3-23 ヌシ
広瀬川付近の小さな駐車場に車を止めた一行は車外に出た。
本日は平日なせいか、他に車はいない。
「ん? そういや、君って今日は学校があるんじゃなかったのかね?」
今更のように気付いた宗像が少女に問うた。
警察官達が学校さぼりの女子高生を勝手に連れまわしている事になるのだから。
「ええ、でも狂歌様のお言いつけですし、警察への協力ですので問題ありません。
狂歌様が警視総監経由で県警から学校に公暇を要請してくださっていますから大丈夫ですわ」
「そんな話は、聞いていないのだが……」
「ええ、狂歌様がわざと口止めなさっておいででしたので。
いつ気がつくのかなと楽しみに待っておりました」
眷族との繋がりを通して、狂歌がサプライズを楽しみたかっただけらしい。
やれやれという顔で頭を振っていたが、まあいてくれて助かるのには違いない。
「さて、河童殿はどこにおいでなのかのう。
ご在宅なのは、わかっておるのだが」
「それなら、ここだ!」
いきなり背後からかけられた、人ではないだろう事が明らかにわかるような野太い声に振り向いた一行の前に立ちはだかっていたのは。
「わしが、この広瀬川のヌシ、広瀬太郎じゃ」
「誰だ」と誰何する間もなく、そいつは自ら名乗った。
ベタな名前だ!
全員もれなくそう思ったのだが、口に出して言うのは憚られた。
河童にも名前があったのだなと感心する者達。
その巨大な河童! およそ身の丈三メートルあまりか。
昔なら10尺とでも言ったところか。
とてつもない大河童だ。
今までの奴の軽く倍以上の背丈はあるように思える。
横幅もでかい。
横綱河童だ。
「ほう、これは、これは。
わざわざヌシ様の方から、おでましとはな」
「我は只今、この地を守るための留守番よ。
御主等のような怪しげな集団がおったら見過ごせぬわ。
鬼と、鬼と吸血鬼の眷族か。
まともな人間が一人もおらぬな」
それを聞いて、ますます渋い顔の宗像。
妖物から人扱いされていない。
完全に河童の姿も見え、声も聞ける状態だ。
能力的には、対妖魔捜査官としてみれば非常に正しいあり方なのかもしれないが。
「他の場所では、特に留守番役すらいないんですね……」
子供のお留守番なら見かけたのにと思った山崎。
刑事として、子供が一人でお留守番は如何な物かとか思っていたのだ。
やや、ずれた思考の持ち主である、この現役刑事。
「ここのヌシならば丁度良い。
遠野の里への紹介状を書いてくれぬか。
河童の里なる物があるそうなので、訪問してみるかという話になっていたところでな」
「ぬう、この鬼風情めが。
我らの里に何をしにいく気だ。
おのれ」
何故かそう言ってズンズンと、問答無用で掴みかかってくる太郎河童。
「あっはっは。
さすがは妖物。
話がまったく通じんのお。
それでは、お相手いたすか」
そう言って、あっさりと瞬間の煌きと共に鈴鹿へと変身する麗鹿。
それを見て思わず目を輝かせる少女、青山。
彼女の見た映像を、主である狂歌に魅了の絆により送信しているのだろう。
もう、しばらく会えていない敬愛する主へ、お楽しみを届ける至福の一瞬。
そこに何者にも替えがたい繋がりを感じるのだ。
もはや、彼女はその悦楽に激しく熱く濡れそぼっていた。
吸血鬼の眷族というものは、こうなる宿命なのであった。
「おいおい、麗鹿。いや、鈴鹿。
お手柔らかに頼むぞ」
せっかくのコネを作るチャンスが、と慌てる宗像。
何故こうなってしまうのか。
これだから妖物は困るのだ。
そして鈴鹿は掴みかかって来る大河童を、霊力でもなく法力でもなく、また鬼の腕力でもなく、『体術』であっさりと放り投げた。
鈴鹿としての鬼の身体能力と、長年の修業の賜である。
その河童の巨体を支えるために、鬼の強力な体躯を使う事すらない。
