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若き筆頭聖騎士と変わらぬ執着 1

「くだらない」


 この帝国の若き筆頭聖騎士であるアーヴィン・ローイエンは、吐き捨てるように言った。


 帝都の皇城内、筆頭聖騎士に当てがわれた専用の執務室の中。


「まあ、そう言わないでください、古くからある慣例なのですから」


 冷静な口調でそう言ったのは、いかにも有能そうな中年男性、皇帝のそばで政務を補佐する宰相だ。事実この国の画期的な施策は、彼だからこそ実現できたものがいくつもある。


 その宰相が先ほど口にしたのは、次期皇帝即位の儀式である戴冠神聖式についてだった。



 三か月前、突如病に倒れた皇帝が治療の甲斐もなく、この世を去ってしまった。


 皇帝は皇女であったアーヴィンの母の兄、伯父にあたる。


 伯父は皇帝という重責を担いながらも、常に自分がこの国に対して何ができるかを考えている人だった。皇妃との間に子どもがいなかったせいか、甥のアーヴィンを実の息子のように可愛がってくれた。


 臣下の前では堂々として威厳のある伯父も、身内の前では気さくな一面を覗かせるので、アーヴィンは実の父であるローイエン公爵よりも伯父のほうに親しみを感じていたくらいだ。


 皇帝崩御の悲しみの一方で、国の安定のためには一刻も早く新たな皇帝の即位が望まれる。


 皇帝には後継者となる子どもがいないため、望むと望まざるとにかかわらず、帝位継承第一位は公爵家嫡男である自分だった。


 皇帝に弟がいればよかったのだが、三きょうだいで、母の弟でもある優秀で聡明な皇弟は、十五年以上も前に遠方の遠征先で若くして亡くなっている。未婚のため子供もいない。公には不慮の事故で亡くなったと発表されているが、本当は魔獣に襲われたのだ。

 

 訃報を聞いたとき、アーヴィンは当時まだ六歳だった。


 暗殺の疑いも持たれたが、叔父の体に残されたえぐるような咬み傷や深い爪痕、かろうじて生き残った護衛騎士の証言もあり、魔獣に襲われたことは明らかだった。



 叔父が命を落とす少し前のある日、アーヴィンは彼に会っていた。


 遠征先にいると聞いていたはずが、便りもなくふらりと姉である母のもとに顔を出したからだ。


 アーヴィンには詳しいことはわからなかったが、叔父はとある目的のため遠方に長期遠征に行っていて、その合間、一時的に帝都に帰ってきたらしかった。


 久しぶりに叔父に会えて、アーヴィンはとてもうれしかった。


 でもまさかそれが最後になるなんて、そのときは思ってもみなかった。


 きっと母もそうだっただろう。叔父の死後、その早すぎる突然の別れに、母は長い間悲しみに暮れていた。


『ああ、リック。もう会えないなんて──』


 叔父の名は”エーリックス”だが、身内では”リック”の愛称で呼ばれていた。特に母は、弟である叔父を子どもの頃から可愛がっていたため、喪失の傷はより深いようだった。


 皇帝も表では気丈に振る舞いながらも、裏では普段の姿からは想像もできないほど背中を丸め、打ちひしがれていた。


 皇帝と皇弟は誰の目から見ても、固い絆で結ばれていた関係だった。


 皇帝が心から信頼を寄せる相手であり、よき相談相手で頼もしい右腕、あらゆる面で皇帝を支えていた存在。しかし公の場を離れれば、冗談も言い、大人なのにくだらないケンカもするような兄弟だった。


 幼いアーヴィンも、彼らがお互いの肩を叩きながら気軽に笑い合っている姿をよく目にしていた。


 葬儀の場では、皇族に近い臣下たちが口々に『皇弟殿下が身につけておられた、あの指輪も見つからないとは……』『見つかれば、せめて形見になったでしょうに……』と言って、鎮痛な面持ちで嘆いた。


