第22章 癒しのある場所
結の郷。
棚田を背にして露天風呂を楽しむハルト・後藤・クリス・源。
「はぁ〜生き返るのぉ〜」
源は、空を見上げて腕を上げる。
「まさか、温泉が出るとは」
後藤も気持ち良さそうにしている。
「これで、インフラが止まっても安心して風呂に入れるね。やはり衛生面も大事だよな」
ハルトは、満足気だった。
そう。昨年の7月の事だった。
毎年恒例のマイケルの会議室での事。
入室すると、ラファエラが走って来て
「ハルト!貴方に又助けられたわ!」
‥とハグをした。
ラファエラの豊満な胸がクッションみたいに密着すると
「ら、ら、ラファエラさん!」
ハルトは、声が裏返り耳まで真っ赤になった。
「貴方が言っていた文字が読めなければ意味が無いって言葉を聞いて目が覚めた気がしたわ」
「本当だよな。」
ガブリエルもハルトに近づく。
ハルトは皆が近づいてきてくれて嬉しいものの恥ずかしさで、半ば挙動不審になっていた。
トアが皆に提案していたようだ。
「ハルトの発想力には毎度驚かされるよ」
マイケルも近づいてきた。
「マイケルさん。いつも助っ人を派遣して下さって本当にありがとう。こんなに早く進めませんでした」
「こちらこそ。採掘チームや配線チームの皆もハルトの心尽くしに喜んでいたよ」
ハルトは、ちょっと照れて
「俺では無く、後藤のお陰です。」
ハルトがちょっと照れくさそうに言うと、マイケルは穏やかに微笑んだ。
ハルトは一呼吸置き、ずっと頭の中で考えていた次の課題をメンバーに投げかけることにした。未来の楽園で、人々が健康に、人間らしく生きるためにどうしてもクリアしておきたい問題だ。
「えっと‥皆さんに質問があります。全てのインフラが止まったその時、一番怖いのは『感染症』や『衛生面の悪化』だと思うんだ。薬や医師がいたとしても予防出来るなら、その方がイイ」
ハルトは真剣な顔になり
「だから、身体を清潔に保つ為に自分たちの手で天然の石鹸やシャンプーを作れるようになれないかな?それも、日本だけじゃなく、世界中のどこの拠点でも、身の回りにある材料で簡単に作れるような‥」
ハルトのその言葉に、真っ先に目を輝かせたのはフランスのラファエラだった。
「素晴らしいわ、ハルト! 衛生と、そして心の潤いね!」
ラファエラは両手を合わせて歓声をあげ、ハルトに一歩詰め寄った。
「油と灰汁を使った伝統的な石鹸作り(けん化)や、植物由来の洗浄成分を活かした天然シャンプーの開発は、まさに私の『応用微生物学と伝統発酵保存学』の得意分野よ! 」
さらにラファエラは、続ける。
「現代の最高級オーガニック精油を大量に備蓄するのはもちろん、世界中どこにでもある植物や木灰を使って、お肌に優しくて最高の香りが立つ『世界共通の石鹸レシピ』をマニュアルにして皆さんと共有しましょう」
「それなら、僕の出番でもあるね」
ラファエラの言葉に続くように、ドイツのガブリエルが眼鏡の奥の目を優しく細めて微笑んだ。
「世界各地の身近な野生植物から、抗菌作用や皮膚の保護効果を持つ『薬草』を厳選して、石鹸にブレンドする組み合わせを調合しよう。僕のメディカルハーブの知識を使えば、ただ汚れを落とすだけでなく、皮膚病を防ぐ薬用石鹸がどこの国でも作れるようになる」
すると、イギリスのユリアもふわりと上品な笑みを浮かべて仲間に加わった。
「ええ、環境のことは心配しなくていいわ、ハルト。植物遺伝学を専攻する私の成果として、未来の厳しい温暖化や乾燥した土地でも負けずに育つ、暑さに強い特殊なハーブや柚子の改良品種の種を用意してあるの。世界中の長期保存庫にこの種子をストックしておくから、未来の子孫たちはそれを使って、いつでも豊かな香りと効能を持ったハーブ園を自分たちの手で育てられるわ」
ハルトは、胸の奥が熱くなるのを禁じ得なかった。
「皆さんありがとう。心強いです。あと、インフラが止まった後、お風呂のお湯を沸かすエネルギーが大変なんじゃないかと‥日本には温泉がありますが、皆さんの国にもありますか?」
ハルトの問いに、オーストラリアのサリが頼もしそうに腕を組んで笑った。
「もちろんだよ、ハルト。僕のオーストラリアには『大鑽井盆地(グレートアーテジアン盆地)』という巨大な地下水脈があってね。内陸の砂漠地帯でも、場所を選べば天然の温水を利用できる場所があるんだ。僕の水資源工学の技術を使えば、インフラが止まった後でも、不毛の砂漠の真ん中に最高の温泉オアシスをエンジニアリングしてみせるよ」
