エピローグ 騎士の誓いと恋の自覚
戴冠神聖式のあと、皇城の東棟にある華やかな大広間では、新たな皇帝を祝う即位祝賀会が盛大に開かれていた。
ララは元々あまりこういった場は得意ではないため、今もなるべく目立たないように広間の隅っこにいるのだが、油断すればすぐに話しかけられてしまう。
ある日、突如現れた大聖女ララフネスに似た容姿で、聖女の称号を授かったララのことが気になる人は、案外多いらしい。
それを失礼のない程度に対応しながら、なんとかやり過ごしているが、このまま質問攻めが続くとボロが出そうだ。
ララはついこの間まで、帝都から遠く離れた山間の田舎町、そこに居を構えるコックニー男爵家に住み込みで働いていた使用人だった。
今のララの髪と瞳の色は薄茶色ではなく薄水色で、それだけでも見た目の印象がずいぶんと違う。だから、使用人のララと聖女となった今のララが同一人物だということに気づく人はおそらくいないだろうが、それでも注意したほうがいいだろう。
知られたところでララ自身にはなんの問題もないが、万が一にも、新たな皇帝となったテオの足を引っ張ることだけはあってはならない。
ララは壇上の豪奢な椅子に座っているテオに目を向ける。
先ほどからあいさつの列が途切れることなく続いている。
それをララは広間の隅からこっそり眺めながら、今着ている白い祭服を汚さないように注意しつつ、赤ワインが注がれたワイングラスを片手に、無事に戴冠神聖式での大役を果たせた安堵感に包まれていた。
すると、ふいに手を引かれた。
ララが持っていたワイングラスは、相手の手によって近くにいた給仕に渡される。
そのまま有無を言わさず、ぐいぐいと連れて行かれたのは、皇城の裏庭だった。
向こう側には、こじんまりとした東屋も見える。
先ほどまでの煌びやかな賑わいが嘘のように、ここは静かだ。
「いいの? あなたが抜け出して」
ララは自分の手を引いていた、アーヴィンに向かって尋ねる。
「いいよ、あとは食べたり飲んだりして、馬鹿騒ぎするだけなんだから」
アーヴィンは、さもなんでもないふうに答える。
(そんなはずないと思うけど……)
ララはやや呆れまじりに肩をすくめながら、彼を見上げる。
自分はともかく、アーヴィンはテオを皇帝にすべく動いていた中心人物であり、筆頭聖騎士、さらにこの国において皇帝の次に権力を持つローイエン公爵家の嫡男だ。
今後のことを考えれば、大勢の招待客とあいさつを交わす必要もあるだろうし、あの場を気軽に離れていいわけはない。
(何か急ぎの用でもあったのかしら……?)
ララがそう思っていると、彼の手が伸び、ララの頬に触れる。
「ララも飲んだんだね? もう顔が赤い」
「え、そう?」
自分では気づかなかったが、言われてみれば多少酔っているかもしれない。
「……俺以外の前で、こんな無防備な顔を見せないでほしいんだけど」
アーヴィンがぽつりとつぶやくが、ほろ酔い気分のララの耳には届かない。
ララはふわふわする心地よい気持ちで、高揚しながら、
「でも少しくらいはいいでしょ? もう重要な役割は終わったんだから」
戴冠神聖式では大勢の前で失敗せずに終えられ、心の底からほっとしている。テオの顔に泥を塗らずに済んだ。その安堵もあり、ついつい飲み過ぎてしまったかもしれないが、今日くらいは大目に見てほしい。
しかし、アーヴィンはまだ終わってないと言いたげに、首を小さく横に振った。
「いいや、まだだよ」
「え?」
彼はおもむろに、自身の脇に差していた鞘から剣を抜くと、それをララの前に差し出す。
ララは首を傾げながらも、差し出されるまま受け取る。
剣は儀礼用のため本物よりは軽いはずだが、それでもララが両手で持つのがやっとだった。
すると、アーヴィンがその場に片膝をつく。
すっと顔を上げると、いつになく真剣な表情でララを見上げた。
