最終話 未来
「……ならば、行け」
突き飛ばした彩があの時代に消えていくのを見届け、そして呟く。
「幸せになれよ、彩」
次の瞬間、右手に携えた刀がパキンと音を立てた。
見れば刀身にヒビが入っている。
「やはり偽物では上手く行かぬか」
独り言ちた声は、だがしかしどこか楽し気である。
本物に敵わぬことは承知の上。
むしろ見よう見まねでよくやったものだ、子でもないのに。
だがあと一度だけは何とか持ち堪えてもらわねば困る。
涼し気な紺色の着物を翻し、軽やかな足取りでホームのベンチに向かう。
そして、そこに残されたスマホと鞄を手に取った。
「ほんに人騒がせな女子じゃのう。このせいで余計な仕事が増えるというに」
言葉とは裏腹に、より一層笑いを含み華やいだ声。
しかし彼女のその声を聞く者はいない。
ホームには多くの人間がいたが、彼女が誰かの目に捉えられることは無かった。
今後の彼女が為すべき第一の使命は、このスマホを向こうにつなぐこと。
伊織はかつて、物だけをつなぐことは不可能だと言ったが、からくりが分かれば造作も無い。
つなぎ屋もどきの自分が自らをあの時代につなぎ、向こうにこれを置いてくれば良いだけなのだから。
そして第二の使命は、伊織がこちらにつなぎを行った際に、群がる妖を消し去ること。
当時彼らが訝しむ程に妖が現れなかったのは、未来の自分がこっそり先回りをしたからだ。
あの日、猫は成長した自分が妖を薙ぎ払う姿を確かに見た。
偶然ではないだろう。
目があった未来の自分は、幻そっくりの姿でこちらに笑いかけていた。
「未来のつなぎ屋の正体がワシとは、さすがに誰も気づかなんだ。……あやつらに種明かしが出来れば面白かっただろうがな」
腰まで伸びた黒髪を無造作に束ねて笑うその顔は、本当に幻によく似ていた。
猫はこの秘密を誰にも話さなかった。
もしも事実を告げたとしたら。
伊織や彩ならば、未来まで自分を縛り付けるのは何だのと必要以上に心配したに決まっている。
二人のその表情までもが想像できるようで、猫はくつくつと笑った。
それ程に彼らとの思い出は、今も鮮やかに猫の中に息づいていた。
彼らがいなくなった後の長い長い時間。
そこには無論、新たな出会いもたくさんあったけれども、いつも何処かに物寂しさを感じた。
だが自分には、重要な使命が残されている。
たとえもう会うことは叶わなくとも、彼らのために出来ることがある。
そう思ってこれまで生きてきた。
「これが終われば、ようやくお役御免かのう」
小さく息をついて歩き出したものの。
すぐに視線の先に何かを捉え、再び目を細めて笑った。
「……?」
ホームを歩く数人の男子学生。
その内の一人が、ふと歩みを止め不思議そうに後ろを振り返った。
「どうした、優」
「いや……今、誰かとすれ違わなかった?」
「はぁ? 誰もいないだろ。なんだよ急に」
確かに振り返った先には誰の姿も無い。
では何故なのだろう。
すれ違ったと思った瞬間、何故かとても懐かしい気がしたのは。
「おい、もう電車来るぞ。早くしろよ」
「え? あ、ちょっと待てよ!」
肩からずり落ちかけたバッグを背負い直し、彼は急いで仲間の後を追いかける。
部活用のそのバッグに印字された持ち主の名字。
かつて猫が心から慕った主と同じそれが、彼の背で軽やかに揺れていた。
お立ち寄りいただいた皆様、本当にありがとうございました。




