終章『背徳者には佷(イスカ)し態を』
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季節は冬。
雪の降る日にマスカレードは執り行われた。
仄かに光の灯るシャンデリア。
極限まで磨かれ、人の顔さえ映り込む大理石に反射し煌めいている。
立食式の長テーブルには豪華な食事が並べられ、オイルランプが辺りを神秘的に照らし出す。
その光景を見て、入り口で一瞬足が止まるも構わず歩き出す。
深い群青一色の膝丈ドレスが、踏み出すたびにふわりと揺れた。
上に羽織った白いボレロが直に肌に触れてこそばゆい。
選んだ中ではこれが一番控えめなドレスだ。
ショートラインのドレスも魅力的だったけれど、自分に合わない事は承知しているため、手に取った時点で諦めた。
催し当日の今日、どれだけ憂鬱な気分で服装チェックを行ったのか、考えるだけで頭が痛い。
俯いてため息を吐くと、耳に揺れるドレスと同色のイヤリングが目端で光る。
ああ、まったく嫌になる。
「そんな顔をするな。めかしているんだ。
今日ばかりは気張りしない方がいい」
つまり、気楽に行けと言いたいのだろう。
事もなげに言ってのけた、隣に立つ男を上目に睨み付ける。
「…これで顔色なんて、どうせ分からないくせに」
ほんの少し傾いた目元の物を正しながら、そっぽを向く。
そんな私を見兼ねてか、仮面越しでも隠しきれない美顔で覗き込んでくる。
「すまない。俺の誘いは強引だったか?」
縮こまり、明らかに顔色を伺う素振りを見せられては、何も言えるわけがない。
喉元まで出掛かった、苛立ちを孕んだ抗議の言葉は飲み込んだ。
「…別に。貴方の所為とは言ってないから。
私が勝手にイライラしているだけ」
双方、口を開けずにいると会場前方の大舞台にスポットライトが照らされた。
立っているのは今日の司会であろう、この学園の理事長。
「皆様。今宵はお忙しい中、お集まり頂きまして誠に有難うございます。
今日ここに舞踏祭を開催することが出来たのは、我が校の生徒達、先生方の助けがあってこそです。
年に一度の舞踏祭。羽を伸ばしてどうぞ楽しんでいらしてください」
来校者に向けたであろう短い祝辞を並べたて、早々に次の段階へと移る。
外部からのお偉方の紹介が一人一人と始められる。
これが見せ場なのだから当然の流れではあるのだろう。
舞踏祭が始まって早々に、瑠架はお偉方の挨拶回りに忙しそうだ。
私はというと、隅の方で絡まれないようグラスに注がれたドリンクを1人飲んでいた。
「椿ちゃん」
不意に呼ばれて顔を上げると、そこにいたのは深門だった。
流石、仮面越しでも分かる美形だ。
「こんなところでどうしたの?」
「別に」
「僕もちょうど飲むところなんだ。乾杯しない?」
「いいけど、一度外に出ない?」
周囲の視線を感じて、一緒にいるのはまずいと思い提案する。
バルコニーに出ると、夜風が頬を撫でる。
風が気持ちいい。
「はい、乾杯」
カチン、とグラスを合わせて一気に煽る。
「深門は……中にいなくていいの?」
「別に、僕一人くらいいなくても平気だよ。
それより、もうアルニスとは呼んでくれないのかい?」
「……記憶がまだちゃんと戻っていないの」
この人との記憶は、はっきりとは思い出せない。
彼女ーールイは、この人にどんなふうに接していたのだろう。
「記憶が戻らないのは不安かい?」
「…‥少し。きっと。あの人が私を通して見ているのはルイに違いないから……」
不安に、なるのだ。
深門は笑みを刻んだまま、グラスを置いて近付いてきた。
「やっぱり、君が好きになるのはあいつなんだね。なら……」
「もう、いいや」と、そんな声が聞こえて首を傾げる。
何が……と、問いかけようとした。
「っ…ぐ、」
次の瞬間には、私の背中は地面に叩きつけられていた。
双方の仮面が外れて、カランと床に転がる。
これはどういう状況だろう。
首を絞められて、声がうまく出せない。
突然、何が起きたのかも分からずに、首に手をかける深門の手を苦しさから引っかいた。
「っはは、どうしてだろうね。君はどうしていつも僕以外のところへ行ってしまうんだろう。
いつもいつも感じていたよ。なんて無力で、惨めったらしいんだろうって。他の奴に奪われるくらいなら、君を殺して、そうして来世にまた出会って恋仲になるのも悪くない」
ギチギチ、と嫌な音が聞こえる。
彼は、本気なのだろうか。
本気で私を殺そうと…?
