第11章 砕ける理性 ― 再生の瞬間 ―
鷺沼は、不破が持ち帰った“柔軟性の設計”に向き合う。
反発の裏にあったのは、ずっと求めていた“許し”だった。
翌朝。
鷺沼はいつになく早く出社していた。
不破がまとめた新しい設計資料を、
何度も読み返していた。
紙面の隅には、見慣れない発想がいくつも書き込まれていた。
安全装置の自動補完、入力ミスの回復プロセス、
ユーザーエラーを前提とした分岐構造。
(……なぜ、こんな設計を?)
無駄のない美しさの中に、
確かな“温度”があった。
やがて、鷺沼は顔を上げ、不破に声をかけた。
「不破。ここはなぜ、こうした?」
「利用者が操作を誤っても、戻れるようにしたかったんです。」
「戻れるように? ……それでは処理が遅くなる。」
「はい。でも、“間違いをやり直せる”ということは、
利用者に安心を与えると思ったんです。」
「安心……。」
その言葉が胸の奥で小さく響いた。
「では、ここは? この分岐はなぜ必要だ?」
「これは、“正しい選択をしなかった場合”の対応です。
人は常に正確ではない。だから、次の選択肢を残しておくんです。」
カチ、カチ、とペン先が机に当たる音。
鷺沼の手が止まっていた。
(人は……常に正確ではない。)
長い間、自分が否定し続けてきた言葉だった。
だが今は、それがまるで正解のように思えた。
不破がゆっくりと、静かな声で言った。
「この設計は、アークシステムズの如月さんと凪さんに教えてもらったものです。
……もしよければ、一度オンラインで話してみませんか?」
鷺沼は少し驚いたように眉を上げた。
だが、その瞳にはもう拒絶の影はなかった。
「……わかった。準備を頼む。」
◇◇◇
午後。
オンライン会議が始まった。
画面の中には、アークシステムズのメンバー――
柊、凪、環、永峰、灯、そして不破が並んでいた。
柊が穏やかに言葉を紡ぐ。
「今回のシステムは、“完璧な正解”を求めるものではありません。
人が誤り、学び、また挑戦できるようにするための仕組みです。」
鷺沼は真剣なまなざしで聞いていた。
凪が画面を共有しながら説明を続ける。
「この分岐設計、最初は“無駄”だと思う人もいます。
でも、誰かがミスをしたとき、その“無駄”が命を救うことがあるんです。」
灯が優しく言葉を添えた。
「私たちは、できないことを責めるシステムではなく、
“もう一度やってみよう”と思える設計を目指しています。」
その言葉に、永峰が静かに微笑んだ。
「システムも、人も、何度でもやり直せる。
それが私たちの“柔軟性”です。」
鷺沼は画面越しに彼らの顔を見渡した。
誰も偉ぶらず、誰も争わない。
ただ信じて、支え合っている。
(……この人たちは、欠けたままでも光っている。)
沈黙のあと、鷺沼が口を開いた。
「……私はずっと、完璧だけが正しいと思っていた。
でも違うのかもしれない。
“やり直す力”を、システムに込めること。
それが、本当の強さなのかもしれない。」
不破はゆっくり頷いた。
「鷺沼さんのやってきたことは、間違いじゃないと思います。
ただ――他にもやり方があるということです。」
その一言に、鷺沼の唇がわずかに震えた。
胸の奥で、長く張り詰めていた氷が砕ける音がした。
それは痛みではなく、
静かな解放の音だった。
「……ありがとう。不破。
君たちのようなシステムを、私も作りたい。」
画面の向こうで、柊が柔らかく微笑んだ。
「ようこそ、鷺沼さん。」
その声は、まるで朝の光のように優しく、
長い夜を終えた者の胸に、静かに届いた。
砕けたのは理性ではなく、
完璧でなければ価値がないという思い込みだった。
光が差し込んだ鷺沼は、静かに再生へ踏み出していく。




