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純真に輝く邪な彼女に関する、解決し難い抗えない問題について  作者: 東東
【1章】彼が立ち向かうには彼女はあまりに無邪気に邪悪で
6/24

 てっきりもう帰ったのかと思い込んでいたのだが、まだ王城にいたようで・・・、いや、この瞬間を待って態々滞在していたのかもしれないが、とにかく突進する勢いでリロウに近づいて行っている。

 護衛や侍女はもう気がついているようではあるが、しかし幼い少女が同じ年頃のリロウに危害を加えるわけもなく、またリロウの公爵家程ではないにしても、高位の爵位を持つ家柄の令嬢が近づいて来ているだけなのに立ち塞がるわけにもいかず、彼らはいずれも近づく少女の進行を阻まない位置に控えたままでいた。

 結果、当然のようにリロウと彼女は対峙することになり・・・、間もなく訪れる瞬間が脳裏に浮かぶ前に、体は勝手に動き出している。勿論、先ほど去ったばかりの場所、リロウの元に戻る為に。


 王子としての優雅さをかなぐり捨てて全速力で駆け戻った先では、目を潤ませて目の前に佇む少女の胸元や腰へ視線を向けているリロウがいた。


「何をしているんだっ!」

「でっ、殿下!」


 駆け戻っている最中に脳裏に蘇っていたのは、リロウが茶会で語っていた言葉の数々だった。

 今、まさに膨らもうとしているそこをじっくり見つめる喜びだとか、描き始めている曲線を持つ腰を眺める楽しさなど、はっきり言ってそれは僕に対するセクハラでは? と言いたくなる発言を繰り返していたリロウのその毒牙にかかりそうになっている哀れな犠牲者がいるのだと思えば、到着した瞬間目の当たりにした光景に怒鳴り声の一つや二つ、迸っても致し方ないと思う。

 思う、のだが・・・、しかし怒鳴り声を向けたはずの相手は陶然とし過ぎていて全く僕の怒鳴り声に反応せず、代わりに被害者であるはずの少女が怯えたような悲痛な声を上げて悲しげにその顔を歪めてしまい。

 その泣き出しそうな表情で、また自分の失敗に気づいてしまったのだが時すでに遅かった。あれだけ積極的で打算的で野心があったのに、それでもそこにいたのはまだ幼い少女で、気に入られようとしていた相手に強く怒鳴られれば傷つく繊細さを持っていたのだ。・・・怒鳴った相手は彼女ではなかったのに。

 おそらく、最大のライバルであるリロウへ何か良くないことを言ってはいたのだろう。嫌味なのか、怒りをぶつけていたのか、それとも計算高い何かを言っていたのかは分からないが、それでも僕が怒鳴れば自分が叱責されているのだと思い込むような振る舞いをしていて、だからこそ誤解したのだとは思うけれど、その振る舞い自体は褒められなくとも、とにかく誤解だけは解かなくてはいけないと慌てて口を開く。

 ただ、それは一歩遅かった。というか、怒鳴った時点で、その怒鳴り声を誤解された時点で、全てが色々と遅かったのだろうが。


「・・・わっ、私・・・、無駄な、足掻きを・・・、していたのですわね・・・」

「そのっ、いや、そういうことではなく・・・!」

「いいのですわ、殿下。もう、分かっています・・・、いえ、最初から分かっていたことでしたわ。それでも私の頑張り次第でまだなんとかなるのだと思い込んでいたのですが・・・、ふふ、私、馬鹿ですわね」

「あの、だからそうではなくて・・・!」

「分かりきっていたことを認めず、馬鹿な思い込みをした結果、見苦しい振る舞いばかりをしてしまって・・・、でも、今、ようやく目が覚めましたわ。殿下、申し訳ありません。リロウ様も、本日は色々と申し訳ございませんでした。わ、私の、至らぬ振る舞い・・・、どうぞ、お許しくださいませ、私は、淑女失格ですわ・・・」