「っう、あぁっ…!」
首を絞められているのとは無関係に、頭が痛みを訴える。
ズキンズキン。
痛い、痛い、痛い。
いつかの時を思い出す。
これは、記憶が戻る予兆だ。
《いつまで隠れているの?
人目を忍んで遠くから、私を面白がっているのかしら。悪い人ね》
《貴方からはいつも、酔いそうなくらいに甘い薔薇の香りがするの》
《この香りで、近くにいたらすぐに分かるわ》
《貴方が私の側にいてくれるから、貴方の隣にいたいと私は甘えてしまう》
《花冠を作ったの。上手にはできなかったけれど、もらってくれる?》
《ふふ。その花冠、貴方には似合わないわね》
《幽閉されて辛いことなんてないわ。だって貴方がいてくれるもの》
《アルニス。優しくて愛しい、私だけの友人》
……そうだった。
こんなにも優しい記憶を、私はどうして忘れていたんだろう。
病弱で人の目にも触れられないよう幽閉され、外に出ることも叶わなかった私ーールイを、連れ出してくれた。
『ルイのためなら、邪魔なもの全部消してあげる』
誰よりも優しくて、でもどこか不安定なその心を救ってあげたかった。
この可哀想な、自分と何ら変わらぬ年でその相応さを見出す青年を支えてあげたかった。
けれども彼は禁忌を犯してしまった。
私のために。
「アル、ニス…」
かつての友人の名を呼び、意識が途切れそうになった時。
「椿…っ!!」
深門を押し退けて、瑠架が私を抱き起こす。
首を絞めていた手がよけられて、急激に酸素を求めて必死に息をしようとするけれど。
「げほっ、ゴホッゴホ…っ」
咳が止まらない。
まるで息の仕方を忘れたよう。
「だいじょぶか、間宮ちゃん」
利央に顔を覗き込まれて、必死に頷く。
私、生きてる…?
背中をさすってくれる温かい手。
瑠架の優しい手つきにホッと安堵した。
徐々に呼吸ができるようになってきた。
「彼女に何をした」
底冷えするような声色。
瑠架が怒っている。
止めないと。
深門だけが悪いわけじゃない。
私が、彼を理解してあげられなかったから。
記憶が戻らなかったのは、私が気圧されていたからだ。
誰のことも信じられなかったから。
こうなってしまったのは、私が招いた結果なのだ。
「瑠架」
やめて、と手で制して押しのける。
深門は、離れたところで静かに涙を流していた。
どうしてなのか分からない。
彼を受け入れてあげられなかった私が彼に何かを言っても、それは同情にしかならない。
ただ彼を憐んでいるようにしか見えないだろう。
だから……
「アルニス」
一言、そう呼ぶと深門はゆっくりと私を見る。
まるで迷子になった幼い子供のようで、抱きしめてあげたい衝動に駆られる。
だけど、私が彼にしてあげられることなど何もない。
ただ、これだけは言いたかった。
「全部を壊してくれてありがとう。
大人達から救ってくれて、本当にありがとう」
目を見開いた深門は、何度か瞬いたのち、ゆっくりと笑みを浮かべた。
綺麗な泣き顔に、幼子のような笑みを見せて。
「ルイのためにしたことが許されるなら、それこそが僕にとっての救いだよ。
……こちらこそ、ありがとう。酷いことをしてごめん」
そう言い残して、ふらりと立ち上がった深門は、一人バルコニーから姿を消した。
心臓が痛い。胸が苦しい。
せめてどうか、今後のあの人が本当の意味で幸せになれますように。
そう願って後ろ姿を見送った。
「良かったのか?」
「……うん。あの人には私しかいないと思わせたらいけないから」
だから、追わない。
ところで、どうして彼らがここにいるのだろう。
瑠架と利央を見て、小さく首を傾げる。
「瑠架のやつ、間宮ちゃんなら壁の花になっててもおかしくないのに、どこにもいないからって心配してたんだよ」
気付いた利央が説明してくれた。
壁の花……。
本当にそう思っていたらすこし可笑しな話だ。
その後、利央は気を利かせて2人きりにしてくれた。
ちょうど良い。
私はこの人に聞きたいことがあったから。
「瑠架は、私があの人に似ているから気にかけてくれるの?」
似ている、だなんておかしな話。
全部の記憶を取り戻して、ルイと私は本当に一人の人間になったというのに。
けれど、この人はきっと「似ているから」とは言いはしない。
そう、流石に口にはしないでしょう――…?