河童の進行してくるベクトルに、些かの変化を加えてやっただけだ。
要は人間でも、何らかの達人であるならばできる芸当だ。
こいつの相手を人の身でしたがるかどうかは、また別の話だが。
それと普通の人間には見る事さえできぬ、ましてや触れることなど不可能な相手、妖物なのだから。
大音響と共に、激しく川原に叩きつけられる河童。
飛び散る小石などが周囲数メートルに渡って被害を齎すが、事態を正しく理解してギャラリー達は距離を置いているので大丈夫だ。
麗鹿は羽衣に霊力を通し、小石などを軽く弾き飛ばした。
もしそこに他の人間がいたとしたら、河童もその正体を隠匿する事も出来ずに、敢え無くその姿を進呈してしまうような状態であろう。
もっとも大河童の奴が事前に人払いしていたようではあったのだが。
しばらく身動きする事もできず、息さえも止まったかと思うような様子の河童。
そして、そのままの仰向けに転がった姿勢で息を大きく吐き出すと言った。
「鬼よ、わしの負けじゃ。
鬼の力一つ使わずにこれとはの。
たいしたものだ。
そうとう長く生きた鬼のようだのう。
済まんが、ちょっと起こしてくれぬか」
すると笑顔の鈴鹿はひょいっと手を差し伸べると、片手でその巨体を勢いよく引き揚げた。
細っこい女鬼に、鬼の力一つ使わずに無様に投げられてしまって、まったくもって格好のつかない大河童は座り込んで頭をかいている。
「どうやら、御主等は河童に害意があってきたわけではなさそうだの。
鬼よ、いったい何をしに、ここに参った」
先ほどとはうって変わって、穏やかな声で尋ねてくる大河童。
「何、お前らが頻繁に姿を現すので、何か良くない事でも起こるのではないかと人の長共が右往左往しておる。
役人のそいつに調べて回らせておるのさ。
まあ、それに付き合うわたしは美味しい思いができているので何も困らぬがな。
むしろ、ありがたいくらいだ。
この仙台も美味い物が仰山あるわいのう」
そう言って細身の割にはボリュームのある胸を張り、高笑いする鈴鹿。
やれやれと、やはり自分も頭をかく宗像。
そして河童は胡坐をかいて、大笑いしている。
図体がでかいので、その緑色の体躯は不気味だ。
表情は底抜けといった感じの笑顔で満たされているので恐ろしくはないのだが。
「はっはっは、そうであったか。
人の子よ、騒がせて済まぬな。
それもこれも、皆、爺様達が悪いわ。
ほんに、あの爺様達と来た日には」
「ここでもそういう風に言うのか。
河童の世界では、そんなに爺さん達が発言権を持っているのかな?」
「まあな。
河童の世界には年寄りの言う事は尊重すべしという伝統があってな。
爺さん達も色々とやらかしてくれたりするが、それでも経験から来る思慮深さで河童を導いてきたのだ。
そうおいそれと無碍にもできんよ」
そういう事だったかと鳴鈴も得心し、軽く一つ鍔を鳴らした。
まあ、どこの世界にもありがちな事なのだが。
「それで、その。
貴方様に河童の里への紹介状というのを書いていただくわけには?」
少しはご機嫌が戻った様子の大河童に、恐る恐るお伺いを立てる宗像。
「まあ、いいだろう。
かなり会議に出払っておるだろうから、里にもそう数が残っている訳ではなかろうがな。
まあ行って来い。
あまり良い扱いは受けぬと思うがな」
そう言って大河童は、何なのかその材質もはっきりしない紙のような物を、まるで何も無い場所からその場で作り出したかのように、突然に宙から取り出した。
掌を突き出して妖術を用い、その紙に何かの絵と文字のようなものを焼き付けた。
さしずめ河童の紹介状というわけだ。
紙もおそらくは霊装のように河童の力で生み出されたものだろう。
本当であれば人には見えぬはずなのだが、宗像と山崎はその事に、これっぽっちも気付いてはいなかった。




