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プロローグ3・掃除屋は運び、凡人は悩む

◇━◇━◇━◇━◇



 東京都、囲炉仔区、下水道。



「おーい、新入り!大丈夫か!?」


 薄暗い世界で黄色いヘルメットを被った清掃員らしき格好の初老の男の声が反響する。

 呼び掛けられた男もまた同じような格好で、顔色を悪くしながら下水に向かって吐瀉物を吐き出している。

 その様子に中年の方は溜息を吐きながらも面倒見が良いのか、膝を付いて後輩である男の背中を擦ってやっていた。


「まぁ誰でも最初はんなもんだ。俺だってショックだったさ」

「げほっげほぉっ……そ、うなんですか……?」


 腹に溜まった物を全て吐き出したものの、依然として顔色は悪いままの男が見上げながら尋ねると、初老の方は苦笑混じりに頷いた。


「応よ。俺の先輩、今の部長も、その先輩も最初はそうだったらしいぜ。あんなもん、普通に生活してたらまずお目にかかれないからな。まぁ、見ないに越したことはないんだが」


 そう言った初老の男の視線の先の下水には、何かが浮いていた。

 動く気配の無い物体が力無く水面に顔を出しており、水の流れに引き寄せられながらもパイプに引っ掛かって制止している。

 その物体が人であったことは確かだが、【誰】であるかまでは、ある1つの異変が原因で定かではなかった。


 水面に浮かんだ顔面が、()()()()いたのだ。


 相当な力で圧縮されなければそうなる筈がないと確信できるほど、小さく、コンパクトに。推定できる元の大きさの半分程度にまで、死体の頭は潰されていたのだ。


「俺もこの『仕事』何十年もやってきたけどよ、こんな珍しい殺した方は久しぶりに見るぜ。一体どうやれば人間の頭をこんな風にできるのやら」


 変死体を見慣れているのか、偽りのない余裕のある口調でまじまじと死体を見据える中年の男。対してその後輩の男は一瞬目にしただけで、やはり耐えられず下水を更に汚してしまうのだった。


「おいおい、まだ吐く物残ってんのかよ……ってもう、殆ど水だな。胃液か」


 汚水に汚水を吐き出すという、非生産的な行為を繰り返す後輩を甲斐甲斐しく看病する初老の男。



 そんな男二人だけの空間は、突然現れた一方的な光によって崩壊した。 


「!?」


 この下水道の担当は自分達だけだった筈。

 そう思い、仕事柄命の危険も無いとは言えない為、ズボンの後ろのポケットに偲ばせておいた拳銃に手を掛ける初老の男だったが、自分達を照らす存在の正体に気が付くと、慌ててその手を離すこととなった。

 

 暗闇に溶け込む黒スーツの男達。初老の男が態度を改めたのは、その中心に立つ優男の姿を見てからだ。

 優男といっても他の黒スーツの男達に比べればという話で鍛えていないといったわけではなさそうだが、それでもやはり周りの強面の男達に比べれば同じ印象は見受けられない。

 むしろ笑みを絶やさないその表情は一種の不気味ささえ醸し出していた。


「お久しぶりです、里中さん」

「こっ、これはこれは、青州(せいしゅう)会の。幹部殿がなんでこんな汚ぇ所に?」


 吐瀉物を吐き出していた男の方はよくわかっていない素振りだが、初老の男の方は明らかに年下の糸目の優男にヘコヘコと頭を下げている。

 其処から連想するのは当然、自分達“清掃屋”の上司という仮定だが、彼らの服装からしてどうもそんな感じはしない。

 しかし先程、先輩である初老の男の口から何やら聞き捨てならない単語が紡ぎ出されたような気がして、頭を巡らせる後輩の男。すると数秒と絶たずに疑問は再浮上して、再び男の顔が真っ青になる。


「ぐ、青州会って、関東で1番ヤバイ、や、ヤク━━」


 全部言いかけたところを中年の男の一瞥が止める。

 

