1-18 浄魔が時
「鬼が、鬼風情が。
おのれ、おのれ、おのれ。
あの人をどこへやった。
返せ、わしの……あたしのあの人、源ノ進様を」
そして、その妖物の瞳は哀しみに満ち、そしてその顔は人のそれ、まだ若く美しい女姓の顔へと変わっていった。
どうやら、そいつに残された時間はもう長くはないようだ。
どうも、結われた髪から察するに昔の女姓のようであった。
鈴鹿も微妙に顔を歪めた。
どうやら年季のいった相手のようだった。
「お前、生まれと、生まれた年月日はいつだ」
「生まれは江戸。
生まれたのは、寛永……元年です」
(寛永元年。
西暦で1624年か。
今から四百年近く前の生まれか。
それは『あの人』も、もうこの世にはいないわなあ)
「お前は何故、そのような姿になっているんだ。
よほど魂が迷わねば、そうはならぬぞ」
「迷う? あたしの魂は迷っているのですか?」
「やれやれ自覚なしか」
こういうのは一番始末が悪い。
また迷ったりしないよう、話だけは誰かが聞いてやらねばならぬのだ。
「したいというのなら話をするがいい。
残された、お前の時は短い」
ガルーダの頭に浮かび上がったその女は、言われた言葉を反芻するかのように噛み締めていたが、やがて語りだした。
「源ノ進様は、あたしと幼馴染で、小さな頃からいつも一緒に遊んでおりました。
いつの頃からか、好きあって男女の仲となり、夫婦になる約束をしておりました。
ですが、あたしはしがない町人の娘。
彼は武家の家柄、しかも跡取り息子でした。
徳川の世も、ようやく落ち着きを見せるものの、まだ世に騒乱の種は尽きぬ、そんな頃合であったように思います」
(なるほど、あの時代か。
わしも同じ時代を生きたが、確かに武家の跡取りと町人の娘では厳しかろうな)
段々と話の結末が見えてきたものか、嫌そうな顔をする鈴鹿。
それを宥めるように、もう既に鞘に収められていた鳴鈴が、カチカチと鞘との間で軽く小さく鍔を鳴らした。
「やがて、彼は上位の武家の御嬢様との婚儀話が出てまいりました。
彼も苦悩いたしました。
あたしは身を引く覚悟で別れを切り出したのですが、
彼はよい顔はしておりませなんだ。
あたしは、『御家の事が一番なんだから、ね』と宥めたものです。
ですが、間の悪い事に、あたしには『やや』ができてしまいました。
それを知った源ノ進様は、わたしを連れて逃げたのです。
駆け落ちです」
あっちゃあ、という顔で、眉間に皺を寄せる鈴鹿。
当時を生きたものであるならば、当然この話の結末が通常は幸せなものではない事が明らかにわかる。
そもそも、幸せな結末であったなら、この女がこんな化け物になど成り果てているものか。
続きは聞きたくない。
そんな気持ちでいっぱいであったが、女はもう「何があっても、お話だけは聞いてもらいますよ」モードに入っている。
鳴鈴も、まるで「諦めろ」と言わんばかりに大きく一度鍔を鳴らした。
どの道、この話を聞き終えて、こいつを成仏させてやるのは、わしの役目なのらしい、と早々に諦める鈴鹿。
「そして、お腹にややのいる女の足では、追っ手を逃れる事はできなかったのです。
そして、あたし達は江戸に連れ戻され、二人は引き離されました。
あたしは泣き崩れているばかりですが、源ノ進様は、あたしの名をずっと叫んでおりました。
お腹の子は無理が祟って流産してしまいました。
ですが、それを知らない源ノ進様の家の方は、あたしを亡き者にしようと」
(く~。どこの家の奴だ。
そんなふざけた真似をして後世に迷惑かけた馬鹿は)
「狩り出され、追い詰められ、犯されて、嬲り者になったあたしは、無残に切り殺され川に捨てられました。
それから、あたしは幽鬼となり果て、毎夜源ノ進様を求めてさ迷う怪異になったのです。
意識も定かではなく、彼の家の場所さえも朧気で、ただただ源ノ進様恋しさに江戸の街を彷徨いました」
「ああ、お前ってば、もう当時からアレだったのか。
まさに今回の鳥そのものではないか。
過去の再現映像のようなものだの」
半ば諦めたような気持ちで、この陰鬱とした気持ちを押し流すために、帰ってからの打ち上げは絶対に飲み放題コースで宗像に奢らせると誓った鈴鹿。
「それを知った源ノ進様の家の者は震え上がり、全てを源ノ進様に打ち明けたのです。
彼は怒り、怒鳴り、泣いて、そして声も無く打ち震え。
そして謝ってくれました。
『綾乃、すまない、すまない』と。
あたしは、たまたま、あたしを犯し切り捨てた男の一人を見つけ、その後をつけていって辿りついたのが源ノ進様の御屋敷だったのです。
そして、その現場に居合わせました。
あたしの蟠りは急速に消えうせ、その日以降は妖しとして夜を騒がせる事は無くなったのです」
普通なら、「いい話じゃないか」で終わりそうなものだが、きっとそうじゃない。
「そして、彼はあたしのために立派な塚を建て、祀ってくださったのです。
毎月の命日には線香を上げ、家人にも『努々(ゆめゆめ)、この塚をおろそかにしてはならぬ』と言い含めてくださいました。
それはとてもよい気持ちで、あたしはまるで全身が温かくなるような不思議な感覚に包まれて、そしてわたしの意識は消えていったのです」
そこで鈴鹿は首を捻った。
「おい、普通なら、それで成仏したんじゃないのか?」
「はい、あたしもそう思っていたのだけれど、煩い音で目が覚めたのです」
「霊が煩いって……成仏したのに、目が覚めただと?」
「え、ええ。
どうやら、あまりにも源ノ進様があたしに手厚くしてくれたのが嬉しくて、塚に魂が縛り付けられてしまっていたようです」
ああ……守り霊という奴か。
その家の事を思うあまり、負の情念ではなく正の情念で縛られてしまう霊もたまにある。
滅多に無いのだがな。
そういうのって普通は成仏するものだから。
こやつ、よほどその源ノ進とやらが恋しかったとみえる。
それに一旦負の方向に振れたものが反動で一気に正に戻ったからな。
普通は、その家を守り、子孫にも加護というか福というかを与えてくれる、いわば家単位での神格化された存在というか、そういうものだ。
座敷童子とは、また違うのだが。
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