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この国のために 1

 テオは大聖堂の中にある控えの間に引っ込むやいなや、深く息を吐き出した。


 ここは戴冠神聖式が始まる前にも待機していた場所だ。


 つい先ほど、戴冠神聖式は無事終了した。


「はあー、帝冠落とすかと思ったぁ……」


 もしあのまま帝冠を落としていたら、儀式は台無しになっていただろう。悲劇を通り越して、不吉でしかない。帝位につく前に、即刻辞退を申し出なければいけないところだった。


「ララさんが聖女で本当によかった……」


 テオは心の底から、ララが聖女になって儀式を行なってくれたことに感謝する。


 ララならすでに知り合いだし、彼女の人となりもわかっている。


 優しくて思いやりもあって、親しみやすいし、安心できる。


 もしララでなければ、その役は代々聖職者を輩出する家門の筆頭侯爵家のご令嬢が務めたというから、それこそ恐れ多く、相手に迷惑をかけないかとヒヤヒヤして、もっと緊張してしまっていただろう。


 テオは任務で式典など公の場の会場警護にあたる際に、その侯爵令嬢を何度か目にしたことがあるが、美人だがいつ見ても表情が変わらず、冷たそうな感じの令嬢だという印象を抱いていた。

 同僚の聖騎士の中には、その気高い感じがいいというやつもいたが、テオにしてみれば自分とは正反対の人に思え、話したことなど一度もないというのに、彼にしては珍しくなんとなく苦手意識を持ってしまっている。


 だから余計に、聖女がララでよかったと思うのだ。


「それにしても、さっきはすごかったな……」


 身も心も包まれるかのように感じたのは、なんとも言えない穏やかで癒されるような不思議な空気──。


 きっとあれはララの神聖力なのだろう。改めて、ララという聖女のすごさを実感する。


 とはいえ、もう金輪際、テオのために彼女が何かの儀式に駆り出されることはないだろう。


 なぜなら、こちらから尋ねてもいないのに、元上官の筆頭聖騎士のアーヴィンがかなり釘を刺してきたからだ。


 テオは、その日のアーヴィンとの会話を思い出す。


 それは魔の森から帝都に帰還して、落ち着く間もなく、すべてが目まぐるしく走り始めていたときのこと──。




「──ああ、そうだ、テオ。戴冠神聖式の聖女はララが行うけど、ララを貸すのはその一度きりだよ」


 口元には穏やかな笑みを浮かべているが、目はまったく笑っていなかった。知ってはいたが、アーヴィンの執着心の強さを改めて目の当たりにしたテオは、この先のララのことが心配になるほどだった。


 そんなテオの心配をよそに、

「これでお前のその軽い足も多少は重たくなるんじゃない? よかったね」


 テオが今後のことについて決意するよりも前に、アーヴィンが率先してそうなるよう動いていたにもかかわらず、他人事のようなひどい言い方をする。


 テオは間髪入れずに、

「全然よくないですよ! いまだに信じられないんですから! じつは僕が皇弟殿下の息子で、そのうえ帝位につくだなんて──!」


「いいじゃないか、より一層献身的にその身をこの国に捧げなよ」


 軽くそう言い放つアーヴィンだったが、ふと真剣な表情でテオをじっと見つめる。ややあってから、


「──それで? でも決めたんだろ、自分で」


 アーヴィンの問いかけに、テオはぐっと口元を引き締め、まっすぐに前を見つめる。


「──はい」


 しっかりと頷き、改めて自らの意思を示す。


 ここに至るまで、テオの出自の証明から、ローイエン公爵家が後ろ盾となる宣言、貴族たちや議会などの多方面への説得など、あらゆる面でテオが帝位につくために動いてくれたのは、アーヴィン、そしてアーヴィンの両親のローイエン公爵と公爵夫人だった。


 テオにしてみれば、決心していないうちから外堀を埋められた感はあるが、それでも最終的に決めたのはテオ自身だ。


 ただそれでも、テオが本気で帝位につくことを拒否すれば、アーヴィンはそれ以上押し通すことはなかっただろうと思っている。

 そしておそらくテオが非難を浴びない形で自らがすべてを背負い、誰にも文句を言わせないよう収めたはずだ。


 そうなれば、アーヴィンには次期皇帝になる以外の道は残されておらず、きっと本人もそれをわかっている。


 彼が口では散々軽口を叩くものの、自分の責任を放り投げてしまう人ではないことは、身近にいたテオが誰よりも知っている。


「それでも不安はつきませんが……」


 覚悟を決めたとはいえ、不安はつきまとう。テオはそれを正直に伝える。


 アーヴィンがふっと微笑んで言う。


「自信過剰よりはいい。自分が誤る可能性もあると、知っていることが重要だ」


 そして、彼はあえてこれからの態度を示すように畏まる。


「──あなたのお父上、皇弟殿下のリック叔父上も、その志を息子が自らの意思で継いでくれたと知れば、誇りに思ってくださるはずです。それに生前、皇弟殿下が魔の森や魔獣について研究していた功績も、残していかなければいけないでしょう」


 テオはハッと目を見開く。


「はい──、そうですね」


 そう答えたあとで、テオは一瞬迷ったものの、誰かに、いや、ほかならぬアーヴィンに聞いてもらいたいと思い、ぽつりと言葉を吐く。


「……あのじつは、僕が決心できたのも、昔のことを思い出したからでもあるんです。母が生前、父について『この国のために、何が自分にできるかを考えている人よ』って、そう言ってたことがあったなって。

 もちろん、母は父が皇弟殿下だとは知らなかったんでしょうけど、それでも熱心に研究している姿を見て、何か感じるものがあったのかなって」


 アーヴィンはどこか懐かしげに、へえ、と言って耳を傾けている。

 もしかしたら、彼の中にも何か思い当たることがあるのかもしれない。

 テオは言葉を続ける。


「僕が生まれる前に父は出て行ったきり戻ってこなくて、本当は母とともに捨てられたんだとずっと思ってました。でも母は、父が死んだらしいと人伝てで知ってからもそれを信じられなかったようで、亡くなるまで父を待ち続けていました。

 だからふとした拍子に母が父のこと語ってくれても、僕は素直に受け取れなかった。

 母が亡くなる前に、父のあの紋章付きの指輪と日記を僕に渡してくれたんですが、僕は本当の意味でそれを受け取ることができないまま、日記に残された言葉の意味を考えることもしなかった……。でも今なら、きちんと受け止められます」


 戻らない過去を悔やむよりも、これから先を見つめるように、テオは視線を前に向ける。


 それを見たアーヴィンが、肯定するように強く頷く。


「ああ、そうだな」


 柔らかく笑った彼が、テオの肩をポンと軽く叩く。


 それは上官から部下に向けたものではなく、大事な人を介して生まれる絆のような、深いつながりを感じさせた。



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