をかざした。
「クソが……ッ! 寒すぎて、ハルトのプロポーズをイジる心の余裕すら完全に消え失せたわ……! おいハルト、お前ちょっとそこ退け、俺が火鉢の正面に座る!」
後藤がガタガタと歯を鳴らしながら、大親友を本気で押し退けにかかる。
「おかしいのぉ……ガタガタ……ッ! 俺が建てた家は断熱性が完璧なはずじゃが……火鉢の火力が、新見の冬に圧倒的に足りんわ!! 職人のプライドが凍りつくわい!」
源さんもあまりの寒さに膝を抱えて丸まり、アイデンティティを喪失しかけている。
「……ハルト、社長……」
青白い顔をしたクリスが、ガタガタと激しく震えながら、液晶端末を見つめた。
「現在……全員の、心拍数と体温が……危険水準まで低下しています……。江戸時代の、暖房能力の……限界です。データ、の、採取は……終了、を……推奨……」
四人の男たちが一つの小さな火鉢に群がり、W布団をかぶって身を寄せ合い悲鳴を上げた、まさにその時――ガララッ!! と実験ハウスの引き戸が勢いよく開いた。
黒い塊を抱えた、救世主・鍛冶職人の真田さんが立っていた。
「おいおい、揃いも揃って愉快な姿で凍りついてやがるな。だから言ったんだ、時代を戻しすぎるなってよぉ!」
真田さんが床にドスンと置いたのは、昨日まで叩き上げていたという、重厚でどこか愛らしい鋳鉄製の「特製ダルマストーブ」だった。
そして、カバンから取り出した黒いダイヤ。良質な「石炭」を、ストーブの腹の中へ次々と放り込んでいく。
カチッと火がつけられ、数分後。
ゴオオオォォォ……ッ!!!
地響きのような頼もしい音がストーブから鳴り響いた。次の瞬間、部屋全体へ爆発的な熱波が押し寄せ、部屋の中は、まるで魔法のように、一瞬にして温もりに包まれた。
「あった、か、い…………っ」
ハルトたちは布団を剥ぎ取り、ストーブの前に這い寄った。ストーブの天板のヤカンからは、シュンシュンと湯気を立てて沸き始めている。
「火鉢と……火力が全然違う……!! 石炭ストーブ、すげぇ……!!」
ハルトはあまりの暖かさに涙を流して感動した。
「これなら……80年後、完全にインフラが止まったって、絶対に凍死しない」
後藤がストーブの赤い火を見つめながら、確信に満ちた声で呟く。
その後ハルトたちは、冷え切った体を温泉で温め、一同はラファエラたちが遺してくれたあの「天然ハーブ石鹸」で癒される。
ふわりと広がる、柚子と洗練されたハーブの清々しい香り。
インフラがなくても、科学と職人の技、そして石炭があれば、人はこんなにも暖かく、豊かに、清潔に生きていける。
――後日。モニターに映し出されたトアの分析映像。
『分析結果……人間は極寒環境下において、四名で密着することで体温低下を防ぐ行動を選択しました。非常に効率的です』
画面には、W布団に包まってぎゅうぎゅうに密着する男四人の姿がドアップで映し出されていた。
ハルトが間髪入れずに叫ぶ。
「そこだけ切り取るな!!」
それを見た後藤が、クリスにぽつりと一言。
「何か最近、トアとハルトが漫才みたいになってないか?」
「そうですね……いくらスーパー人工知能でも休まず働き過ぎかもしれませんね」
ハルトの大失敗から始まった実験は、結の郷の未来を完全に照らす、最高の確信へと繋がったのだった。
(第25章へ続く)




