魔の森の巨木 1
「はあ……っ! はあ……っ! ──ッ!」
ララは木々の合間を縫って全速力で逃げていた。
やや視界が広くなったところで突如足を止め、すぐさま向き直る。
すかさず手をかざして神聖力を発し、追いかけてきたヒョウのような姿の魔獣たちを消滅させる。
一息つく間もなく、今度は地面の中に隠れていた硬い鱗で覆われたトカゲに似た魔獣が飛び上がってきて、ララの喉元に喰らいつこうとする。
それをすんででかわし、神聖力をぶつけて消し去る。
「はあ、はあ……」
ララは堪えきれず、近くにある木に寄りかかり、肩で息をしながら膝をつく。
魔獣は次から次に現れるため、キリがない。
そのうえ辺りを薄っすらと覆う白い霧のせいで、その姿をとらえにくいのも不利だった。
地面には、魔獣の体内から落とされた無色透明の魔核石が、ララが倒した魔獣の数だけ無数に転がっている。
周囲を見回すが、手当たり次第に現れる魔獣に応戦しながら逃げていたため、最初にいた場所からはかなり離れてしまった気がする。
意識を集中させて周辺を警戒するも、今は魔獣の気配は感じられない。それでもいっときも油断できない。
「このままじゃ……、だめよね……っ。なんとかっ、しないと──」
逃げ回ってばかりでは、こちらの体力と神聖力が奪われるばかり。尽きてしまえば、ララの命はそれまでだ。
そのとき、ふいに何かが聞こえた気がした。
ララは顔を上げる。
耳を研ぎ澄ませ、周囲に目を凝らす。
(なんだろう……)
不思議な感覚だった。
膝に力を入れて、なんとか立ち上がる。
感覚だけを頼りに、所々で木の幹に手をつきながら、何かに導かれるように霧が漂う魔の森の中を進む。
しばらくすると、生い茂っていた木々が唐突に途切れ、目の前がさっとひらけた。
ララは驚きのあまり、目を見開く。
(──なんて、大きな……)
視界の先、向こう側には、大人数人が手を広げても足りないくらいの巨木が鎮座していた。
左右に広がる枝葉は、まるで大きな鳥が両翼を広げたかのよう。
やや背の低い幹はでこぼことしてがっしりと太く、よく見ると数本の幹が絡み合うように形成されていて、その表面はしっとりとした苔に覆われ、苔に付いた水滴が宝石のように光を反射している。
絡み合う幹の中央には、ずいぶんと昔のことなのか、落雷で傷ついたような痛々しい古い裂け目が見える。
──見るからに、ただの木ではない。
その巨木は青白い光を纏い、優しさと穏やかさに満ちていた。
後光が差すように輝き、魔の森にあって圧倒されるような神々しささえ感じさせる。
その眩しさに、ララは思わず目を細める。
しかし突然、頭の中に耳をつんざくほどの轟音とともに、激しい稲妻が巨木に落ちる光景が見えた。
それはまるで、今まさに目の前で起こったかのような鮮烈な光景だった。
頭の中の光景だったにもかかわらず、激しい衝撃に思わず目を閉じてしまう。
でも実際には、何の衝撃も感じられなかった。
(もしかして、この巨木が落雷を受けたときの、記憶……?)
そして、次にララがまぶたを開けたときには、目の前の景色は一変していた。
巨木からは見入ってしまうほどの神々しさは跡形もなく消え失せ、深い闇が木の周りを覆う。
辺りに漂っているのは、ぞくりとするような禍々しい気配──。
空気中には、小さな水滴のような粒までもが浮遊している。
ララは大きく息を呑む。
(まさか──)
「……病んでいるのね?」
この巨木は病んでいるのだ──、そう感じた。
ついさっき見た、神々しいまでの巨木は幻だったのか。
いや、落雷の傷がなければ、あれこそ本来の姿なのだ。
(病んだ原因は、あの落雷──?)
なぜかララはそう確信する。
そのとき、ボトリッと、何かが禍々しい気配を漂わせる巨木の枝から地面に落ちた。
ララはハッと視線を下に向ける。
──魔石だった。
地面に落ちた魔石の中心には、黒いシミのようなものが揺らめいている。
すると、その魔石に吸い寄せられるように、辺りを浮遊していた小さな粒がスルスルと動き始める。
小さな粒は魔石に吸い込まれ、ゆっくりと形を成したかと思えば、それはやがて半透明の何かの動物のような姿になる。
いったい何が起ころうとしているのか。
すぐに逃げたほうがいい。
そう警告する自分がいるのに、目の前の光景から目を離すことができず、足は縫い止められたように動かなかった。
得体の知れない半透明の姿がブルブルと小刻みに震えたかと思えば、魔石の中心にあった黒いシミが広がり、その体はインクで塗り潰されたように真っ黒に染まった。
──魔獣。
気づくと、ララの目の前には、鋭い爪と大きな牙を持つ狼のような体躯の大きな魔獣の姿があった。
その魔獣は生まれたばかりのせいなのか、半ば虚ろな状態だった。
しかし次第に覚醒していくと、やがてカッと見開いた真紅の目をギョロリとララに向ける。
と同時に地面を蹴って、口を大きく開き、ララに襲いかかってくる。
考える間もなく、ララは瞬時に手のひらをかざし、神聖力を発する。
たちまち目の前から魔獣は消え失せ、魔獣の体内から落とされたものだけがコロンと足元に転がる。
「……魔核石」
魔獣の核を成す魔石だ。魔獣を消滅させたあとには、必ず残される。
その魔核石の見た目は、何ものにも染まっていない無色透明──。
先ほど目にした黒いシミは、どこにも見当たらなかった。
「どういう、こと……?」
ララは驚きを隠せなかった。
先ほど自分が目にした光景は、まさに魔獣が生み出される瞬間に違いなかった。
(もしかして魔獣は、この巨木から生まれているの──?)
そのとき、背後から不穏な気配がした。
ハッと振り返れば、数えきれないほどの魔獣がララを取り囲んでいた。