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未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――  作者: 勇者ヨシ君
第11章「大陸巡行――帰れない勇者」

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第197話「同じ花を咲かせない森」

 激しいガルヴァド戦から6日後、調査隊は森都(しんと)リュミエルの外縁へ着いた。戦いの翌日まで声が戻らなかったレイルは、今も長い会話を続けると喉の奥が乾く。右腕の炎症はほぼ治まったが、ミレアの許可は変わらず4件保持までとされた。


 アルドは背中の打撲と左腕の筋損傷で盾を持てず、ノアから「守護前衛が治療命令を守れるか」という査読を毎朝受けていた。環刃短杖は、ロッテの腰の部品箱に分解されていて、リィナの愛剣は、炉都から先回りする灰環便で森都へ送られる予定だった。


 腰にあるのは、ガルヴァド戦で刃を欠いた借り物ではなく、牙冠王の武器庫から借りた細身の片手剣である。誰も元どおりではなく、その状態で森の入口へ立つと、最初に見えた異常は、傷ではなく美しさだった。街道の両側に並ぶ木々は、全て高さが約18メートル。


 幹の太さも、枝が分かれる位置も、葉の枚数さえ似通っている。枝先には薄紫色の花が同じ数だけ咲き、風が吹くたび、同じ角度で一斉に揺れた。花びらが落ちる時刻まで揃っていて、1枚が落ちると、森の奥から外縁まで、ほぼ同時に薄紫の雨が降った。


「きれい……だけど、気持ち悪い」


 リィナが小さく言った。


「見た目だけなら、整備された庭園ですね」


 セレネは眼鏡の奥で枝の角度を追う。


「自然成長では、隣接木の光量、土壌、水脈、病害が異なります。ここまで一致する確率は、意図的な制御なしでは成立しません」

「木の魔力波形も同じです」


 フィアが記録板を見せた。


「測定した32本、樹液量も魔力密度も誤差0.2%以内です。問題はそこだけではありません。白環側の年齢記録まで、全て同じ値へ揃えられています」

「年齢まで? 見た目はどう見ても違うのに」

「はい。若木も古木も、表示上は全て樹齢86年。健康状態だけではなく、『最も望ましい年齢』そのものへ履歴を書き換えようとしています」


 実際には、細い若木も、何100年も立っていたと思われる太い根もある。それなのに白環表示は、最も健康な1本の状態へ全てを揃えていた。ニアが黒銀の猫型で地面へ降り、落ちた花びらを前脚で触る。


『花弁サイズ、色、魔力含有量、全部いっしょ。盛れてるっていうより、同じ顔をコピペした感じで怖いにゃあ』


 街道脇の白い杭が反応した。


【外形誤差を検出】

【不要形態:猫型】

【標準対話形態へ修正を推奨】


 ニアの耳がぴんと立つ。


『は? 猫型は不要じゃないし。省魔力・隠密・かわいさの三拍子なんですけど?』

「最後は機能ではない」

『使用者満足度に直結する重要性能!』


 杭から白い光が伸び、ニアの猫型を少女型へ変えようと輪郭を引っ張る。レイルはオムニアの遮断層を起動した。


「外部修正を拒否。ニアの形態は本人と使用者の選択だ」

『レイル、今のは高評価。あとで褒め札あげる』


 白い光が消え、森の奥から、弓を持った者たちが現れた。長い耳、淡い緑や金の髪、木と布を重ねた軽装。人間圏で【森人族(エルフ)】と呼ばれる種族である。

 ただし全員が似た容姿ではなく、肌の色も身長も、耳の長さも異なる。白環杭の影響を受けているのは、主に森と植物だった。先頭の女性が弓を下げる。


「猫の形を守った者が、未完の術師殿ですか」

「俺はレイル・アルヴァート。特殊結着調査隊として来た」

「森都側の案内役、エリアナです。ネフェラ様がお待ちです。ただし、街へ入る前に確認します。枯れた木を見て、治したいと言わないでください」


 クラリスの目がわずかに動いた。


「負傷や病害が明らかな場合でも、外から治療を始めないのですか。放置すれば悪化する時もあります」

「緊急時は別です。でも、長く生きる森では、傷や枯れまで生き方の一部になっていることがあります。本人が望み、周囲の森も受け入れるなら治療する。『健康だから正しい』を外から押しつけないでほしい、という意味です」

