【番外編SS】メッセージカードと午後の来客
「──先生!」
ララは、客間に入って来た穏やかな顔つきの老婦人を目にした瞬間、すぐさま駆け寄り、抱きついた。
そんな子どものような態度を見せるララを、相手は優しく抱き留めてくれる。
「ララ、元気そうですね、何よりです」
「はい、このとおり、元気です」
見た目が変わってしまったララに驚くそぶりもなく、老婦人はいつものように抱きしめてくれる。
老婦人は、孤児のララを育ててくれた救貧院の院長だ。
帝都から遠く離れた、山間の小さな田舎町にある救貧院。
そこで、院長婦人はララたちのような行き場がない子どもたちに、我が子のようにいつも惜しみない愛情を注いでくれた。
ララだけでなく、あそこで育った子どもたちはみんな彼女のことが大好きだ。
ララは十四歳の頃、同じ町に居を構えるコックニー男爵家に住み込みで働き出したものの、お使いの帰りなどのわずかな時間を見つけては、救貧院に顔を出していた。
また微々たるものだが、限られた給金が出る度にララにできる精一杯の恩返しも忘れていなかった。
だからこそ、勤め先の男爵家令嬢のミリーに連れられ、住んでいる田舎町から遠く離れた帝都に行くことになったとき、救貧院の子どもたちに何かお土産でも買って帰れたらと思い、ありったけのお金を入れた財布を肌身離さず持っていた。
結局そのお金は、聖杯泥棒として疑われてしまったことで、帝都から逃亡する際にほとんど使ってしまったのだが。でもあのお金がなければ、あんな辺境の場所まで逃亡などできはしなかっただろう。
ララは院長婦人に、部屋の中央にある座り心地のよさそうな二、三人が座れる大きなソファをすすめる。
老いて細くなった彼女の腕をそっと取り、支えながら座るのを手伝ってから、ララも正面にあるひとり掛けのソファに腰かける。
ここは、ローイエン公爵邸に数えきれないほどある部屋のひとつ、わりとシンプルでこじんまりとした客間。
ララはひとまず住むところが決まるまではという思いで、アーヴィンのローイエン公爵邸に滞在させてもらっている。
先頃アーヴィンは、新たな皇帝に即位した前皇帝の弟の息子、元見習い聖騎士のテオから、引き続き筆頭聖騎士として任命された。
新たな皇帝が即位したばかりということもあり、まだまだ皇城内は落ち着かないようで、連日アーヴィンはかなり忙しそうだ。
ララが目覚める前に出かけていき、眠ったあとに帰ってくることもざらで、顔を合わせることができない日も多い。
それを寂しいと思うのは、まだほんの小さな小さな芽でしかないが、自分がようやく恋というものを自覚したからだろうか──。
油断するとつい彼のことを考えてしまいそうになるのに気づいたララは、ハッとして、顔を横にブンブンと振る。
院長婦人はわざわざ自分を訪ねて来てくれたのだから、と思い、目の前に意識を戻す。
ララは前世の記憶がよみがえったあとで、祝宴の妖精フィーの魔法がかかった酒杯に注いだワインを飲んだことで、神聖力を受け取り、髪と瞳の色までも前世と同じ薄水色に変わってしまった。
おそらく自分から名乗らなければ、田舎町にいた薄茶色の髪と瞳の平民のララと同一人物だと気づく人はほとんどいないだろう。
万が一にも皇帝となったテオの足を引っ張ることがないよう、過去のことは自分の胸の中に留めておくつもりでいた。
でもどこから調べ上げたのか、アーヴィンはララの過去を詳細に把握していた。
今朝目覚めたとき、ベッド脇のサイドテーブルの上に置いてあったのは、手書きのメッセージカード。
『午後に来客があるよ。妬けるけど、きみの大好きな人だ』
アーヴィンの字だった。
どういう意味だろうとララは首を捻りながら、落ち着かない気持ちのまま午後になるのを待っていた。
それがまさか、こんな驚きがあるなんて──。
「驚きました、まさか先生から来てくださるなんて──」
「ええ、わざわざアーヴィン卿が呼んでくださって。じつはつい先日、卿が帝都に新たな救貧院を用意してくださったので、ようやく子どもたちと一緒に引っ越しを済ませたところなんです」
「え──⁉︎」
ララは思いもよらない話に目を瞬かせる。
「ふふ、やっぱり知らなかったのね」
そう言って院長婦人が教えてくれたのは、帝都に新たな救貧院を設け、そこの院長として婦人を迎え入れ、さらに町にいた子どもたちも帝都に引っ越ししたらしい。