「えっと、あの・・・!」

「そんなこと、ございませんわっ! 貴女は素敵な淑女ですし、これからもっと立派な淑女に成長されますわ。私には分かっておりますもの」

「リロウ様・・・」

「目に浮かぶようですわ、貴女の素晴らしいお姿が・・・」


 その目に浮かんでいるのは素晴らしい淑女に成長した彼女の全体像じゃなく、その超限定した一部分だけだろう! という叫びが迸りそうになったが、色々と混乱したうえに焦りもしていたので、その叫びを声として発することはできなかった。そうして僕がもたもたしている間に、元々取り返しがつかないでいた事態は、更に決定的に取り返しがつかなくなってしまう。

 少女はリロウの言葉に微かに体を震わせて涙ぐみ、唇を噛んで下を向いた。一瞬、そのまま泣き出すのかと思ったのだが、彼女はすぐに顔を上げ、目を涙ぐませたままではあったが、それでも精一杯だろう華やかな笑みを浮かべ、胸を張って口を開く。

 その姿は、高位の令嬢として育てられている少女のプライドの現れだったのだろう。凛として、見ていて素直に立派だなと思う姿だった。・・・そんな悠長なこと、思っている場合ではなかったのだが。


「みっともない姿ばかりお見せしていましたのに、そのように仰っていただけるなんて有り難いですわ。期待に添えるように、頑張りますので、是非、見ていてくださいませ」

「えぇ、勿論ですわ!」

「殿下」

「あっ、あぁ、なんだい?」

「本当に、色々と申し訳ありませんでした。リロウ様は・・・、素晴らしい方ですわ。殿下がこうも大切に思われるのも当然ですわね」

「・・・!」

「私の負けですわ。でも、リロウ様に負けるのでしたら、仕方がありません。悔いはありませんわ」


 お二人、お似合いですわ、本当に失礼いたしました・・・、と告げて、彼女はそれ以上の他者からの言葉を拒むように優雅に一礼し、身を翻して去って行った。

 優雅な一礼と同じくらい優雅に浮かべた笑み、その笑みが浮かんだ頬に一筋の涙だけを流して。


「・・・あの涙の伝い方・・・、頬の滑らかさが証明されたようで、素敵でしたわ・・・、先が楽しみ・・・、あぁ、でもあの水滴もいただきたかった・・・」

「・・・あのね、お願いがあるんだけど」

「なんですの?」

「頼むから、少しだけ黙っていてくれる?」

「あぁ、申し訳ありません。そうですわよね・・・、もう、言葉は要りませんわ。無粋でしたわね」

「いや、そういうことじゃなくて・・・」


 去って行った少女を見送る護衛や侍女達は、一人の少女が自分の負けを認めて胸を張って去って行く様に感動したような様子で、リロウのだいぶアレな発言は聞こえていないようだった。多少の距離があり、リロウの声が囁きレベルだったのも幸いしたのだろう。

 しかしすぐ隣にいて、その幸に与れずにしっかりリロウの発言を聞いてしまった僕は、疲れ切った声でリロウのその余計に疲れる発言を止めさせようしたのだが、更に疲れる発言が聞こえてきてしまい、気が遠退きそうになってしまう。第一王子としてのプライドが、そんな無様な真似をこの場で晒すなんて許さなかったのだが。

 そうして僕は、その時点でこれから先の展開を察しないわけにはいかなかった。何故なら僕は完全に敗北してしまっていたのだから。何に敗北したのかといえば、勿論、婚約者選定に僕自身の意思を反映させるという戦いに敗北したのだ。

 つまり、僕はリロウを婚約者候補から外すことができなくなってしまった・・・、というより、もっと最悪の事態を発生させてしまったわけで。

 あの時、去って行った彼女は計算高く野心的である反面、潔い一面もあったのかもしれない。もしくは、無駄な労力をかけない、という賢さがあったということなのかもしれないが、とにかく、僕が解けなかった誤解を持って去って行った彼女はどうやらその一連のやり取りを親に報告したようで、その後すぐ、婚約者候補の辞退を申し出たのだ。

 理由としては自分は僕の婚約者として相応しくない、とも言っていたようだが、それよりなにより、あんなにも僕に思われている相手がいては自分が入り込む余地などないから、というのが最大の理由だったらしい。・・・全く思っている相手なんていないのだけど。