そんな一縷の望みは、複雑そうに歪んだ瑠架の表情を見て、消え去った。
言わないだけであって、心中ではあの人を想っている……?
少なくとも、私にはそう思えてしまった。
顔が曇っていくのが自分でもよく分かる。
期待は元より、最初から持たない方が互いの為になっていただろうか。
この人に出会うまでの私は、確かにそれを分かっていたはずだ。
……と、不安を抱えた私に掛けられたのは、最悪の結果ではなかった。
グラつく心に、それを掬うが如く、溶け込むようにはっきりとした口調で告げられる。
「違う」
そう、言ったのだ。
「俺がお前を求める理由は何も、お前があの人に似ているから、同一人物だから、というだけではない。
お前がお前でいてくれたからだ。だからまた、惹かれてしまった」
その場を凌ぐための嘘かもしれない。
けれど、そんな言葉で救われた気になってしまう私はやっぱり単純なのだろう。
否、正確にはこの人にのみ甘くなってしまうのかもしれない。
それでも、一抹の安心感を得たのは確か。
感情も表情すら乏しかった私が、一喜一憂してしまうのは彼にのみ。
それを、目の前で瞳を揺らして覗き込む当人は、きっと知らない。
どちらの方が嬉しかったのだろう。
どちらの想いが勝っていたのだろう。
惹かれる想いに終わりが来ないことを願ってしまう。
「確かに境遇はルイも椿も変わらないだろう。敬遠され、存在すら否定されてきた過去は通ずるものがある。だが、それだけだろう?
ルイは天真爛漫で、いつも俺は振り回されていた。対して椿は、周囲から隔絶され、それすら受け入れてきた。境遇は同じでも思考は全くの別物だ」
「……確かに、そうかもしれない。ルイと私が同化したことでそれを強く感じてる」
「同化?」
「前世の記憶が全て戻ったの」
私の言葉を聞いて、驚く瑠架の表情が窺える。
それは、どういう心境なのだろう。
喜んでいるのか、はたまた落胆しているのか。
「正直、まだ混乱してるの。それでも分かる」
「…?」
「私、貴方が好き」
瑠架の目が、限界まで見開かれる。
「ルイの心も椿の心も、貴方を欲しているのが分かるの。これは、想っていてはいけないもの?」
「っそんなわけないだろう!」
私の言葉を全力で否定してくる瑠架。
こんなにも感情を露わにする彼は初めて見た。
今度は私が目を見開く番だった。
「どちらの想いも尊ぶべきものだ。俺はルイも椿も、どちらも愛したい。
俺の中には、ルイの恋人だった神威がいる。お前はどちらも選べずに俺を拒否するか?」
「拒否なんて、絶対にしない」
言っていて気付く。
「そうだろう。俺も同じ気持ちだ」
瑠架の言葉には、真摯に私を受け止めてくれる強い想いが込められている。
そうだ、この想いは諦めなくてもいいものなのだ。
ルイか、椿かなんて、もはや関係ない。
私は私でいていいのだと、瑠架はそう言ってくれているのだ。
「貴方の言葉は、まるで魔法みたい」
どんな暗い感情も、彼の前では無意味だ。
悩む余地すらない。
もっと早く話しておけばよかったのに。
つい、笑ってしまう。
瑠架はそんな私を見て満足そうに手を差し出す。
「今日はマスカレードだ。仮面を付けていれば誰も分からない」
「…?そうね」
「だから、俺とお前が踊っても、普段のような突き刺す視線に辟易しなくていいと言うことだ」
「確かに」
瑠架はどこに行っても注目される。
けれど今なら、きっと誤魔化せる。
私も遠慮しなくていい。
今日は少しだけ、素直になってみよう。
「俺と踊ってくれないか?」
「っはい…!」
願わくば……
前世の彼らに祝福がありますように。
そうして共に、これからを生きていきましょう。
愛する人の隣で、ずっとーー…。
《終》
これにて終幕です。
お読み頂きありがとうございました!




