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戴冠神聖式 2

 あの日、魔の森が浄化されてから、今後魔獣が現れることも、人々の生活が脅かされる心配もなくなった。


 おそらくあの森は、巨木の大聖木(だいせいぼく)が邪気に侵されるまでは、元々聖なる森だったのだろう。


 詳しい調査と研究はこれから行われるらしいが、魔の森の周りを覆っていた発光する深い青紫色の怪しい霧はじつは聖気で、森を囲むように生えている聖木から生み出されているものだろうということだった。


 一見すると、聖木と普通の木は見分けがつかない。


 しかし、聖木は夜になると青白く発光し、葉から鱗粉を撒き散らす。その鱗粉が空気中の水蒸気と混じることで、魔の森の周囲を覆う霧になっていたらしい。

 さらに、その霧も邪気の影響に左右される形で、あの独特の発光する深い青紫色に変化していたようだ。


 昔から魔の森は恐れる対象で近づく人間はほとんどおらず、ましてや夜にそんな森へ出かける命知らずの人間などいるはずもない。長い間、魔の森の事実に気づく者がいなかったのも当然と言えた。


 聖気と邪気は相反するものだ。


 発生した聖気の霧は結果的に結界の役割を果たしていて、邪気に侵されている魔獣は弾かれ、霧を通り抜けることができなかったはず。だからこそ、魔獣が際限なくあふれ出てくる最悪の事態だけは避けられたのではないか。


 しかし、そんな中でも昔から魔獣が時折出現していたのは、現時点では仮定のひとつでしかないが、もしかしたら魔の森の中に邪気が溜まりすぎると、その影響を受けた聖木は弱って鱗粉を撒き散らせず、場合によっては朽ちてしまうのかもしれない。


 すると、魔の森を覆う霧の一部が一時的に穴が開いたような状態になってしまい、その隙をつく形で魔獣が外へと出る。


 聖気が薄くなれば、魔獣の中にある邪気も膨れてより一層凶暴化してしまい、魔獣が暴走する魔獣暴走(スタンピード)が引き起こされていた、とも考えられる。



 それに……、とララは思う。


 ララを攫った、皇帝直属騎士団長のデニークという、元々黒い眼帯をつけていた男。


 ララはあの男の素性をあとで知ったのだが、まさか皇帝の息子だったとは夢にも思わなかった。


 そのデニークはもしかすると、聖木の効果について何かしら気づいていたのかもしれない。以前は聖騎士でもあったのだから、魔獣に関する知識も普通の騎士よりも持っていたはずで、魔獣に応戦したこともあると思われた。

 もし魔の森を訪れる機会があったのなら、何らかの偶然が重なって聖木の効果に気づいた可能性もあるだろう。


 ララが攫われ、魔の森に足を踏み入れたあの日、不自然に切られた真新しい切り株がひとつだけあった。


 そして、そのそばには血溜まりと血痕──。


 あくまで想像にすぎないが、聖木の効果に気づいたデニークが命令して誰かに木を切らせ、霧が失われた場所から意図的に魔獣を外に出したとしたら……? もちろんそばにいる自分たちだって、襲われる可能性は十分にある。でも例えば、自分たちは身を隠し、捨て駒にするつもりで誰かに木を切らせていたら……?


 命を奪われた人間の場合、血に怨念が残り、邪気を帯びやすくなる。それだけでなく他者を殺傷していた人間なら、命を奪われた相手や家族からの消えない恨みつらみが多くまとわりつき、より邪気が増幅しやすくなるだろう。


 そしてその邪気の影響で、魔獣は暴走しやすくなる。


 暴走が暴走を生む中、魔獣を討伐せずに、ある方向に誘導するようにわざと繰り返し小さな攻撃をしかけ、ララたちがいたあの辺境の町を襲わせたのだとすれば──。


 突拍子もない考えだとは思う。


 アーヴィンによると、デニークは亡き皇帝とある子爵家令嬢との間、一度きりの関係で授かった子どもとのことだった。


 皇帝と皇妃は長い間、子どもに恵まれなかった。


 一刻も早い世継ぎが望まれる中、危惧した臣下らによって側妃として協力を打診されたのが、皇室に比較的立場が近い家門の子爵家の令嬢だった。


 彼女は結婚にはまったく興味がなかった。恋愛小説を好むような同世代の令嬢とは異なり、愛読するのは学術書ばかり。そのため、貴族女性の結婚適齢期をやや過ぎており、子爵家当主である父親とは度々意見の衝突が起こっていた。


 そんな中、皇室からの協力の打診があったことを知った子爵令嬢は、父親に対して今後結婚を強要しないことを条件に、これを受け入れ、同時に行動が制限される側妃という公の立場になることは辞退した。


 すべてはごく一部の者しか知らないまま、進められた。だが、皇帝は子爵令嬢と一夜を共にするも、激しい後悔に駆られた。

 そのため、その後どんなに臣下から進言されても受け入れず、子どもが授からない場合も視野に入れるようになった。


 その一方で、子爵令嬢は実家の子爵家に戻ったあとしばらくして、妊娠していることに気づく。

 当初、子爵家としては皇帝に伝えるつもりでいたらしいが、令嬢本人がそれを頑なに拒否した。

 自身の身に宿る子どもへの愛情が芽生え始め、自分のもとから取り上げられることは受け入れられない、だからこのまま事実を打ち明けず出産すると訴えたのだ。


 そうして密かに生まれた子どもは、デニークと名付けられ、跡取りのいなかった子爵家で何も知らされずに育つことになる。


 数年後、皇帝は男児が生まれていた事実を偶然知るが、母親である子爵令嬢の心情と自身の身勝手な行いで背負わせた結果への深い後悔と謝罪、余計な混乱を生むことへの懸念もあり、自分だけの胸に留めることに決めたらしい。



 その後、皇帝に世継ぎがいないまま時が経った。


 子爵家の子どもは成長し、優れた剣術が認められ、皇帝直属騎士団の下位部隊に入団していた。


 皇帝は今後万が一、あのときの子爵家の子どもが出自について名乗りをあげたときのことを考え、いずれ帝位を継ぐ可能性の高い甥のアーヴィンにだけ、その事実を伝えた。


 もし彼が名乗り出たときには、その出自を証明してやってほしい、と──。


 アーヴィンは自身が聖騎士団に入る前から、デニークの名を知っていた。剣術に優れた子爵家出身の騎士がいるという噂が広まっていたからだ。そのため、皇帝から話を聞かされたときは心底驚いたらしい。


 現在デニークは、皇城の地下牢に厳重に捕えられていると聞いている。


 彼の犯した罪は重い。現役の皇帝直属騎士団長が起こした前代未聞の事件ということもあり、今は一切が秘匿にされている。その罪については、いずれ明らかになるだろう。




 ──聖堂内、大勢の参列者たちに見守られながら、主祭壇に向かって伸びる細長い身廊を、テオがゆっくりと通り過ぎていく。


 主祭壇の前まで来ると、彼は鎮座する戴冠式の椅子に静かに腰を下ろした。



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