↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/3

第一章 第三話 窓際神官、雇用される

平民出の神官、ユーグ・リンデ。俺は今、依頼を断ろうとしている。

 クソ従者(エリオ)のせいでぶり返した怒りをどうにか抑えこみ、目の前のヤトゥリウスへ視線を戻す。


「……話は分かりました。つまり、あなた方は私を雇って、小宝珠を直接調べに行かせようというわけですね」


「そうです。お引き受けいただけますか」


 俺の苛立ちに気付かず、ヤトゥリウスは嬉しそうに顔をほころばせた。


 あまりに純粋そうな笑顔に、一瞬、怒りが揺らぎそうになる。いや、絆されるな。コイツは大貴族アルヴェオン家の次男坊で、俺は——俺は、しがない平民出の窓際神官だ。


「いいえ、お断りします」


 静かに首を横に振ると、ヤトゥリウスは息を呑んだ。


「な、なぜですか」


「私は窓際とはいえ、神官です。日々の勤めも、私に割り振られた仕事もありますから。……あの上奏文を評価してくださったことには感謝いたしますが、所詮は異端とされた思想です。あんなものを書いた人間などお雇いになっては、アルヴェオン家の名に傷がつきかねません」


 俺は居住まいを正すと、深々と頭を下げた。


「お役に立てず、申し訳ありません。この件は、無かったことに」


 沈黙が落ちた。


 クソ従者あたりが怒りだすのではないか——そう身構えていたが、なぜか何も言わない。


 静かだった。


 誰でもいいから、せめて呆れてため息をつくなり、怒って暴言を吐くなりしてほしい。


 けれど、静けさの果てに聞こえてきたのは、小さな笑い声だった。


「あなたは、本当に真面目な方ですね。伯父上のおっしゃった通りでした」


 そろそろと顔を上げる。


 ヤトゥリウスは、微笑んでいた。


「ひとつ、お伝えしておきます。家名のことなら、ご心配には及びません」


 微笑んだまま、ヤトゥリウスは穏やかに、けれどきっぱりと言った。


「アルヴェオンはそんなことでは傷つきません。それに、もし傷がつくことがあっても、それはぼくが負うものです。十五歳という若輩の身ではありますが、その覚悟はできています。あなたが気にすることではありません」


 その言葉に、俺は思わず口をつぐんだ。


 十五歳の少年が、家名の傷は自分が負うと、こうもあっさり言い切るとは。しかも、彼が背負っているのはアルヴェオン家——王国屈指の名門貴族だ。その重圧は、俺にだって想像できる。俺が窓際に追いやられたことで失ったものなど、彼が背負うものに比べれば、取るに足らないのかもしれない。なのに、目の前の少年は、それを当然のことのように引き受けようとしている……。


 ふと背後の従者に目をやると、笑みを崩さないまま、ほんの一瞬だけ視線を落としたように見えた。


 ……気のせいか?


 俺が黙っていると、ヤトゥリウスはそれを了承ととったのか、微笑んだまま再び口を開いた。


「実は、あなたをお連れしたのは、あの上奏文だけが理由ではないのです。……シルヴェウス伯父上の、強いご推薦があったからなのですよ」


 ……シルヴェウス?

 ……ものすごく、聞き覚えがある名だった。


 教会に属する者にとっては、ある意味アルヴェオン家より身近で、敬うべき御方と同じ名前だ——。


「ぼくらアルヴェオン家と対を成す、ニウェーウス家の当主。シルヴェウス・ニウェーウス伯父上のご推薦です」


 俺は危うくソファーから転げ落ちそうになった。


 シルヴェウス・ニウェーウス。

 小宝珠の守護を担う、ニウェーウス家の現当主だ。

 教会に属する者で、その名を知らない者はいない。


 そもそも、すべての小宝珠は、かつて初代ニウェーウスが作り出し、各地に置いたものだとされている。教会は、その管理と維持を任された組織でもある。


 つまり、教会にとって小宝珠は、守るべき聖物であると同時に、ニウェーウス家から預か

ったものでもあるのだ。


 教会最高位の大教主ですら、ニウェーウス家の当主に対しては、相応の敬意を払う。それほどの御方だ。


 俺にとっては、雲の上どころか、雲のさらに上にいるような存在である。


「……なぜ、シルヴェウス様が?」


 ようやく絞り出した声に、ヤトゥリウスは笑みを深くした。


「ぼくらにあの上奏文を見せてくださったのは、伯父上なのです」


 な。

 なんだって?


 シルヴェウス様が、どうやってあれを!?