 しかし巨大な誤解に基づいたその申し出は、あっさりと受理されてしまった。

 まぁ、受理されて当然だったのだろう。なんせ、その申し出がある前に、僕のあの時の怒鳴り声などを聞いた護衛や侍女達に生まれた誤解が父上や母上の元に報告されていたようだし、それだけではなく、美しい純愛のような物語として城中にその誤解が広がっていたのだから、それはもう、簡単に受理するに決まっていたのだ。

 本当に、全くの誤解であるというのに。

 でもその誤解を僕が解こうと努力しても照れ隠しだと思われてしまうだけで何も効果はなく、それどころか事態はどんどん悪化していき、僕の心はすでに決まっているという話が広がった結果、婚約者後方の辞退が次々起きていったのだ。

 それも、候補者の中でも高位に位置する家柄ほど早く辞退を申し出てきて・・・、たぶん、無駄な戦いをするよりは早めに辞退して、娘に良い条件の婚約者を早く探そうという計算が働いているのだろう。

 無駄な戦いなんかじゃないので、辞退なんかしないで、是非、戦い続けていただきたかったのだが、それを訴える暇もなく、次々と辞退が起き、誰かが辞退すればまるで釣られたように他の家からも辞退の申し出があって。

 勿論、辞退しない家もあった。候補者達の中では少しだけ爵位が低い、でも十分に僕の婚約者候補になるに相応しいほどには家柄の良い少女達で、訪れた最大のチャンスを簡単には諦められない、ということだったのだろう。

 僕としては諦めてほしくない、というか、もうリロウ以外なら誰でもいいのかもしれない、くらいに思い詰めそうになっているところだったので、そのやる気に漲る少女達や彼女達の親に救われるような気持ちだったのだが・・・、その最後の救いは、僕を一番に思ってくれているはずの僕の両親によって断たれてしまう。


「これ以上、未来ある少女達に無駄な時間を費やさせるわけにはいかない」という、全く見当違いな理由によって。


 父上達の考えでは、僕の選択はもう決まっているのに、それを承知で他の少女達に無駄な期待を持たせてその時間を費やさせることは、少女達の未来を潰すことに等しい、そんな非情なことはするべきではない、ということだった。

 ・・・それを重々しく告げられた僕は瞬間的に気が遠くなってしまって、その所為ですぐに言葉が出てこず、結果としてその声を失っている状態が父上の言葉や母上の何か微笑ましいものを見るような眼差しを肯定する形になってしまったのだ。

 本当に、どうしてその瞬間、全力で父上達の誤解を解かなかったのか、たとえ無様であろうとも一声だけでも上げられなかったのか、自分の咄嗟の反応に、僕はそのすぐ後に真剣に悔やむことになるのだが、王である父が一度下してしまった決定を覆すことは王族の威信にも関わるので、簡単にできることではなく・・・、だから僕はその決定を今度こそしっかり気を遠くして聞く羽目になったのだった。


「ライナス、お前の希望通り、リロウ・エンバー嬢をお前の婚約者として決定することにした」

「よかったわね、ライナス」


 父上と母上に呼び出され、宰相を筆頭に父上の側近達に取り囲まれながら決定としてそれを聞かされた僕は、本当に気が遠くなってしまい、数秒間絶句していた。

 しかしその絶句も、周りからしてみれば喜びのあまり声を失っているようにしか見えなかったらしく、数秒後に意識を取り戻して周りの様子を見てみれば、父上は満足そうな表情で頷いているし、母上も嬉しげな表情で優しく僕を見下ろしているし、周りにいる父上の側近達や、壁際に控えている護衛、侍女達も本当に微笑ましそうに見つめていて・・・、それでも僕の口は母上に視線を戻したその瞬間、口にするべき言葉がまだ見つかっていないにもかかわらず、決死の覚悟で開こうとしていたのだ。


 今、僕の婚約者とて決定したリロウ・エンバーは母上を欲望に満ちた目で見ているのです、母上の危機なのです、と。


 ・・・が、今まで何度となく口にしかけてはリロウのあの無邪気すぎる瞳を思い出し、その将来を潰すことに躊躇して口にできなかったそれをこの状況下で今更口にできるわけもなく、また、その内容をここで口にできるような無難なものに変えることもできないでいるうちに、事態は深刻さを増してしまった。事態は、というか、僕にとっての状況は、ということなのだが。

