1-17 川原の決闘
その男、山田静生は川原を歩いていた。
朝っぱらから競艇場に行き、その帰りなのだ。
まだ昼前だというのに。
まだ早い時間なのだが、早々に勝負をかけて散ったようだ。
「かーっ、ベテランの癖に、あそこで飛ぶかよ。
ちったあ、こらえろや。
いけると思ったんだがなあ。
ワイドならいけてたなあ。
もう、今度から三連単で勝負するのはよそう」
どうやら、競艇で少ない小遣いを注ぎ込んで大勝負を挑んで虚しく散ったらしい。
そんな時は、帰り道にあるこの川原で石を投げて憂さを晴らすのだ。
この川の水を取り込んでやっている競艇場だからだ。
現地では「バッキャロー」とか叫んでくるのだが、石を投げると怒られるので。
自分は負け組人生のまま終わってしまうのかなといつも思っていて、いつか一発当てたいとか考えてしまい、どうしても何もかもが大振りになる。
典型的な負け組人生であった。
だが、今日は彼の人生において転機になるような記念日となったやもしれぬ。
その声は、彼の背後からかけられた。
何か陰気な女の声のように感じた。
「愛しい者よ。お前様は、また我を愛するかえ?」
「なんだあ?」
だが、何気に振り向いた山田は凍りつき、そして声を失った。
そこには鳥がいたのだ。
ただの鳥ではない、悪魔のような妖鳥が。
巨大な羽根を広げ、羽ばたき一つせずにピタリと宙に浮く姿は異様な雰囲気を放っていた。
(ば、ば、ば、化け物~~)
怪異という物に出会った時、人の反応は、その各々の性格により様々なようだ。
この山田は『声も出せずに凍りつく』を選択した。
ただただ震え、立ち尽くす。
足は根が生えたかのように動かない。
足だけが一歩も動かず体中が震えまくりという、奇妙な彫像と化していた。
やがて様々な体液を垂れ流した挙句に、一番量の多い物を排出しはじめ、川原を広く濡らしていった。
どこまで、それを広げるのかと思うほど、それは引きも切らずに流れていった。
自ら作り出した湯気に包まれて恐怖にわななく表情は、今や彼の目前数センチまで突きつけられた、凶悪で醜悪な鳥の顔に吸い寄せられていた。
恐怖に失神する事さえ許さぬほどの物理的な圧力さえ感じる禍々しさ。
圧倒的存在。
妖気・覇気・瘴気。
吹き付ける悪意の塊のような気。
それはもう濃密な大気と化したような圧力を伴って吹き付けてきていた。
まるで粘性を持った濃厚な半固体であるかのようにドロリと。
それは彼の目をじっと覗き込み、見続けていた。
そして、その顔は悲しげに曇ると同時に彼から徐々に離れていった。
これから死の前奏曲が奏でられるのだ。
悪魔の爪が持ち上げられていき、彼の方を向いた。
ただその時を待って、声すら出せず恐怖に打ち震え、己の動かぬ足を呪い、叱咤するだけの虚しい時間。
だが、それは確実に彼の寿命を縮めていった。
(誰か、誰か、誰かー)
そう。
いつも誰かがなんとかしてくれる。
そう思い、自分では何の努力もしてこなかった人生。
今、そのツケを払う時がやってきたのだ。
その瞬間、彼は目を瞑った。
そして、激しい金属音、あるいは何かの不思議な楽器が奏でたかのような鋭い音楽ならぬ天楽に、眼を見開いた彼が見たものは。
赤の塊。
まさに全身赤い人だった。
しかしそれは、まるで何かの祭りか儀式の時に現われるような神聖な雰囲気を放っていた。
(女?)
そして、あろう事か、刀で鳥と切り結んでいた。
この鳥、圧倒的に禍々しいのだが、確かに手のような物を持っていて刀を握っている。
思わず眼をまん丸にして呆ける。
だが、そこへ。
「馬鹿者、何をしておるか。
さっさと逃げんか、この足手纏いが!」
「ひ、ひ、ひえーーーー」
怪物に睨まれた時は恐ろしくて声も出なかったのだが、その緋装束の美しい女に怒鳴られたら、我ながら情けないと思うような声が勝手に喉を通り、足もいつのまにか勝手に動いた。
恐ろしかったのだ。
鳥よりも何よりも、あの女の方が。
美しい風体ではあったが、あれは人間ではない。
あの鳥をも凌駕する、恐ろしい『何か』だ。
恐くて恐くて、ただ走った、走った。
山田は走った。
洩らした小水でズボンも靴も濡れそぼり、ビタビタと音を立てながら。
生涯、これほどまでに真剣に走った事など無いのではと思うほどに、ただひたすらに、ひた走った。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、一体なんだっていうんだ。
くそっ、くそっ」
その日は小便まみれで家に帰り、家族から呆れたような眼で見られたのだが、その日以来、彼は人が変わったようになって仕事に打ち込み、やがて役職も貰えるようになっていったのであった。
そして川原では、美しい者と醜悪な物とが人外の決闘を続けていた。
鈴鹿は、霊力で奴の空間妖力を封じ、また結界を敷き、戦いを人の目より隠し、また人払いを行なっていた。
「あざ丸、しし丸、友切丸」
三体の眷属剣が姿を現し、天を突く白刃が臣下の如くに鈴鹿の脇に控える。
「奴の動きを封じよ」
踊りかかった霊剣達は、鳥の機動力の要である羽の付け根に二つと、その造形から考えられる中心部分に一つ、突き立った。
その中心部分は『心点』と呼ばれ、多くの妖魔の急所といえる妖核を持つ部分だ。
だがこいつは、妖核捜しに手慣れた友切丸に、おそらくはそれを貫かれているだろうに、地面に落ちただけで未だにもがき続けていた。
更に大型化した剣達に、更に力強く地面に縫い付けられても、暴れてその戒めから逃れようとしていた。
だから、鈴鹿も「封じよ」と言っただけだ。
こいつのように、怨念だけで動いているような妖物は、妖核を刺し貫いたくらいでは簡単には倒せぬ。
更に動きを封じるために、三本の太刀達は奴を地面に深く縫い付けていった。
もう、さしものこいつも身動きも碌にできまい。
その気であれば、このまま数千年封じておく事も可能だろう。
「鳴鈴。他の鳥はもう出てこれぬのか?」
「あんな非常識な真似は、極楽鳥ガルーダといえども、そうそう出来るものではない。
あんな真似をしでかしたので、この本体のガルーダ、というか極楽鳥自身も力を消耗しておる。
その分の愉悦は大きかったであろうが。
それも、まあここまでであろう」
「そうか」
そう言ってから、まだこちらを睨んでいる極楽鳥ガルーダの頭へと近寄っていった。
「さて、何か言い残す事があるならば聞いておこうか、鳥」
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