「──騎士の誓いがまだだよ」
ララはハッと息を呑む。
彼が求める意味がわかり、途端に酔いはどこかへいってしまう。
ララは背筋を伸ばし、剣のグリップをしっかりと握り締める。
剣を宙に上げ、その剣先をアーヴィンの肩にそっと置く。
すると、それを受けるように、アーヴィンが誓いの言葉を唱える。
「我、アリヴィウス帝国の聖騎士として真理を守り、我が命尽きるまで、汝のための盾となり剣となり続けん──」
神聖な空気が流れているようだった。
足元の草が風でかすかに揺れる。
ララはひと呼吸置いたのち、アーヴィンの肩から剣先を外し、彼の顔のそばに剣を近づける。
アーヴィンはその剣の刃に手を添え、そっと口づけをする。
──誓いが成立した証だ。
その美しい一連の動作に、ララは自然と目を奪われる。
まるで、この世界には自分たちしかいないような気さえしてしまう。
本来、このアリヴィウス帝国のすべての騎士は、君主である皇帝に忠誠を誓う。
後日、公に執り行われる誓いの儀式では、アーヴィンは新たな皇帝となったテオの前に跪き、改めて筆頭聖騎士としての任を受けるだろう。
でもそれとは別に、彼の心はララにだけ誓いを捧げたのだ──。
ややあってから、アーヴィンがにっこりと笑って、立ち上がる。
と同時に、いつもの見慣れた彼に戻る。
ララもハッと意識を戻す。
アーヴィンはララの手から剣を取り、慣れた動作で鞘に戻した。
たったそれだけの動作にもかかわらず、ひどく目を引くのは彼だからだろう。
アーヴィンがララをじっと見つめる。
彼の絹のような白銀の髪がわずかに風に揺れ、吸い込まれそうなほど鮮やかなブルーグリーンの切れ長の瞳が、ララを捕える。
その瞬間、ララの中でストンと何かが優しく落ちた。
なぜ昔から、彼だけが特別なのか──。
魔の森で、もう会えないと死を覚悟したとき、どうしてあれほど後悔したのか──。
──今ならはっきりとわかる。
「俺はね、きみだけの騎士だ。だからララ、きみだけは何があっても守るって誓うよ」
アーヴィンがゆっくりと言葉を紡ぐ。
体が心に反応するように、ララの頬がじんわりと赤くなる。
何か言わなくてはと思うのに、うまく言葉が出てこない。
アーヴィンは無言のままでいるララを不思議がりながら、顔を覗き込んでくる。
「──ララ? 何か言ってくれない? あれ、顔が赤い」
「き、気のせい!」
ララは必死に彼から顔をそらして叫ぶ。
しかしアーヴィンがなおも見つめてくるので、ララはますます顔をそらすしかない。
彼はなぜか楽しげに笑っている。
その余裕のあるそぶりが憎たらしく思えて、ララはもっと意地を張りそうになる。
だがそこでふと、アーヴィンが何かを思い出したように、
「ああそうだ、ララ。そういえば、まだあのときの約束、叶えてもらってないよね?」
約束──。
その言葉にララは自然と反応してしまう。
『ねえ、ララ。すべてが終わったらさ、ララのために祝宴の妖精が魔法をかけてくれた、あの銀製の酒杯で一緒に飲もうよ』
前世で、苦戦を強いられる魔獣大討伐の戦いのさなかに、アルトリウスがララフネスに言った言葉がよみがえる。
──前世で交わし、叶えられなかった、あの約束。
ララの胸が震える。
約束は正しく叶えられないまま、途方もない年月が経ってしまった。
それなのに、アーヴィンはつい数日前に約束したことのように、さらりと言う。
「ほら、祝宴の妖精の魔法がかかったあの酒杯、今は聖杯になっちゃったけど。それで一緒に飲もうっていう、あの約束」
ララは震える唇をなんとか開く。
「……覚えてたの?」
「当たり前だよ、忘れるわけない。聖女選定が行われているときに、霊廟で乾杯してくれてたのも、ララでしょ?」
「……気づいて、たの?」
「あれで、きみがいるのかもって気づいたんだよ」
アーヴィンが優しく微笑む。
そっと手を伸ばし、ララの耳横で揺れる後れ毛に軽く触れていく。
