第三話 二百年
とりあえず、青白い顔でふらふらしている彩を布団に寝かせた。
そして伊織は少し離れた場所に腰を下ろす。
ちなみに寝ている布団は猫の布団だ。
普段使われることのない布団があって助かった。
さすがに自分の布団に寝かせるわけにも行かないだろうし。
「とりあえずこちらも名乗っておく。俺は伊織、月島伊織だ。こっちは猫童。普段の呼び名は猫でいい」
「ねこ……? 変わった名前」
「猫だからのう」
あっさり言ってのける猫を、伊織は慌てて止める。
「これ以上話をややこしくするな。そこは追々でいいから」
「なんじゃ、つまらぬ」
「面白さを求めるな」
伊織は戸惑っている様子の彩に向き直った。
「まずはあんたの話を聞かせてもらわないと。名前は彩、それは間違いないな」
「……うん。宮川、彩」
「猫の言う通り、この時代の人間じゃないと。……それも本当か」
「……この家も、外の景色も、テレビとか教科書でしか見たこと無い。まるで、時代劇のセットみたい」
伊織は腕組みをして難しい顔をして考え込む素振りを見せたが、すぐに音を上げた。
「……何言ってるか、全然分からん」
「あ、ごめんなさい」
「謝ることは無い。こやつが馬鹿なのが悪いのじゃ」
「だから猫は黙ってろって。お前だって結局分からんのだろうが」
「分かる訳が無い。だが否定するものでもあるまい。か弱き娘が心細く思うておると言うに、お主は本当に気が利かぬな」
「それは……まあ、そうかもしれんが」
伊織と猫のやり取りに、僅かに彩が表情を和ませた。
それを見た伊織も、思わずほっとする。
「彩のもともといた時代ってのは、そんなにずっと遠い先なのか?」
「私、日本史は苦手なんだけど、ここって江戸、時代なんだよね。……何年なんだろう」
「今か?今は文政五年だ」
「……それ、分かんないな。でも確か……人群れ見るは江戸幕府……だったから」
「……ひとむれ?」
「徳川の世となって二百年は経っておるな」
「じゃあ、ここは1800年位ってこと、かな。……でも、もし本当にそうなら」
「そうなら?」
「私がいたのって……ここから二百年以上先、かも」
「……なんだって?!」
「年号の記憶が間違ってなければ……多分」
伊織は片手で額を抑えて唸った。
「いやいや……それは、さすがに」
有り得ない。
顔を上げてそう言おうとして、彩と目が合った。
先程と同じく、こちらに訴えかける目だ。
否定すると、まるでこちらが悪者のようではないか。
どうにもこちらに分が悪い。
「え〜と……正直、信じがたいけど。でも、この状況で彩が嘘つく意味も無いな、確かに」
「その着物も随分と我らと違っておるな。それはお主の時代の普段着かの?」
「あ、これは……制服、学校の。学生は……私位の子は大体毎日こういうの着てるよ」
「……少なくとも、今から数年でこれが俺たちの普段着になるとは思えないな」
「信じてくれるの?」
「信じなきゃ始まらないからな。……彩はどうしてこの時代に来たか、心当たりとかは無いのか?」
「……」
「彩?」
「……伊織、さん。あの」
「伊織でいい」
「じゃあ……伊織。私、思い出せないの。自分がここに来る直前まで何をしてたのか、何を考えていたのか。……思い出そうとすると、頭が痛くなって」
名前も分かる。
自分が高校生であったことも。
塾に通っていたことも。
でも、友達や親のことが何一つ思い出せない。
せめてスマホがあれば何か分かると思うのに。
彩がそう言うと、聞きなれない単語に眉を寄せながらも、伊織は頷いた。
「とりあえず、焦るな。きっと、少しずつ思い出していくだろう。……まあ、これも何かの縁だ。俺も彩が元の世に戻れる方法を探してやるから」
「……ありがとう、伊織。猫ちゃん」




