邂逅 1
「──お世話になりました」
辺境のとある町の入り口。古びた荷馬車から降りたララは、深々と頭を下げる。
荷車を引く馬の手綱を握る老人は、穏やかに笑って手を振ってくれる。
三日前、ララは城郭に囲まれた大きな街で、突如現れた黒装束姿の怪しげな男たちに命を狙われた。
なんとか逃げられたものの、街の城門を抜けたあとはどこへ行けば安全なのかわからず、途方に暮れて歩いていた。
すると、森を抜ける道で、たまたま通りかかった荷馬車を引く農夫の老人に出会い、幸いなことにその荷馬車に乗せてもらえたのだ。
さらに、老人は腰に持病を抱えていたため治療してあげると、妻とふたり暮らしだという家に招待してくれた。
そこで二日ほど、畑仕事などを手伝いながら滞在させてもらうことができた。
ララを狙ったあの黒装束の男たちも、まさか農夫の家にいるとは思わないだろう。
そして今朝、老人が一番近くの町まで野菜を売りに行くというので便乗させてもらい、つい先ほどその町の入り口で降ろしてくれたのだ。感謝してもしきれない。
老人の荷馬車が見えなくなったあとで、ララは歩き出す。
頬に触れる空気は冷たく、吐き出す息も白い。
纏っている薄手のローブの前をかき合わせ、フードも深く被り直す。
昨夜老人が教えてくれた話によると、この町を拠点とした荷を運ぶ商団がいるらしく、頼めば乗せてもらえる可能性もあるかもしれない、とのことだった。
ララはひとまず情報を得るため、町の中心と思われる場所に向かう。
この間までララが滞在していた城郭の街に比べれば小規模な町だが、行き交う人の姿は多く、賑わいがあるように見える。
通りを歩きながら周囲にも細心の注意を向けるが、今のところ怪しい人影はなく、跡をつけられている気配も感じない。
ララがここまでの道中で耳にした噂では、大聖女の聖杯を盗もうとした罪人を追っているのは聖騎士だということだった。
ならば、自分を襲ってきたあの黒装束姿の怪しい男たちも聖騎士の仲間なのだろうか。
でもララの中で、あの陰湿な感じがした怪しい男たちと、皇帝に忠誠を誓う高潔な聖騎士がどうにも結びつかなかった。
あえて言うなら、あれは暗殺者の類いに近い者……。
(まさか、聖杯を盗もうとした罪人だと決めつけて、誰かが暗殺者を雇ってわたしを殺そうとしている、とか──⁉︎)
突拍子もない考えが浮かぶも、さすがに飛躍しすぎている気がして、まさかね、と頭から追い払う。
いずれにしても、誰かが自分を狙っていることは間違いない。
聖騎士なのか、それともまったく関係のない別の人物なのか──。
今でも、黒装束姿の男たちから向けられた殺気を思い出すと、ぶるりと体が震える。
あのときは目眩しでかろうじて逃げられたが、その後は警戒されているはずで、二度も同じ手は使えないだろう。
眠らせるにしても、相手の隙をついて神聖力を発することができなければ、ララには逃げ道すらない。
「どうせなら、もっと攻撃に特化した力だったらよかったのに……」
神聖力で魔獣は消し去れるが、基本的に人間には治癒と癒しを与える力になるため、対戦向きではないのだ。扱い方を間違えれば、目眩しや眠らせるどころか敵の傷をも治してしまう。
(アスとの約束を叶えられればそれでよかったのに……、なんでこんなことに──!)
