3-16 河童の子
「鬼のお姉ちゃん、すごーい」
河童の子供は大喜びではしゃいだ。そして言った。
「最初は、僕が鬼だからねー!」
どうやら、お留守番をさせられて少々退屈を持て余していたようだ。
退屈は麗鹿自身も歓迎せざる物ではあるのだが。
「やれやれ。
では仕方が無い。いくぞよ」
それを聞いて、バシャバシャと激しく水を撥ねる河童の子供。
河童は人の目には見えず、水飛沫だけが激しく跳ね回る。
たまたま見ていた観光客の親子連れが不思議そうな顔をしていたが、突然に子供が水面を指差して叫んだ。
「見て、河童!」
それを見て宗像も苦い顔だ。
河童達がドタバタやっていると、こういう具合に見えてしまう事も多いのだろう。
そして今、宗像はこうして河童探しの悲壮な旅に出ねばならなくなってきているのだから。
「え、どこに?
もう! 河童なんているわけがないじゃないの」
「でも、お母さん。
今、全国で目撃例があるんだよ」
「きっと、デマよ、デマ。
それより、お昼食べに行きましょうよ。
隆君は何がいいのかな?」
しばし子供は考えたが、にっこり笑って答えた。
「お寿司! 僕、かっぱ巻きが食べたい」
そして幸いな事に、河童捕り物というか、鬼と河童の鬼ごっこの目撃者は碌に騒ぐ事もなく立ち去った。
「やれやれ。
麗鹿、早いところ頼むぞ」
そんな宗像の思いを余所に、案外と麗鹿は結構楽しんでいた。
「そーれ、河童の小僧。
捕まえちゃうぞー」
「きゃあ、鬼さんがきたー」
鬼ごっこの鬼は河童の方だったはずなのだが、何時の間にか本物の鬼が河童を追いかけている。
河童は水飛沫を激しく飛ばすが、鬼は至って優雅に波紋一つ残さずに鬼を追う。
一頻り、河童の子を楽しませた上で、ひょいっとその可愛い手を掴んだ。
「あーん、掴まっちゃったー。
今度は何して遊ぶ?」
「じゃあ、ちょっと胡瓜でも齧りながらお話をせんか?」
「うん!」
胡瓜と聞いて、顔を水面に映す太陽の如くに綻ばせる河童の子。
「ねえ、ねえ、何のお話をする?」
胡瓜を片手に、わくわくしながら麗鹿に体を預けてくる。
「そうだな、お前のパパとママのお話でどうだ」
「えー、もっと楽しいお話がいいのにー。
パパとママは、どこか行っちゃってお留守番だしさあ」
「どこに行ったのだ?」
「さあ、北の方。
遠くに行ったんだって。
しばらく帰れないから、人間に見つからないようにって。
でも、お姉ちゃんは鬼だからいいよね」
それを聞いて笑う麗鹿。
あまりにもバシャバシャとやり過ぎて、さっきから何人かの人間に見咎められていたようなので。
だが、そう簡単に人が水の神様に仇を為す事は難しい。
へたすれば、この子供にだって羆の一頭二頭は片付けられるのだから。
「いつ帰ると?」
「わかんない。
河童の爺様達の気の済むまでだってさ。
集まるのは、ずっと北の方なんだって」
「そうか、ありがとう」
それから、子供はじっと麗鹿を見ていた。
「ねえ、もう行っちゃうの?」
その縋るような目を見た麗鹿は笑って言った。
「もう少し一緒に遊ぼうか」
「本当!」
きらきらとした宝石のような瞳。
人であれ妖しであれ、子供特有の眩しい至宝であった。
「ちょっと待っていておくれ」
彼女はタンっと軽やかに堀の上に飛び上がると、山崎に声をかけた。
「おい、田川の方の様子を見て来い」
「え、麗鹿さんは?」
「河童の童と、もう少し遊ぶ約束をした。
夕飯までには迎えに来い。
夕飯処のチェックは怠るなよ。
ついでに行けたら、その辺の水場も見て来い。
無理はせんでいい。
子供の口ぶりからすると、この辺りにいる大人の河童はもういないのではないかな。
では行け」
そう言うなり、麗鹿は山崎の首筋に鬼の接吻を与えた。
「うひょおー、れ、れ、麗鹿さーん!」
叫びながら飛び掛ってくる山崎を手刀の一撃で軽く大地に沈めると、それの襟首を摘み上げ宗像の方に向き直る。
「これで、奴の河童レーダーは鋭敏になり河童も見られるだろう。
多分いないとは思うが一緒に見て回ってくれ」
河童の子供と遊ぶ。
ただ、それだけの為に、こういう真似をするのだ。
そう言えば、彼女には娘が一人いるのだったなと宗像は思い出した。
確か、りんという。
今は英国に渡っているのであったか。
今はあの国で請われて闇斬りをしているという。
この飲んだくれ鬼も、また人の親であったのだ。
今、この河童の子に、あのガルーダや狂い鬼などがちょっかいをかけようものなら、変身した鈴鹿にその場で八つ裂きにされるであろう。




