75教皇に敗れた者
「パシェ、ナイフありがとな」
俺はハンカチで血を拭ってナイフをパシェに返す。
「ん」
パシェは小さく短く返事をしてナイフを受け取る。
「大丈夫か?」
「ん?」
「腰のところ」
パシェの鎧をよくみると、腰のところがへこんでいる。
流石のパシェも全く攻撃を受けずに戦うということは難しかったようだ。
動きにおかしなところはないので、ダメージはなさそうだけど気にしておく。
「うん大丈夫。ちょっとかすっただけ」
「そうか」
顔は分からないが、平然としていそうな声のトーンだ。
頑丈な鎧を身につけているから、よほどしっかり当たらない限り鎧がダメージを吸収してくれる。
「エリシオの武器は?」
パシェが小首を傾げる。
俺の腰には剣の鞘が差してある。
なのに俺が剣を持っていないから不思議に思ったのだろう。
「あいつに貸してやったんだよ」
俺はアゴでペリフェのことを指し示す。
「優しいね」
「普通のやつはなんでそんな危ないことをした、馬鹿野郎って言うもんだけどな」
「そうだね、馬鹿でもある」
「そこは否定してくれないのか」
俺は思わず笑ってしまう。
替えもない状況で自分の大切な武器を渡すなんてマヌケの行為だ。
ペリフェには引いててもらって、俺が剣を使って戦うという選択肢も当然あった。
俺とペリフェが参戦するのと、俺だけが参戦するの、どちらが良かったかなんて結果論でしか語れない。
「ふむ、君が素手で戦っていた勇気ある若者だね?」
ポンと俺の肩に手が置かれた。
「ヒンシュタン枢機卿……」
驚いて振り向くと、そこにエリオルゴールがいた。
エリオルゴールは、エリシオよりも頭一つは大きい。
顔立ちに大きな特徴はなくて、優しい牧師といった雰囲気があるが、背が高くて下から見上げるとやや威圧感もある。
「エリオルゴールで構わない。堅苦しいのは苦手なんだ」
柔らかな笑顔を浮かべるエリオルゴールは、いかにも聖職者という雰囲気で怪しいところは今のところ見られない。
ただ強力な神聖力を持っていることは身をもって感じた。
ということは少なくとも人だろうとは思う。
「では、エリオルゴール枢機卿」
流石の俺も枢機卿を相手にするなら大人しくする。
「君は見たことない顔だが……聖騎士……悪魔祓いかい?」
流石に素手で魔物と戦う俺は、エリオルゴールの目にも留まったらしい。
「聖騎士……ですが、現在研修を受けている聖騎士の見習いとなります」
「ほう……あれだけ動けて見習いなのか。将来有望だな」
「お褒めに預かり光栄です」
エリオルゴールは目を細めて俺のことを見る。
ジロジロと観察されているようで、少し居心地が悪い。
「配属先は決まっているのか?」
「いえ、まだ聞いていません」
「どうだい、私のところに来てみるつもりはないか? 見ての通り護衛の聖騎士もいないんだ」
確かにエリオルゴールは一人だ。
枢機卿という重要な立場にいるのに、身辺を守る人もいないというのはおかしなものだと気づいた。
「良い待遇は約束しよう。なんなら……」
「すいません。そいつはウチで引き取る予定なので」
「おお、ゲルディット君。元気にしているようだ」
「いえいえ、元気がないので早く仕事を辞めたくてたまらないですよ」
「残念ながら君の管轄は私ではないからな」
スカウトされている。
どう断ったものかと思案していると、ゲルディットが話に割り込んできた。
「ウチで引き取る……ということは悪魔祓いにするつもりなんだね?」
「そのつもりです。ですのでご勘弁を」
「ならばしょうがないか。有望な悪魔祓いを私の元で腐らせるのはもったいないか」
エリオルゴールは少しの不快感も顔に出さずに笑顔を浮かべる。
「しかし悪魔祓いが嫌になったら私のところに来るといい。あまり危険なこともなく働けるだろうからな」
「……機会があったらお声かけさせていただきます」
俺は軽く頭を下げる。
悪魔祓いやめて楽な仕事しますなんてことはないと思うが、買ってくれてるなら一応選択肢も残しておく。
「それじゃあ失礼するよ」
エリオルゴールはそのまま聖騎士を引き連れることもなくその場を離れていった。
「面倒な人……とは言わないが、なかなかな相手に目をつけられたな」
「ヤバい人なんですか?」
エリオルゴールの名前はリストにもなかった。
あまり興味はないが、危ない人にも見えないし悪魔でもないだろう。
悪魔崇拝者の可能性は排除しきれないので、絶対に安全とは言い切れない。
「彼は十年ほど前に教皇に挑んで負けたんだよ」
「教皇に挑む?」
「殴り合いの喧嘩じゃないぞ。教皇になろうとして、失敗したんだ。まあ、運が悪かったな」
ゲルディットはやれやれと首を振る。
十年前は俺の生活もゴタゴタしていた。
そんなことがあったなんて知らなかった。
「あの神聖力を見ただろう? かなりの力を持っている。人柄もよく、人望も厚い。だが腹の中は野心で満ちている。そして教皇になろうとして現教皇に敗北したのさ」
悪魔に対抗する必要がある以上、教皇もしっかりと活動できる人である必要がある。
そのために死んでの世代交代以外にも教皇が代わる制度があるのだ。
エリオルゴールは教皇になろうとしたが、現教皇のモラフィエルを越えられなかった。
「彼の周りにいた聖騎士なんかは全員別の場所に飛ばされた。だから護衛もいない」
「なるほど。結構微妙な立場の人なんですね」
「まあ、ああなったらあとは粛々と生きていくだけだからな。昇進考えなきゃ、エリオルゴール枢機卿のところは楽に生きられるかもしれないぞ」
「休むのは死んだ時と悪魔と戦っていない時で十分です」
「ああ、それだけ休めば十分だろうな」
クレンシアは力の使いすぎで顔色も悪かったし、そのまま教会に運ばれていったようである。
ペリフェには剣を返してもらって、さすがにクレンシアもいないし解散ということになった。
俺はお菓子を買いに行った。
やっぱり遠征するなら心の癒しは欲しいと思ったのだ。
パシェも勝手についてきたので、疲れた体と脳を癒すために食べてたお菓子を分けてあげたりして餌付けした。
魔物騒動のせいで予想外に時間を食われてしまった。
お菓子を買った俺はさっさと部屋に帰って残りを睡眠に使った。
魔物も悪魔もいないなら休みの時間だからだ。
「ああ、もう疲れた……」