その新しい救貧院は配慮が行き届いた施設で、子どもたちが育つ環境としてもとてもよさそうだ、と院長婦人は顔をほころばせる。
「そうだったんですね、わたし、何も知らなくて……」
「こうしてあなたに会いに来られたのも、卿の計らいです。会えてよかったわ、ララ。帝都へ行ったと聞いていたコックニー男爵令嬢が戻られたというのに、ともに向かったあなたは一向に帰ってくる気配がないんですもの、あなたの身に何かあったのではと……。でも男爵家を訪ねても何も教えてもらうことができず、とても心配していたのです」
「すみません……」
「いいんです、こうして無事な姿を見せてくれたのですから」
院長婦人は穏やかに微笑む。彼女のそばは無条件に安心できる。それは彼女が持つ独特の雰囲気によるものだ。どんなに心が荒れていた子どもでも、気づけば心を開き、笑みを見せるようになる。
院長婦人の微笑みにつられるように、ララにも笑みがこぼれる。
そこで、はたと気になった。
「そういえば、コックニー男爵家ご令嬢のミリーさまは、その後どうされていますか? 聖女選定では神聖力がないと言われて、かなり激怒されていたのですが……」
「──えっ! ええっと……、どうかしら……? 私は詳しいことはよく知らないの」
あまり取り乱したところなど見たことがない院長婦人が、なぜか急にしどろもどろになる。
ララは首を傾げる。
「コックニー男爵一家は、相変わらずなんでしょうか?」
『相変わらず』というのは、あの男爵家の横暴さとがめつさは町でも有名だったからだ。
本来は救貧院を援助する立場のくせして、いつも難癖をつけてそのお金を出し渋っていた。
それにララが知るだけでも、ワインを水増しして有名産地のラベルを貼って偽物を売り出したり、役人を脅して自分の商売を優先的に扱うようにさせたり、裏で色々と悪どいことをしていた。
すると、院長婦人はまた「──え!」と声をあげて、視線を左右にさまよわせる。
「先生?」
「あ、そうね、あまりよい行いをする方々ではなかったですが、そうですね、没落してこの国を出たとかなんとか……」
「え、そうなんですか⁉︎」
この返答にはララも驚く。ララが去ったあとに、いったい何があったのだろう。
しかし院長婦人はあたふたした様子で、
「いえ、私もよくは知らないのよ! ララも知ってのとおり、私は世間のことには疎いですからね。もうあの町には……、いえ、もうこの国にはいない、ということだけしか……」
「そうですか、でもこれで町のみんなも安心して暮らせますね」
逆らえないことをいいことに横暴を繰り返す人間がいなくなったのだ。町のみんなも喜ぶだろう。
本当はと言うと、それはララが裏からなんとか手を回してできないかと思っていたのだが……。
男爵家の当主執務室にある鍵付きのキャビネットの中には、これまで男爵が行なってきた不正の証拠が数多く保管されている。
それを手に入れさえすれば、あとは皇城でそれなりの権限のある顔見知りになった執務官なりにお願いして、不正を暴いてもらうこともできるかもしれない、そう考えていた。
きっと前世のララではそんな考えは持てなかったが、今のララはこれまで置かれてきた境遇もあり、それなりにたくましくなっている。
でもララが手を下すまでもなく、すでに天からの罰でも下ったのかもしれない。
その後、院長婦人との楽しい会話はあっという間に過ぎた。
ララは名残を惜しみながら、帝都に新たに設けられた救貧院も後日こっそり覗きに行くことを約束したあとで、院長婦人に別れのあいさつをした。
その翌日──。
「──コ、コックニー男爵家ですか⁉︎ いいえ、何も知りません──!」
「──ひっ! 我々は知りません!」
「聖女さま、ど、どうぞお引き取りください‼︎ 詳しくはアーヴィン卿に──!」
皇城に出向いたララは、顔見知りの執務官らに声をかけていた。
やはりコックニー男爵家のことが気になったからだ。
しかし声をかける人がみな、血相を変えてそう叫んで逃げるものだから、結局ララは男爵家がどうなったのか本当のところを知ることができなかった。
(アスなら何か知ってるってこと……? なんで……?)
ララは首を捻りながら、ひとまず今晩アーヴィンと会えたら確認しなければと思った。
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