 失礼があったら何をされるかわからない。それを理解しての戒めだろう。

 後輩の動きを目線だけで制してから、中年の男は深々と銀髪の男に頭を下げた。


「すいやせん。うちの若いのはまだ新入りでして。落とし前付けるなら私が」

「ははは、やだなぁ里中さん。極道(わたしたち)清掃屋(あなた)の仲じゃないですか。それに、一々そんな些細なことでトラブルにしたりしませんって。いつの時代ですか」


 若くして幹部と呼ばれた優男の対応はあまりに軽く、どうみてもヤクザというよりホストにしか見えない。

 これが冗談ならそろそろネタバラしをして欲しいところだったが、後輩の男の期待も虚しく初老の男はずっと腰を低くしたままで、彼の希望的観測通りにはとはいかなかった。


「で、その死体。うちに預けてくれますよね?」


 唐突に声のトーンが下がり、若き極道の細目に僅かに光が灯る。それも鋭い、反射した刃のような光だ。

 確かにこの威圧感はヤクザではないと出せまいと後輩が怯えながら勝手に納得しているのを他所に、初老の男は何やら歯切れ悪そうに若頭の問に答えるのを渋っていた。


「何です?何か問題でも?」


 それを怪訝に思った優男が尋ねると、初老の男は直前まで言おうか言わまいか迷っていた答えを喉から引き摺り出す。


「……実は、青州会本家の……碇組長からの仕事でして」


 歯切れの悪そうな声で言葉を紡ぐ初老の男の眼の前で、今度は優男の方が顔を僅かに顰める。

 自分が管理を任された領土で起きた恐らく極道絡みの殺人事件。

 それを揉み消そうと現場に出向いて見たところ、既に掃除屋は雇われていて、しかもその雇い主は()()()()()()()()()()()()()()()


「……」


 疑問よりも先に自分の管理する領土で勝手をやられたことに優男が渋い顔をして押し黙る。

 当然、場には緊張感が流れ、場馴れしていないヤクザの若者達も僅かに動揺している様子だった。

 初老の清掃員の男だけが唯一平静を保っていたが、それは一種の覚悟が決まっている表情にも思えて、後輩の背中にも冷や汗が垂れる。

 数秒。ほんの数秒、そんな冷え切った空気が続いて、一生開かないでのではないかとさえ周囲に誤認させた優男が口を開く。


「何故うちのお得意さんである貴方がたに碇の叔父貴からの仕事が?」

「さて。私達は『片付けろ』と言われた物をわけも訊かずに片付けるのが仕事ですから。碇組長相手でも、そのスタンスは崩したことはありません」


 肝の座った、破棄の篭った声だった。

 初老の男の堂々とした風貌に臆病な後輩は頭を抱えたが、対面していた優男はというと先程のように狐を連想させる笑みを浮かべていた。


「敵わないなぁ、里中さんには。初めてあった時から変わらない。ヤクザ怖がらないカタギとか、ほんと怖いですよ」


 まるで昔からの馴染みに語りかけるような柔和な声を優男は紡ぐ。

 確信は無かったが、2人のやり取りから鑑みるに実際そうなのだろう。

 下手に口を出すよりも黙っていた方がいいと目線だけを向けていた後輩の男だったが、その視線に優男の笑みが重なる。

 全身に鳥肌が立って何か言わないと身構えた清掃員の男よりも早く、男の手が清掃員の肩に乗る。


「里中さんに教われば貴方も僕達の友人ですから。まぁ仲良くしましょうよ、()()()()


 口調にトゲは無く、何もおかしなことは言っていない。

 だというのに清掃員の男の額には尋常ではない程の汗が流れ、やがてヤクザ連中が暗闇に消えていったあとも暫くは溢れ続けていた。

 硬直した体が漸く動き出し、先輩である里中の方を向いたとき、彼は静かに首を横に振っていた。


「こういう仕事を選んだ時から、いつ裏切られてもいいようにあの人達は全部調べてるんだよ。個人も、身内のこともな」

「そ、それって……」

「霜北。お前、あの組から金返したいってこの仕事選んだんだろ。ならさっさと稼いで辞めることだな。俺みたいにズルズルと続けると、蛇に睨まれて逃げれなくなる」


 力強く、里中の声が静寂な地下に響く。

 まるで今までも『同じこと』を何度も言ってきたかのような、精錬された口振りに霜北はやはり緊張感を捨て去ることができなかった。

 自分の前にも里中の仕事を手伝った者が居たそうだが、彼らが今どうしているのか、霜北は知らない。知りたいと思ったこともなかったが、彼はこの日を境にそのことについて考えるのを辞めた。