「理解しました。治療の申し出は先に行い、受諾を確認してから術式へ入ります。緊急例外も、こちらだけで決めず条件を共有します」


 エリアナはクラリスを数秒見てから頷いた。森都リュミエルは、巨大樹の枝と枝を橋でつないだ都市だった。地上には畑と工房、幹の中には倉庫と治療室、上層の枝には住居と会議場がある。

 透明な樹液を流す水路が空中橋の下を走り、鳥の羽を持つ住民や小柄な獣人も暮らしていた。ところが都市中心へ近づくほど、家の形まで似始める。窓の数は4つ。

 屋根の傾斜は30度。入口の高さは2メートル。曲がって育った枝は白い補強環で真っすぐにされ、節や瘤は「成長誤差」として削られていた。

 住民の服装までは統一されていない。それでも、木が作る生活空間が同じ形へ近づけば、置ける家具も、歩く経路も、住み方も少しずつ限定される。


「この木、前は窓が3つだったんです」


 案内役のエリアナが、同じ形の家を見上げた。


「祖母が、朝日が眩しいから東側を塞いだ。白環杭は、最も採光効率のいい家を基準に4つへ戻しました。祖母は今も、毎朝その窓へ布を掛けています」

「家を壊してはいない」


 クラリスが言う。


「でも、選んだ形は消した」


 エリアナは責めずに答えた。クラリスは言葉を返さず、その家の東窓を見て、花柄の布が1枚だけ垂れ、同じ窓が並ぶ中で小さな違いを守っている。エリアナが次の家へ進もうとした時、セレネが東窓の脇へ残る白い補強環に気づいた。


「待ってください。この環だけ、他より修正周期が短いです」


 眼鏡を押し上げ、セレネは壁際へしゃがむ。淡い金髪が肩から滑り、胸元の魔導演算石が細い光を返した。レイルも隣へ寄り、補強環の奥を流れる白環文法を覗き込む。


「家の傾きを直しているんじゃない。床の根まで基準位置へ戻してる」

「ええ。東窓を閉じたことで荷重が変わり、その差まで誤差扱いして――」


 言い切る前に、足元の生きた床が大きく脈打った。白環が、曲がった根を”正しい高さ”へ戻そうとしたのだ。


「セレネ!」


 彼女の右足が浮く。レイルは反射的に左手を伸ばし、まだ炎症の残る右腕を使えず、肩では支え切れない。セレネの身体を引き寄せる形になり、2人とも壁際へよろめいた。

 背中に柔らかな樹皮が当たる。セレネの眼鏡がずれた。顔が近づいた。

 避ける暇はなかった。


 二人の唇が、触れた。本当に一瞬だった。

 けれどレイルは、何が起きたのか理解するより先に、そこだけ妙に鮮明な温度を覚えた。転倒の衝撃も、右肩の痛みも、その瞬間だけ遠くなる。セレネの息が止まり、青紫の瞳が至近距離で見開かれていた。


 セレネが慌てて身体を離す。次の瞬間、彼女の周囲へ白い光が浮かんだ。1つや2つではない。

 淡い金髪の周りへ小さな光球が次々と生まれ、肩の上、耳の脇、頭上へ数えるのを諦めるほど増えていく。白環の均一な直線光とは違う。形も大きさもばらばらで、セレネ自身の魔力が感情の逃げ場を失って丸く弾けていた。


「セレネ……?」


 返事がない。いつもなら事故原因、接触角度、再発防止まで一息に並べる彼女が、今はずれた眼鏡へ指を添えたまま、何ひとつ言葉にできずにいる。頬だけではなく、耳まで真っ赤だった。


「怪我は――」


 そこまで言って、レイルは口を閉じた。(今、最初に聞くのはそれじゃない気がする)正解は分からない。それでも、いつものように安全確認へ逃げれば、今起きたことまで事故報告書の1行へ押し込める気がした。