 それは皇族が身分を証明するための、特別なブルーサファイアの指輪。


 指輪には皇家の紋章がついている、とアーヴィンは母から聞かされていた。


 しかし、叔父の体は腕ごと魔獣に喰われている状態だったため、指輪を見つけることは叶わなかったそうだ。


 ただ、その話を耳にしたとき、アーヴィンは疑問に思った。


 あの日、叔父に会ったあの最後の日、叔父はその指輪を右手にはめていなかったからだ。


 でも指にはめていなかっただけで、上着のポケットに入れていたのかもしれないし、遠征を考慮してどこか安全なところに保管していただけかもしれない。


 ただ、叔父の手に指輪がなかったことを、自分だけでなく母も知っていたはずなのに、そのことに触れないのが幼いアーヴィンとしても疑問に思った。


 臣下たちが言うように、あの指輪があれば叔父を思い出す形見の品になったのにと思うと、見つからなかったのがとても悲しかった。




 当時のことを思い出すと、叔父を失った悲しみに、今でもアーヴィンの胸は痛む。


 そのうえ、ここに来て皇帝までも亡くなるなんて──。


 慣例では皇帝崩御は一年の喪に服すところだが、長期間の空位を避けるために、アーヴィンの気持ちはそっちのけで急ぎ即位の準備が進められている。


 アーヴィンは帝位など、一度も望んだことはない。


 戴冠神聖式は崩御した皇帝に代わって、帝冠と帝笏を次期皇帝に渡す役割を聖女が儀式上、務めることになる。


 だが今の時代、女性にわずかな神聖力があるだけでも希少だ。


 五百年以上前に、とある王国の聖騎士と聖女らによる命を賭した魔獣の大討伐を境に、魔獣の出現は激減。以来、わずかに出現はあるものの、その凶暴性は格段に弱まっていることから、人々は魔獣に対抗しやすくなった。


 国の要として、神聖力を保有する男性が担う聖騎士の存続は今でも維持される一方で、聖女の存在は絶えて久しい。


 なぜなら、かつて女性にだけ発症する奇病が流行った時代があったからだ。奇病には聖女の治癒もほとんど効かなかった。


 女性の数は見る間に減少。当時の皇帝は、魔獣が出現しても、女性である聖女は参戦させないという苦渋の決断をした。


 その後、奇跡的に奇病の流行がおさまったことで女性の数は回復したが、比較的平穏な時代が続いたこともあり、いつしか聖女の役割を担う者はいなくなっていた。


 そして聖女が存在しない時代になってからは、譲位の前に皇帝が崩御した場合、聖女ではなく、神官長が新たな皇帝へ帝冠と帝笏を渡す役割をずっと担ってきている。


 ただ今回は、節目となる建国五百年を迎えたのちに執り行われる初めての譲位ということで、本来の慣わしどおり、戴冠神聖式は聖女に務めてもらうべきだという声が神官長を発端としてあがったのだ。


 聖女に、戴冠神聖式を──。


 それこそが、アーヴィンが最も苛立っている原因だった。


 アーヴィンにとって、聖女はただひとりしかいない。


 薄水色の瞳と髪を持つ筆頭聖女のララフネス、彼女だけだ──。


 それがたとえ五百年以上前のことだとしても、決して変わることはない。


 しかしそれを理解できる者など、この時代にはひとりもいないだろう。


 ──アーヴィンは、初代皇帝アルトリウスの生まれ変わりだった。


 前世のアルトリウスの記憶も全てある。そのうえ、皇族とつながりのある公爵家に生まれたことが影響したのか、見た目もアルトリウスそっくりだった。


 かつての自分が祀られている初代皇帝の霊廟には大きな肖像画があるが、あまりに似すぎていて気持ちが悪いくらいだ。


 そもそもあんな肖像画を描くよう指示したことなどないというのに──。死後に描かれたらしいが、生きていれば全力で破り捨ててやっただろう。


 前世のアルトリウスは周囲から望まれ皇帝になったものの、結婚はせず、生涯独身を貫いた。


 後継者には神聖力を扱え、剣術に秀でた縁戚の男児を養子にして後世につないだ。今思えば意図せず、その男児はアルトリウスとよく似た容姿だったかもしれない。



 アーヴィンは窓の外に目を向ける。遠くを見つめ、ややあってから口を開く。


「──剣術と才知に優れ、臣下にも慕われ、民からも信頼される。そんな人間がいるとしたら、どうする?」


 背後に控えている宰相は思案しているのか、はたまたアーヴィンの次の言葉を待っているのか、黙ったままだ。


 独り言のように、アーヴィンはつぶやく。


「皇帝なら、俺よりもふさわしい者がいるはずだ──」


 宰相はわずかに眉を寄せ、怪訝そうにアーヴィンを見る。


 亡き皇帝の甥であると同時に、皇族の次に権力を持つローイエン公爵家の嫡男。優れた剣術と才知があり、おそらく臣下からも慕われている。加えて、この帝国の礎を築いた初代皇帝アルトリウスと同じ見目で、筆頭聖騎士までも務める彼以上にふさわしい人物がいるだろうか。


 宰相はそう思ったが、相手は答えを必要としていないように感じたので、口に出すことは控えた。


「──少し出てくる」


 アーヴィンは切り替えるようにそう言うと、部屋を出て行った。



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