「カナダも負けていませんよ」
今度はセラフィナが自信たっぷりに微笑む。
「ロッキー山脈の周辺には、大自然に囲まれた素晴らしい天然の温泉がいくつもあります。私の専門であるパーマカルチャーのシステムと、温泉が持つ無限の地熱エネルギーを組み合わせれば、未来の過酷な寒冷地であっても、24時間いつでもポカポカの巨大な温室農園と快適な居住区を自給自足で作ることができますわ」
「ふふ、私のフランスも実は隠れた温泉大国なのよ?」
ラファエラがいたずらっぽくウインクする。
「南部のピレネー山脈の近くには、古くから『湯治』として医療や美容に愛されてきた素晴らしい温泉地がたくさんあるの。ハルトの言う通り、温かいお湯で体を清潔に保ち、心が潤うことは世界共通の幸せだわ。私が作った極上の天然石鹸を手に、フランスの温泉で未来の子孫たちをたっぷり癒やしてあげる予定よ」
「ドイツのバーデン・バーデンなどの伝統的な温泉保養地も有名だね」
ガブリエルが優しく眼鏡のブリッジを押し上げた。
「僕は自国の温泉の成分を徹底的に分析して、そこに僕のメディカルハーブを贅沢に投入しようと考えている。汚れを落とすだけでなく、免疫力を高めて病気を予防する『究極の薬草温泉』を各地の拠点に遺すよ。ハルト、君の発想のおかげで、世界中の拠点が『温泉とハーブの楽園』として繋がっていくのが見えるようだ」
メンバーたちの熱い言葉を聞きながら、マイケルが満足そうに深く頷いた。
「よし、話は決まりだ。トア、世界各地に建設中の『トア村』の敷地、およびその周辺の地熱データをすぐに解析してくれ。温泉が湧き出るポイントを特定するんだ」
『了解いたしました、マイケル。……解析終了。フランス、ドイツ、カナダ、オーストラリア、そして日本の全拠点において、安全かつ豊富な湯量を確保できる温泉脈を即座に特定しました。それぞれの拠点へ詳細な掘削データを転送します』
頭上に浮かぶホログラムの地球儀が、世界中のトア村の場所を優しく光らせていく。マイケルは頼もしい笑みを浮かべて端末を操作した。
「素晴らしい。すぐに私の方から、世界各地の採掘チームと配線チームを現地へ派遣しよう。ハルトが気づかせてくれた『衛生と心の潤い』を、未来のすべての人類に届けるためにね」
世界中の天才たちが、自分の問いかけをきっかけに、まるでパズルのピースがハマるように次々と未来の絵図を描いていく。
ハルトは、胸の奥が熱くなるのを禁じ得なかった。
(インフラが止まったって、世界中に温かいお湯がある。暑さに負けないハーブや柚子が育ち、ラファエラさんたちの知恵で、最高の石鹸が作れる。……これなら、未来はきっと大丈夫だ)
そう確信したあの会議から、約一年。
現代の結の郷の露天風呂。
「――おいハルト、さっきから随分と満足そうな顔してニヤついてるな。さては去年のあの、ラファエラさんの情熱的なハグでも思い出してたんじゃないか?」
「ぶっ……!!」
不意に横から飛んできた後藤のからかい半分の声に、ハルトは温泉のお湯を盛大に吹き出した。
「な、何言ってるんだよ後藤! そんなわけないだろ!し、しかし、ラファエラさんのレシピの石鹸とシャンプーは、本当に清々しい香りがするなぁ〜」
ハルトは、話をはぐらかそうと必死だ。
真っ赤になって慌てるハルトの横で、冷たい天然のハーブ水が入った湯呑みを片手に、クリスが静かに「にまにま」と口元を緩める。
「社長。顔だけでなく、耳までしっかり茹で上がっていますよ。やはり温泉の効果は抜群ですね」
「クリスまでからかうなよ!」
「ガハハハ! ええじゃねえかハルト! 人間正直が1番じゃ」
源が豪快に笑いながら、目の前に広がる結の郷の美しい棚田の景色を見渡した。山からは爽やかな風が吹き抜け、居住区のほうからは、早くも住人たちが植え始めた柚子の若い葉とハーブの心地よい香りが、温泉の湯気に混ざってふわりと漂ってくる。
ディストピアの足音が近づく世界の中で、それでも結の郷には、人が人らしく笑い、温泉に浸かり、語り合える時間が流れていた。
その温もりこそ、未来へ遺すべき、本当の『文明』だった。
23章に続く。