「伯父上は、あなたのことを、とても高く評価しておられます。教会では、受け入れられなかったようですが……」


 あいた口が塞がらない俺に、ヤトゥリウスはそっと告げる。


「小宝珠について、誰もが疑わなかったことを疑い、実際に調べ、上奏文まで書き上げた。その姿勢こそ(・・・・・・)、今の我らに(・・・・・)必要なもの(・・・・・)である(・・・)、と」


 心臓が、どくりと鳴った。


 俺はずっと、自分が間違っていたのだと思おうとしていた。


 いや、正確には。


 間違っていたことにしてしまおうとした。そうすれば、楽になれたからだ。


 聖典にそう書いてある。

 教会がそう教えている。

 長年そうやって祈られてきた。


 なら、疑った俺がおかしかったのだと。

 ……そう思いこもうとしていた。


 けれど。


「シルヴェウス伯父上は、あなたなら今回の異変を調べ、何かを見つけられるかもしれない、とおっしゃいました。調査に同行させるなら、あなたをおいて他にはあるまい、とも」


 ヤトゥリウスは、真っ直ぐ俺を見つめていた。


「だから、ぼくはあなたにお願いしたいんです」


 胸の奥で、何かが静かに揺れた。


 小宝珠の異変。

 祈祷を続けているにもかかわらず、変化していく魔力。

 そして、かつて俺が抱いた疑問——結界の安定に、本当に祈祷が必要なのか。短縮可能、あるいは、不要かもしれないという推測……。


 もちろん、まだ何も分からない。


 俺の上奏文が正しかったと証明されたわけじゃない。小宝珠の異変が、あの時の疑問と関係しているとも限らない。


 それでも。

 もし。

 もしも、あの時の俺の疑問が——いや、そもそも、疑問を抱いたこと自体が間違いではなかったとしたら。


「……参ったな」


 思わず、額を押さえる。

 ここまで聞かされて断れる神官が、どこにいる?


 小宝珠に何が起きているのか。

 そして、あの時の俺の疑問は、本当に異端呼ばわりされるほど間違っていたのか。


 確かめられる機会が、目の前にある。


 知りたい。

 確かめたい。


 腹の奥底に渦巻いていた怒りや苦しみが、吹き散らされていくようだった。


 俺は姿勢を正し、ひとつ深呼吸をしてから、口を開いた。


「……分かりました。お引き受けします」


 ヤトゥリウスの顔が、ぱっと明るくなる。


「本当ですか! ありがとうございます!」


 身を乗り出さんばかりの勢いで礼を言われ、俺は思わず面食らった。


 そんなに嬉しいものなのか。


 ヤトゥリウスは、まるで長年探していたものをようやく見つけたかのように、嬉しそうに笑っていた。


 ……本当に、参ったな。

 こういう顔をされると、どうにも弱い。


 いや待て、ついさっき思ったばかりじゃないか——絆されるな、と。いいか、俺。相手は大貴族アルヴェオン家の次男坊で、こっちは窓際神官だ。身分も立場も違う。あまり気安く接していい相手じゃない。俺は雇われる側で、コイツは雇い主。それを忘れるな。


「それでは、明日の朝には出発しましょう」


「…………はい?」


 思わず首をひねる。


「ですから、明日の朝です」

「どこへ?」


 ヤトゥリウスも、不思議そうに首をひねった。


「……小宝珠の異変を調べに、ですよ?」

「…………」


 そういえば。

 さっき、何か言っていた。

 確か。


 ――調査に同行させるなら、あなたをおいて他にはあるまい、と。


 同行《・・》。


 その言葉の意味を、俺は今の今まで深く考えていなかった。


「……ちょっと待ってください」


 嫌な予感がする。


「まさか、あなたも行くんですか?」


「はい、もちろん」


 ヤトゥリウスは、にっこりと微笑んだ。


 いやいやいや、ちょっと、ちょっと待て。

 てっきり、俺だけが調査に派遣されるものと思いこんでいた。


「な、なぜです? アルヴェオン家は大宝珠守りであって、小宝珠は教会とニウェーウス家の……」


 ごほん、とクソ従者のわざとらしい咳払いが割り込む。


「そのあたりのお話は、極秘情報です。後ほどお話させていただきますので」


 ぐっ、こ、この野郎……! 後ほどっていつだよ!


 どうにも釈然とせず悶々とする俺に、ヤトゥリウスは無邪気に笑う。


「調査、がんばりましょうね!」

「うっ……、そ、そうですね!?」


 おい従者、いいのか本当にこれで!?

 俺のすがるような視線を受けて、クソ従者は、それはそれは楽しそうに笑った。


「あなたの休暇届なら、提出済みですよ。ご安心ください」

「不安しかないんだが!?」


 俺の叫び声が、貴族の屋敷に響き渡った。


 こうして俺は、アルヴェオン家の次男坊に雇われることになった。

 小宝珠に起きている、不可解な異変を調べるために。

 俺とヤトの、忘れがたい微行の始まりであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。