「……ごめん。支えきれなかった」


 セレネの唇が僅かに動く。


「……事故、です」


 やっと出た声は、普段よりずっと小さかった。


「分かってる」

「分かっています。私も……分かっています」


 そう言ったのに、白い光球は減らない。


『接触時心拍上昇――』

「ニア」


 セレネが即座に顔を上げた。今度だけは声が戻る。


「表示しないでください」

『えっ、でも過去ログとの比較が――』

「しません。今回は記録しません」

『りょ、了解。恋愛データ、本人権限で非表示にします』


 レイルは思わずセレネを見て、感情まで測って名前を付けたがる彼女が、自分から数字にしないと言った。


「……何してるの?」


 背後から、リィナの声がし、振り向くと、数メートル先で彼女が立ち止まっている。腰の借り物の剣へ手は伸びていない。ただ、視線だけがレイルとセレネの間を往復した。


「違う、今、床が――」

「見てたから分かる。事故なのは分かってる」


 リィナはそこで一度言葉を切った。


「でも、事故って分かったからって、何も思わなくなるわけじゃないから」


 怒鳴らなかった。その方がレイルには刺さった。セレネはまだ赤い顔のまま、眼鏡を掛け直す。


「……私も、逆の立場なら不快です」

「不快って言い方、ちょっと固い」

「では、嫌です。かなり」

「……そっちの方が分かりやすいよね」


 2人の間に、妙なところでだけ理解が成立する。レイルは口を挟みかけてやめた。事故だった。

 それは事実だ。けれど、唇に残った温度まで”事故だから無かったこと”にするのは、何か違う気がした。その考えに気づいた途端、今度は自分の顔まで熱くなる。


『使用者、顔面温度上昇も記録対象――』

「おい、ニア」

『はい、黙りまーす!』


 エリアナは少し先で待ちながら、森都の案内役らしい慎重さで視線を外していた。ネフェラの根元へ向かうまで、リィナはレイルの右側を歩き、セレネは左側を歩いた。距離は普段とほとんど変わらず、なのにレイルには、両側が妙に近く感じられた。


 都市中心の大樹、その根元にネフェラはいた。人の女性に似た上半身と、幹へ続く下半身。肌には若い樹皮のような淡い模様が走り、深緑の髪には季節の違う葉が混ざっている。

 右側には春の芽、左側には黄ばんだ秋葉、後ろには枯れた小枝が1本。瞳は琥珀と苔色が重なり、目を閉じるたび、周囲の葉が少しだけ揺れた。彼女は森人族ではなく、森都と長い年月を共にしてきた長命樹精霊ちょうめいじゅせいれいである。