前世の記憶がよみがえったときから、あまりにも予想外なことばかりが起こっている。
頭を抱えそうになるも、考えても仕方ない。彼との約束を叶えないという選択肢はなかったのだから。
ララはどうにか頭を切り替える。
「はあ……。とりあえず、もっと遠くに逃げなきゃ……」
足取りを早め、通りの角を曲がる。
すると、同じタイミングで向こう側から歩いてきていた相手に、思い切りぶつかってしまう。
「──ッ! す、すみませ──」
相手は背の高い男性のようだった。
ララはぶつかって痛むおでこを押さえながら、急いで謝ろうとする。
しかし、顔を上げる前にハッと目を見開く。
斜め下、ふいに視界に入った先。相手が纏っているマントの前開きから覗いていたのは、腰に下げた剣だった。
瞬時に、ララの頭の中で警鐘が鳴る。
弾かれるように、急いで踵を返そうとする。
だがすぐさま、手首を強引に掴まれる。
ララのすぐ目の前、相手のマントの下からは剣だけでなく、白い隊服らしき服装も見えた。
(──聖騎士)
浮かんだ単語に、ララの顔からサッと血の気が引く。
掴まれている手をなんとか振り払おうとするも、びくともしない。
それならと、ララは相手を眠らせようと掴まれている手を通して、神聖力を相手の体に流し込もうとする。
しかし、相手は何かを察知したのか、
「──ッ!」
反射的に、ララの手をパッと放す。そのとき、
「アーヴィンさま、どうしました?」
突如、相手の背後から声がした。
相手の意識が、ほんのわずか背後にそれる。
ララはその一瞬を見逃さなかった。
ぐるりと体の向きを変え、一目散に駆け出す。
(聖騎士──⁉︎ 嘘でしょ!)
今度こそ捕まってしまう──。
ララは通りを行き交う人の間をすり抜けながら、全速力で走る。
当然のごとく、周りの人々は何事かと驚いた目で見てくる。
背後をちらりと確認すると、
(お、追いかけてきてる──⁉︎)
相手が追いかけてくる姿が見えた。
ララは右へ左へ何度か角を曲がり、意図せず来てしまった中央に小さな噴水がある円形状の広場も横切り、必死で逃げる。
気づけばローブのフードがはだけ、隠していた髪の毛があらわになる。後ろで結っている三つ編みも左右に大きく揺れる。だが、そんなことを気にしている場合ではない。
さすがに振り切れたかと思って振り返るも、相手は追跡の手をゆるめる気はないようで、猛然と追って来ている。
このままだと追いつかれそうだった。
(ど、どこか──、隠れる場所は──⁉︎)
ララは何度か角を曲がりながら、隠れる場所を求めて左右を見回す。
そのとき、パッと目についたのは、大きめの木箱だった。
大きな荷を運ぶためのものらしいが、ちょうど中身を運び出したばかりなのか、蓋が空いた状態で置かれている。
なりふり構わず、ララはその木箱の中に急いで入ると、蓋を閉めた。
木箱の表面は木の板を打ち付けているだけなので、板の隙間からは外の様子が少しだけ見える。
ララは両手を口に当て、なんとか息を殺しながら、そっと外を窺い見る。
自分を追ってきた相手は立ち止まり、息を切らしながらも、必死の様子で辺りを見回している。
ララは目を凝らして、相手の正体を確かめようとする。
しかし、視界に映った相手の姿に目を疑う。
(──アス?)
絹のような白銀の髪、切れ長の瞳にハッと目を引くほど鮮やかな発色のブルーグリーンの瞳──。
この帝国の初代皇帝で筆頭聖騎士、そしてララの前世である聖女ララフネスの仲間だった、アルトリウスにそっくりだった。
(まさか──、そんなはず──)
そう思いながらもララは、そういえば、とあることを思い出す。
帝都の皇城にある初代皇帝の霊廟で、アルトリウスとの前世の約束を叶えたあの日。聖杯の盗人だと疑われて皇城を抜け出す途中、アルトリウスによく似た人物を見かけたことがあったではないか。
(もしかして、あのときの人……?)
ララは彼の姿をじっと目で追う。
見れば見るほど、アルトリウスだった。
聖騎士の白い制服を着ているから、余計にそう感じてしまう。
まるで彼が生き返って、目の前にいるかのよう──。
相手はこちらを見失ったらしく、険しい表情を浮かべ、急いで向こうの通りへと走り去っていく。
五百年以上経っている今、アルトリウスなわけがないとわかっていても、懐かしさを覚える。
だが、自分に言い聞かせるように首をブンブンと横に振る。
(捕まったら、処罰されるかもしれないんだから──!)
その姿が見えなくなってしばらくしてから、ララは木箱の蓋をそっと開けると、中から抜け出た。
左右を見回し、急いでその場を離れようとする。
しかしそのとき、突如として聞こえてきたのは、耳をつんざくほどの大きな悲鳴だった──。