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前世の約束 1

 ララは回廊の柱の陰から、素早く周囲を見回す。


 誰もいないのを確認すると、一介のメイドを装いながら、不審に思われないような足取りで皇城敷地内の回廊を進む。


 ララが今身につけているのは、丈の長い黒色のワンピースに、フリルがついた白色のエプロンだ。


 ワンピースは、皇城で働くメイドが着ている黒色のお仕着せになるべく近い見た目のものを、持参していた数少ない洋服の中から選んだ。

 メイドたちのお仕着せは職種によって多少デザインが異なるようだから、今着ているワンピースも間近でじっくり見られなければ多少は誤魔化せるだろう。


 ただ、さすがにエプロンは持ってきていなかったので、皇城の洗濯場と思われる建物へ行き、近くの干し場に干しているうちの一枚をどうにか貸してもらえないかと思いうろうろしていたら、新人の洗濯(ランドリー)メイドと間違われ、運よく予備のものを貸してもらえた。


 今両手に抱えているのは、丸めたシーツ。これでいかにも洗濯物を回収したメイドのように見えるはず。



 昨日、ララは聖女選定を受けるミリーとともに、選定が行われる光の間と呼ばれる広間に入った。


 すると、あり得ないことが起こった。


 祭壇に飾られていた銀製の酒杯(ゴブレット)、それを目にした瞬間、筆頭聖女のララフネスだった前世を思い出したのだ。


 ララフネスが死んでから、すでに五百年以上が経っていた。


「……わたしが救国の大聖女? 嘘でしょ? それにあの酒杯が聖杯として祀られているなんて──っ!」


 ララは恥ずかしさのあまり、悶えるように抱えているシーツの塊に顔を埋める。


「あり得ない! なんで! どうして!」


 前世を思い出したあと、ほかの令嬢付きの使用人や皇城で働いている使用人たちにそれとなく聞き込みをして、色々な情報を集めた。そして今ある記憶と照らし合わせると、ある程度のことがわかってきた。


 五百年以上前、筆頭聖女のララフネスが命と引き換えに神聖力を使い果たしたことで、あのときあふれていた魔獣は消滅したという。


 そしてその後、魔獣によって国が失われ荒廃してしまった土地に、魔獣の討伐隊で仲間だった筆頭聖騎士のアルトリウスを初代皇帝として、魔の森に接する大陸の北西一帯を治めるアリヴィウス帝国が建国されたらしい。


 まさか昔の仲間が皇帝になって、国を建国していたとは──。


「でも、そういうの好きじゃなさそうなのにね……」


 ララはぽつりとつぶやく。


 アルトリウスは、膨大な神聖力を持つ並外れた剣の使い手だったことから筆頭聖騎士という役割を担っていたが、権力や他人の評価には興味がなく、窮屈さを嫌うところもあって、率先して先頭に立って誰かを導く性格ではなかった。


「まあ、わりと自分勝手なところもあったしね」


 前世を思い出しながら、ララはくすりと笑う。


 よくアルトリウスとは意見が衝突して、けんかをした。でもそれ以上に彼のことは尊敬していたし、誰よりも頼れる仲間だと思っていた。


 おそらく仲間みんながそうだっただろう。


 自分との能力の違いを見せられ羨望する者、畏怖する者、最初はどんな感情であれ、接するうちに彼が口では散々「足手まといになったら捨てていくから」などと非情なことを言っていても、じつは仲間思いの優しい人で、最後の最後まで自分たちを見捨てたりしない人だと気づく。