◇━◇━◇━◇━◇


 居炉仔町。あるボロアパートの307号室。



 来栖倭は困っていた。

 何しろ全て悪夢だと思っていた出来事が、朝目が覚め、初めて目にした物を見た途端、全て現実だったと理解してしまったからだ。


「……」


 四畳半ほどの小さな部屋。殆ど名前だけの水場有り、風呂場無し、ベランダ有りの生活空間に本来居てはならない存在が座っていた。

 寝ぼけ眼にもはっきりとその非現実性を見せつけてくる巨大な銀翼。

 倭は迫り来る頭痛に顔を顰めながら、目覚めたばかりの自分の目の前に座る性別不明の存在に声を掛けたのだった。


「あの……朝御飯、食べます……?」


 


 この顛末は実に単純明快である。

 名も知らない外国人に、行ったこともない海洋コンテナの中身を引き取ってくれと頼まれ、結局逃げるようにその中身を連れ帰ってしまった。

 此方から幾ら会話を試みようとも一切反応を見せない存在に倭は不気味な印象を懐きつつ、見た目の眉目秀麗さに心惹かれて邪険にも出来ず。

 何度か質問して返答が無いのを確認した後、1日の活動限界を迎えていつの間にか倭は眠っていた。その間、銀翼の存在が同じく眠りについていたかどうかは定かではない。



「……食べないん、ですか?」


 テーブルの上に用意された簡素な朝食。トーストの上にベーコンエッグが乗せられ、大変食欲が唆られる香りが狭い室内を充満しているが、依然として銀翼は反応を見せない。

 テーブルを間に挟んで倭と対面し、その顔をまじまじと翡翠色の瞳で見据えている。トーストに齧り付く姿を無表情で見つめられるというのは初めての経験で、倭の気持ちに羞恥心が芽生えて視線を逸らしていた。

 暫くして、朝食を食べ終えた倭がコップ一杯に注がれた牛乳を一気飲みしたかと思うと、銀翼に対して目を合わせられないまま何とか疑問を投げかけた。


「あ、あの。根本的なことからお伺いしたいんですけど……」

「……」

「あなたは誰ですか?」

「……」


 銀翼の存在は何も答えない。

 銀翼という異形を背中から生やしているものの、それ以外は顔や手や脚が生えた中性的な人間にしか見えない。しかし、彼もしくは彼女はまるで言語を理解するしない以前に倭の声など耳に入っていない様子だった。

 目の前の存在が確実な異形だと理解しながら、それでも倭は一つでも状況を整理する材料を見つけようと質問を紡ぐ。


「じゃぁ、青い目のロシア人に見覚えは?」

「……」


 銀翼を迎えに行けと倭に頼んだ男に関する問もやはり答えは返ってこなかった。

 何を聞いても終始無言。食べたばかりのトーストが胃の中で這いずり回るような不快な感覚に襲われながら、倭はふと立ち上がり、銀翼の横をやや緊張しながら通って外の景色に目を向ける。

 カーテンを開いた先に広がる世界。眼下に続く、朝日に照らされた道路には、昨日見た外国人の死体も血溜まりも何処にも存在しなくなっていた。 

 恐らく、警察ではないだろう。周辺でパトカーが騒いでいたともなれば『ボール』などのSNSで情報が出回っている筈。

 男の死体はそれらのSNSですら話題として持ち出されておらず、海洋コンテナから帰宅した後にはもう姿を消していた。


「あれだけのことを、あの短時間で隠蔽できるなんて……」


 昨日、倭が海洋コンテナに行って帰ってくるまで往復2時間弱。その間に死体と道路に付着した血液の処理を行うのが可能であるかどうか、そんなことはただの苦学生である倭には検討もつかない。