ぴくりと、ララの華奢な肩が小さく跳ねる。
自分が自分でなくなるような感覚。
触れられたのは髪の毛のほんのわずかでしかないのに、素肌に触れられたような感覚さえ抱く。
ララはそんな自分の変化に戸惑うしかない。
初めての感情を受け止めきれず、いてもたってもいられなくなる。
「ええっと──! じゃあ、あの酒杯を貸してもらえれば、すぐにでも約束を叶えるわ!」
動揺を悟られないように必死で、一歩引いて彼から距離を取る。
あの酒杯は聖杯として祀られているようなので、そう簡単には貸してもらえないかもしれないが、貸してもらえさえすればすぐにでも、前世のアルトリウスと交わした約束はきちんと叶えられるはず。
しかしララの動揺をよそに、アーヴィンはにっこりと笑って大きく一歩を踏み出す。
すぐさま離れた分以上の距離を、ぐいっと詰めてくる。
「いいや、あれはこの間ララが落としたときに、ヒビが入って使い物にならなくなったんだよね」
「え──⁉︎」
驚いたララは声をあげる。
そういえばと、あのとき初老の神官長と揉み合いになった際に、床に落としてしまったことを思い出す。
あの衝撃で壊れていたなんて──。
弁償できるだろうか。ララは心配で青ざめていたが、はたと気づき、怪訝げにアーヴィンを見上げる。
「え、でも、あれって銀製よね? ヒビが入るなんてことある……?」
「あれ、じゃあ、ヒビじゃなかったかも。とにかく壊れたんだ。ワインを注いでもこぼれるよ」
「そ、そう……?」
しれっと答えたアーヴィンに、なんだかうまくかわされたような気がしないでもないが、確かに強く落としてしまったし、へこんでしまったのかもしれない。壊れたのなら仕方ない。
「じゃあ、新しい酒杯を用意して、またフィーに魔法をかけてもらえばいいわ。それならどう?」
ララは代わりの案を提示する。
まったく同じ形とデザインの酒杯を用意するのは難しいかもしれないが、前世のララフネスが用意した酒杯もさほど高いものではなかったと思う。
とりあえず、祝宴の妖精のフィーに魔法をかけてもらいさえすればいいのだから、この際お酒が飲める杯ならなんでもいいだろう。
しかしアーヴィンは、やけに深刻な表情を見せる。
「いいや、ララ、聖杯は特別なんだ。一流の職人たちの技術を結集させて、最高のものを作ってもらわないといけない。そうだな、少なく見積もっても一年以上はかかるんじゃないかな」
「──え、そんなに⁉︎」
驚くララに対して、アーヴィンは当然のごとく固く頷く。
ララは困り果ててしまう。
それではすぐに約束を叶えることができない。ほかに何か案がないか思案する。
「ええっと、でも、そんなに特別なものじゃなくても。銀製にこだわる必要もないし。ガラスとかでもいいんじゃない? 割れる心配はあるかもしれないけど、見た目はきれいよ。あ、丈夫なものがいいなら、この際、木のコップとかでも。要はお酒が飲めればいいわけだし。見栄えさえ気にしなければ……」
「いいや、妥協はしたくないんだよね。これだけは譲れない」
「でもそんなに先になるんじゃ──」
そう言いかけたララの言葉を、さらに詰め寄ってきたアーヴィンが遮るように言う。
「うん、だからね、聖杯が用意できるまではそばにいてくれなきゃ。ここまで来て約束を反故にするなんてこと、ないよね?」
ララはきょとんとして、アーヴィンを見返す。
「ね、いいよね、ララ」
「ええっと……」
目の前のアーヴィンは満面の笑みを見せている。
爽やかな顔をして、さらりと脅迫しているように感じるのは気のせいだろうか。
ようやく恋を自覚したばかりのララは、この先より一層、彼の執着心の強さに悩まされることになるのだった──。
\完結しました/
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