魔の森 1
ララがぼんやりと目を覚ませば、そこは馬車の中だった。
動いているような振動はなく、窓の向こうを見れば、どうやら停車しているらしいとわかる。
いつの間に馬車に乗ったのだろう、と思っていると、妙に力が抜けるような違和感があった。
ようやくハッと意識を取り戻すと、手首には硬い鉱石でできた手枷がつけられていた。と同時に、すぐ目の前に人の気配を感じ、体を強張らせる。
「……目が覚めたか」
声がしたほう、向かいの座席には男がひとり座っていた。
いつからそうしていたのか、相手はララが目覚めるのを待っていたらしい。
背が高く、がっしりした体つき、ありふれた焦茶色の短髪。
その男が羽織っているマントから覗く隊服の色は、濃紺だった。
聖騎士の白い隊服ではない。
濃紺の隊服なら、確か皇帝直属騎士のはず。
まさか皇帝直属騎士団が、自分を捕まえたのだろうか──。
(アスはわたしが聖杯の盗人なんかじゃないって、きちんと説明してくれてないの……⁉︎)
ララは内心慌てながらも、努めて冷静さを失わないようにし、向かい側に座っている男に視線を向ける。
騎士らしい精悍さのある顔つき。
その顔を注視するも、知らない男だった。ただかすかに、少し緑がかったブルーのその瞳には既視感を覚えた。
(どこで見たのかしら……、ううん、今はそれよりも……)
ララは自分の手首を固定されている手枷の重みを感じ、この状況から脱することが先だと思い直す。
どうやらこの手枷には、神聖力を封じる力があるらしい。
昔はこんなものなどなかったはずだが、時が経つと妙なものまで生み出されるようだ。これのせいで、相手の隙をついて逃げるのは難しそうだった。
(こんな大層なものまでつけて捕らえるなんて……)
ララはそっと息を吐き出す。まずは情報収集しようと口を開く。
「……その隊服なら、あなたは皇帝直属騎士よね、わたしを捕まえてどうする気? ここはどこなの?」
「慌てずに状況を確認する、冷静な判断だな。それも聖女だからか?」
相手は感心するそぶりを見せるも、明らかに小馬鹿にしている感じだった。
そのうえこちらの真意を探るような、刺すような鋭い視線を向けてくる。
「改めて訊こう、あなたは聖女と呼ばれる存在か?」
思わぬ問いかけだった。
だが、つい先ほど眠気に襲われる前にも、同じようなことを見習い聖騎士のテオからも問われたばかりだったことを思うと、偶然とはいえ奇妙なものを感じる。
(同じ日に、二度も同じことを訊かれるなんて……)
そう思いながら、ララはテオに答えたのと同じように答える。
「……それはわたしが決めることじゃない。あれはただの役割にすぎないわ」
「ふっ、役割か。なるほどな」男が鼻で笑う。しかしどこか憂いを帯びるように、「私もそう割り切れればどんなによかったか……。では、皇帝の役割を担うのはどんな者だと思う?」
男の話が脈絡もなく飛ぶ。
なぜそんなことを問うのかわからない。
でもその意図を探るため、ララは話に乗るふりをする。
「最もふさわしい人、でしょうね」
「それは血筋か? 剣術か? 才知か? 人望か?」
ララは相手の目をじっと見返す。
やはり男の真意がまったく読めない。
軽く首を横に振ってから、
「さあ、わたしにはわからないわ。でもいつの世もしかるべき人がその責を負うものよ」
そう答えながらララは、今はアーヴィンという名を持つかつての仲間、アルトリウスのことを思う。
あの魔獣大討伐でララが命を落としたあと、このアリヴィウス帝国を建国し、初代皇帝の座についたという。
彼の性格からして、国を背負うなんて考えは持っていなかったはず。
再会を果たしたさっきも、そんなことを口にしていた。
でもあのとき、死を覚悟したララフネスが『あとはお願い』と頼んでしまったから──。そして多くの人が彼を求めたから──。その責を担ってくれたのだろう。
きっと彼でなくてはできなかった。
そうしてそのあとは、彼の後継者たちが何代にもわたってこの国を支えてきてくれたのだ。
「しかるべき、か……、それは私ではないのか……」
男がぽつりと漏らしたそれは本心からの言葉に聞こえ、ララは思わず嫌悪を示す。
「まさか、皇帝になりたいとでも──?」
「なりたい? そんな願望の話なんかじゃない」
男はクッと軽く笑ってから、首を横に振る。
ララは眉間にしわを寄せる。
男が何を言いたいのか、まったくわからない。
馬車の中に重たい沈黙が満ちる。
ややあってから、男がふいに口を開く。
「──あなたが本物の聖女だとするなら、誰を選ぶ?」
それはあまりに馬鹿げた質問だった。
相手は、ララが聖女なら皇帝に誰を選ぶのかと問うているのだ。
そもそも聖女が皇帝を選ぶなど、あるはずがない。
しかし、ララはそこではたと思い直す。
そういえば、この国では皇帝が崩御した場合に限り、亡き皇帝に代わって聖女が戴冠神聖式と呼ばれる儀式で、帝冠と帝笏を次期皇帝に譲り渡すとされているのではなかったか。
だが、それはあくまで儀式上のことにすぎない。
ララが嫌悪を含む険しい顔つきでにらむと、男は何か吹っ切れたかのように大きな笑い声をあげる。
「ははは──っ!」
しかしすぐにスッと目をすがめる。
「現れた時期が悪かったな。ただ祭り上げられただけのその場限りの聖女だったなら、まだ生きていられただろうに。でもあなたは先ほど大勢の目の前で神聖力を使って、あれだけの数の魔獣を消滅させた。あの光景を目にした誰もが、あなたを大聖女だと。
認めたくはないが、その神聖力は本物だろう。あいつは知っていたんだ、あなたの力を……! だからその力を欲してあなたを追っていた、違うか──!」
男は怒りをあらわに、握った拳を自身の太ももに叩きつける。
(あいつ……? 誰のことを言っているの……?)
ララは心の中で困惑する。男はなおも続ける。
「皇帝亡き今、大聖女を彷彿とさせる娘が現れ、その娘があいつに帝冠と帝笏を渡したら周りの者はどう思う? あいつは自分が次の皇帝になるのが当然だと主張するために、それこそ聖女を利用してまで──! 本当は私のほうが手にする権利があるのに──! なぜだ!」
唐突な怒りの独白に、ララは戸惑いの色を隠せない。
「いったい、何を言っているの──」
男はララには目もくれず、もう話は終わりとばかりに立ち上がり、馬車から降りる。
「ああ、そうだ、忘れないうちに礼を言っておこう」
男は振り返りざまにそう言うと、隊服の胸ポケットから何かを取り出し、左目に当てた。
──それは黒い眼帯だった。
ララは大きく目を見開く。
「あのときの──」
「おかげさまで、目が見えるようになった。あなたが治してくれたんだろう? それしか考えられない」
思い当たるのは、帝都にある皇城からララが逃げる際、城門で声をかけてきた黒い眼帯をしていた、あの男──。
ただの衛兵じゃなく、皇帝直属騎士団の人間だったのか。
男はクッと口端を上げると、
「見えるようになっただけじゃなく、腕の古傷も痛まなくなった、礼を言う。じゃあ、降りてもらおうか」
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