 ただ、もし誰かがあの死体を世間に見られまいと隠蔽したとして、何の騒ぎも起こさずに証拠を全て消したのだとしたら。

 それは間違い無くあの外国人男性に致命傷を与えた犯人、もしくはその仲間であり、必然的に男の死を見届け死に際の願いを聞き入れた自分が狙われることになるのではないか。

 悪い予感が頭に過ぎり、不安が足先から駆け上がってくるのを倭が感じたその時。

 

 ――不意にインターホンの甲高い音が室内に反響する。


「ッ!!?あ、だ、だめっ。隠れてっ!」


 外界からの干渉を受けた途端。室内に非現実的過ぎる存在が居ることを思い出し、慌てふためく哀れな青年。

 何とか銀翼の存在を何処かに隠そうと様々な思案を繰り返す倭だったが、漸く押入れの存在を思い出したところで理不尽にも外側から扉が開かれたのだった。


「お〜っ。ヤマトっち、朝だからって不用心だなぁ〜。チェーンぐらい掛けないと強盗が……って、あれ」


 主である倭の了承も受けずに室内に侵入して来たのは、緑がかった黒髪をした、一見小学校低学年ぐらいの外見年齢の少女であり、彼女は友人である倭が性別の判断の付かない美形の外国人を抱きかかえている様を目にして、自らの顎に手を添えて身勝手な感想を口にした。


「お邪魔出したかな……?」

「あーっ!待って!待って!」


 そのままムーンウォーク調で消えていきそうになる友人を止めるのに、大凡十分間、倭は朝の貴重な時間を使う嵌めになってしまった。




◇━◇━◇━◇━◇


「なるほど」


 約十分後。ある程度の説明を終えた倭の目の前には、本来銀翼の存在が食べる筈だったトーストに遠慮無く手を付ける友人少女の姿があった。

 彼女は口内に含まれたトーストを十分に咀嚼してから牛乳で喉に流し込むと、真っ直ぐな視線で含みのある言葉を口にする。


「で、何処までいったの?」

「話聞いてた!!?戸張さん!?」 


 素っ頓狂な疑問を投げかけてくる友人少女━━戸張だったが、彼女は案外素直に倭の作り話とも思える体験を聞き入れてくれた。

 見知らぬロシア人の遺言と消失。コンテナに閉じ込められていた銀翼の少女。何もかもがわからない現状。

 困惑しながら話したのにも関わらず、戸張という少女は全てを納得した上で再び言葉を投げかけてきた。


「まぁ冗談はさておき。いやぁそんなことがあるなんてねぇ。この翼、本物?」


 不意に手を伸ばして銀翼に触れる戸張。

 倭は銀翼の存在が不快に思うのではないかと心配したが、全くの杞憂だったらしく、触れられても別段反応することは無い。その様子が益々銀翼という非現実的物体を更にそうたらしめたが、本物であるかどうか確認する方法は何処にも無い。

 

「何も喋ってくれないんだよ……。昨日から、一言も」

「あれま。それは捜査が難航するわけだ」


 他人事のように適当な言葉を口にしながら戸張は腕時計を確認する。その針が朝の8時前を刺しているのを確認すると、思い立ったかのように立ち上がった。


「まぁいいや〜。それでこれからどうするの?警察?」

「分からない……まぁ、取り敢えず今日は大学休むよ。何やっても頭入らなそうだし」

「そっか」


 背負ってきたデフォルメされた猫の顔型リュックサックを再び背負うと、戸張は倭の返答に少しだけ寂しげな表情を残して玄関へと向かう。

 そのまま去るかと思えたが、戸張は不意に振り返ったかと思うと、一転した笑顔で親指を上げてグーサインを倭に向ける。


「まっ、私も管理者権限で調べとくから〜っ。来たくなったら学校来なよ〜っ」


 通り雨の様に一瞬で現れては消えていく騒がしい少女が姿を消し、倭の部屋が再び静寂に包まれる。

 銀翼の存在と並んで座っていた倭は戸張の去り際の言葉を何度も脳内で反復させ、少しして気が付いたように誰に向けてもいない独り言を口にしたのだった。


「そういえば、戸張ちゃんってボールの管理人なんだっけ……」


 

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