 だからこそララフネスは、彼なら自分が死んだあともすべてを任せられると思ったのだ。


 そして、それは間違いではなかった。


 きっと彼が初代皇帝としてこの帝国を築いたからこそ、今の繁栄があるのだろうと強く感じる。


 それを思えば、ララフネスが命と引き換えにしたことは決して無駄ではなかった。


「それなのに──」


 ララは唇をぎゅっと噛み締める。


 前世のララフネスは、アルトリウスとの約束を破ってしまった。


『ねえ、ララ。すべてが終わったらさ、ララのために祝宴の妖精が魔法をかけてくれた、あの銀製の酒杯で一緒に飲もうよ』


『うん、だからさ、きみは赤ワイン、俺はとりあえず甘いリンゴ酒(シードル)で。ね、どう?』


『約束だよ』


 懐かしい彼の声が、ララのすぐ耳元で聞こえる。


 思わず、あのときと同じように肩越しに振り返る。


 そこにはあるはずのない、彼の満面の笑みが見える気がした。


「約束破ったって恨んでるかしら……、ごめん……。でも今、叶えるから──」


 ララは歩みを早めて回廊を進み、庭園を抜け、皇城敷地内の北西の一角にある霊廟へとたどり着く。



 白亜の大理石で造られた左右対称の霊廟。


 象嵌(ぞうがん)細工の花模様や幾何学模様の装飾で飾られ、四方には細長く伸びる尖塔が見える。まるで神殿のような美しさだ。


 警備が厳重な皇城内の霊廟ということもあるのだろか、ララが左右を見回した限り、見張りの衛士などの姿は見えなかった。常駐ではなく、巡回で見回っているのかもしれない。


 正面に見える大扉には、頑丈な錠がかかっている。


 ララは髪の毛からピンを取り外すと、その先端を錠の穴に突っ込んだ。


 男爵家ではミリーの嫌がらせで、部屋に閉じ込められたり、掃除のために一時的に預かる鍵を盗まれたりすることも多々あったので、いつの間にか錠前破りの腕前が磨かれた。


 器用に錠を外すと、大扉をそっと開けて廟堂内へと入る。



 見上げるほどに高い天井、広々としてしんと静まり返っている廟堂内を、ゆっくりと進む。


 真正面の壁に飾られているのは、アルトリウスの大きな肖像画──。


 斜め前を向き、あまり見たことのない澄ました顔で描かれているので、ララは思わず笑いそうになる。


 しかしすぐに懐かしさが胸に迫る。


「アス……」


 絹のような白銀の髪、切れ長の瞳にハッと目を引くほど鮮やかな発色のブルーグリーンの瞳。


 すらりとした長身だが、騎士らしくしなやかさと強靭さを兼ね備えた均整のとれた体をしていた。


 肖像画の下に置かれているのは、伝統的な黒檀の棺。


 棺の表面には、死者の魂を鎮めるかのような美しく繊細な装飾が見える。


 ララは棺に近づくと、両手に抱えている丸まったシーツを床に下ろしたあとで、無礼を承知で棺の蓋を開けた。


 想像したとおり、中は空っぽだった。


「まあ、当然よね、五百年以上も経ってるんだから……」


 半開きの棺の前に座り込み、シーツの塊の中から、隠し持って来たものを順番に取り出す。


 男爵令嬢のミリーが献上用に皇城に持ち込んでいた、上等な赤ワイン。


 皇城の酒の貯蔵庫から持ってきたリンゴ酒。


 そして、聖女選定が行われている光の間から拝借した、今や大聖女の聖杯だと祀られているララフネスの銀製の酒杯──。


 銀製の酒杯はその昔、親しくなった祝宴の妖精がお酒好きだったララフネスのために、杯に注いだお酒がおいしくなる魔法をかけてくれたものだ。


 とはいえ、あくまでただの酒杯なので、それが後世には聖杯などと呼ばれて祀られてしまうなんて。恥ずかしくて、どうしても受け入れられそうもない。


 城内で情報収集した中には、帝都の外れには大聖女ララフネスを祀った神殿まであるらしい。


 本来聖杯はそちらで保管されているのだが、聖女選定が行われている間だけ、一時的に皇城内の光の間に置かれているようだった。


 つい先ほど、酒杯を拝借しようとララが光の間に行ったとき、昨日はいた衛士や神官の姿はなく、なぜか大扉まで開けっぱなしになっていた。


 不用心このうえないが、ララにとっては都合がよかったので取り急ぎお邪魔させてもらい、酒杯を手にしてすぐにその場を立ち去った。


 ララは赤ワインを手に取ると、持って来たオープナーでコルクを抜き、酒杯にワインを並々と注ぐ。


 アルトリウスの肖像画に向かって酒杯を一度掲げたあとで、ぐいっと飲み干す。


「──ケチのくせに、かなり奮発したのね」


 お金にはうるさいコックニー男爵だが、ここぞとばかりに帝都に行く娘のミリーに上等な品を持たせたのだろう。


 空になった酒杯に、今度はリンゴ酒を注ぐ。


 それを半開きの棺の蓋の上に、そっと置く。


「……甘いかはわからないけど、皇城の貯蔵庫にあったんだから、少しはあなた好みなんじゃない?」


 ララは肖像画を見上げなら、彼に語りかける。


 ずいぶんと時間はかかってしまったが、これで少しは約束を守ったと思ってもらえるだろうか。


 ララは深く息を吐き出す。


 安堵すると同時に、ようやく彼を弔えた気がして瞳が潤んだ。


 そのとき、カタンッ、と背後で物音がした。


 ハッとして振り返る。



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