 母上になんと伝えるべきか、もしくは母上ではなく、父上に向かって訴えるべきなのか、でもそれにしたってどう言えばいいのかと迷っているうちに、背後でドアの開く気配がして。

 振り向くと、なんとそこにはリロウの姿があった。父親である公爵に連れられて入って来たリロウは緊張と興奮を滲ませた頬を紅潮させ、それでも淑女教育の賜物か優雅な足取りを崩すことなく僕がいる部屋の中央まで歩いて来て、公爵に促されるように僕のすぐ隣に佇む。

 そうして横に並んだリロウを半ば呆然と見つめていると、明らかに部屋に入って来た時から母上に注いでいた視線をふいに僕に向け、期待に潤んだ瞳を笑みの形にして、満面の笑みを浮かべたのだ。

 周りがそのリロウの笑みを見た途端、幸福な光景を目の当たりにした微笑ましさに満ちたことに気がついたけれど、僕にはリロウが見せた笑みが周りが認識しているようなものではないことが分かっていた。

 何故なら彼女の潤んだ瞳に浮かんでいたのが、婚約者が決まって嬉しいという乙女な輝きでも喜びでもなく、母上の胸元を凝視していたり無垢な少女の胸部に関する未来の可能性を語っていた時の、欲望に満ちた邪悪なのにある意味一途な、でもやっぱり邪悪だとしか思えない欲望に満ちたそれだったのだから。


 彼女が僕の婚約者に決定したことを喜んでいるのではなく、憧れの母上に近づける位置に選ばれたと喜んでいるだけなのは一目瞭然で。


 これはもうっ、多少、リロウの将来に傷がついても訴えるしかないのでは! と思ったのは、その瞳があまりにも爛々とし過ぎていたからだ。

 しかしようやく固まった決意の元、視線を母上に戻した時には遅かった。最近、全てが遅い僕ではあるけど、この時は本当に決定的なまでに遅くて。・・・まぁ、今までも決定的なほど遅いことばかりが続いてはいたけれど。

 視線を戻した先にいた母上は、僕とリロウを見て・・・、僅かに目を潤ませていた。そしてその目を潤ませたまま、本当に、本当に幸せそうに微笑んで。


「二人とも・・・、大変なことも多いでしょうけれど、これからは二人力を合わせて、頑張って頂戴。私も、貴方達が立派に成長できるよう、力になるから」


 そう、優しい声で僕達に告げたのだ。

 母上の、王妃としてではなく、母としてのその姿に、父上は手を伸ばして優しく母上の肩を抱き、その肩をやっぱり優しく叩いていたし、周囲には感動の空気が満ち溢れ、どこからともなく啜り泣く声すら聞こえてくる。そして隣では、絶対母上とは意味が違うのにそれを周りに気づかれることなく、目を潤ませ続けて母上に何度も頷いている少女の、見た目だけならば健気な姿があって。

 僕は・・・、俯いた。俯くしかなかった。たぶん、周りからすれば深く頷き、母上の言葉に感極まっている姿に見えただろうが、当然、今の僕がそんな心境のわけがなく。


 これ・・・、もう絶対言い出せない状態だよね・・・?


 どう考えても、この空気を壊すことは不可能だった。

 どれだけ言葉を繕っても、言い出せる状況じゃない。だって国のトップと側近達がこの空気に染まっていて、挙句、リロウの父親である公爵までこの場にいるのに、今更、リロウは無理です、なんて言おうものなら、どんな非難が浴びせられるか・・・、いや、非難だけなら説明をすればどうにか分かってもらえるかもしれないが、頭がおかしいとでも思われたら説明すら聞いてもらえず、リロウの将来ではなく、僕の将来に傷がつく可能性がある。

 つまり、ここではもう、口をつぐんで周囲に合わせるしかなくて。そして、今、この場で言い出せないということは、後々、この決定事項に口を挟むことはできない、ということで。


 ようは、リロウとの婚約が決定してしまう、ということで。


 ・・・諦める、しかなかった。そうするより仕方がなくて。

 たった六歳で、僕はその時、僕の将来を諦めるしかなくなってしまったことに、その時、ひたすら絶望を覚えて俯いたまま目を瞑り、気を遠くしていたのだった。



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