「戻ってきた旅人たち。初めましての者も、遠くから知っていた者も、よく来ましたね」


 声は柔らかいが、森全体の葉擦れが一緒に響く。


「私はネフェラ。この森を所有してはいません。長く話を聞いているだけの存在です」

「白環杭を抜けば、元へ戻るのか」


 レイルは表示と相手の顔を見比べて尋ねる。


「戻る木もあります。戻らない木もあります。既に削られた枝、同じ花へ変えられた種、根を移された若木。杭を抜くことは始まりで、事故前へ戻すことが答えではありません」

「杭の基準木は?」

「森の北にある若い1本。病害がなく、幹が真っすぐで、花付きが良い。その木の今を、白環は全ての正解にしました」


 セレネが根元へ測定環を置く。


「基準木に悪意はない」

「ええ。だから切れば済む問題でもありません」


 ネフェラはレイルの右目を見る。


「貴方は、完成を止める者だと聞いています。止めた後、違う形が生きられる場所まで作れますか」

「1人では作れない。森の住民と、木ごとの状態を聞く必要がある」

「良い答えです。時間がかかる答えでもあります」


 クラリスが一歩出た。


「時間をかける間に病害が広がる木もあります。正しい形へ戻すことで救える命もある」

「あります」


 ネフェラは否定しなかった。


「だから、貴女の力も必要です。ただし、誰の正しい形かを、その都度尋ねてください」

「尋ねる間に答えられなくなる者がいる場合は?」

「周囲の記録、本人が過去に選んだ手入れ、森への影響を見ます。それでも決められない時は、迷ったことを消さずに残します」


 クラリスは静かに頷いた。会議の後、調査隊へ樹上宿が割り当てられた。大枝から分かれた3つの部屋で、床も壁も生きた木が自然に作っている。

 部屋の大きさが均等でないため、フィアは人数と治療条件を照合して割り振ろうとした。


「大部屋6名、小部屋3名、根元治療室2名。男女別を優先すると、レイル、アルド、カインが小部屋。女性陣6名が大部屋。ミレアと負傷者1名が治療室」

「レイルはまだ夜間診断が必要です」


 セレネは測定表示から目を離さず告げた。


「測定環を大部屋との境へ置けば、一応は届きます。ただし、生きた壁を挟むので波形がかなり減衰します。夜間痛の細かな変化までは拾えないかもしれません」

「なら私が小部屋の前で寝る。廊下なら扉越しの音も聞こえるし、何かあったらすぐミレアを呼べる」


 リィナは当然のように言ったが、その提案を聞いたセレネが眼鏡を押し上げた。


「それ、廊下ですよ。寝床として数える場所ではありませんが」

「野営で岩の上に寝たこともあるし、ここの床は柔らかいよ。それにレイルが夜中にまた腕を庇って起きても、すぐ分かる」

「なら私も交代します。1人で見張る必要はありませんし、測定環の値も私が読めます」

「セレネは大部屋でちゃんと寝て。明日も術式解析があるでしょ」


 譲るような言葉なのに、リィナの語尾には微妙な棘があった。セレネも気づいているらしく、眼鏡の奥で目を細める。


「リィナだけが近くにいる合理的理由なら、私には見つかりません」

「幼なじみ。10年以上の実績ありだけど?」

「共同研究者。夜間痛の測定実績あり」

「またその肩書きで張り合うの? 共同研究者って言葉、便利すぎない?」

「便利だから使っているわけではありません」


 セレネが返した瞬間、耳の横へ白い光球が1つだけ浮かんだ。リィナはそれを見逃さなかった。


「……今日、その肩書きの説得力だけ妙に上がってない?」

「事故と夜間診断を同じ議題へ混ぜないでください」

「混ぜたくないのは私も同じ!」


 レイルは木の壁へ手を当てた。薄い壁の向こうには、ちょうど小さな空洞がある。


「壁に測定札を1枚だけ通せばいい。ニアが数値を大部屋側へ投影する」

『ニアちゃん、恋愛防壁兼バイタル監視役。仕事増えてない?』

「夜は猫型で寝ていていい。異常時だけ起動する」

『それならアリ。あと、廊下で寝る女子2名は絵面が切ないので却下』


 リィナとセレネが同時に黙った。ネフェラは少し離れた根から、そのやり取りを面白そうに見ている。


「同じ部屋へ揃えなくても、気に掛ける方法は幾つもあるのですね」

「本人が気づかない方法ばかり増えます」


 リィナが答える。


「さすがに、2人が俺を心配して言っていることには気づいている」

「そこまではね。じゃあ、その先は?」

「その先というのは、心配の理由が幼なじみと共同研究者だけではない可能性について――」

「分析に戻るなああああ! 今、答えに近づいたのに!」


 リィナが頭を抱える横で、森の葉が本当に笑っているように揺れた。夜、レイルは小部屋の窓から都市を見下ろし、月明かりの下でも、薄紫の花は同じ時刻に閉じ、同じ角度で枝へ戻っている。その中で、東窓へ花柄の布を掛けた家だけが、少し違う影を作っていた。


 オムニアの上では、猫型のニアが丸くなって眠る。白環杭は、その形を不要な誤差と呼んだ。レイルには、同じでない形を守るために何を止め、何を完成させるべきか、まだ答えがなかった。

 翌朝、森の北で、最も古い木の葉が1枚も落ちなくなったという知らせが届いた。


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