01 転生したのに八方塞がりとはこれ如何に
「愛しているよ、ナタリア」
王城の中庭から聞こえてきた密やかな声に、私は思わず息を呑んだ。
王家主催の夜会の真っ只中。
姿を消した婚約者を探す私の耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた彼の声。
私ではない令嬢の名を愛おしげに呼ぶその艶めいた声色に、私はピタリと足を止める。
「私も愛しております、テオドルス様」
ささやくような女性の声は、甘えるような媚びを含んでいた。
「……でも、やっぱり嫌ですわ。あなたがもうすぐラウラと結婚してしまうなんて……」
ため息交じりの切なげな口調に、男はすぐさま言葉を返す。
「ラウラとの婚姻は、王命だからね。第二王子という立場上、高位貴族の婿入り先はどうしても必要になる。しかし彼女と結婚したとしても、僕の愛は永遠に君のものだと知っているだろう?」
「そうですわね。ラウラも気の毒なこと。あんなにもあなたに夢中で、あなたからも愛されていると思い込んでいるのに、本当は露ほども愛されていないのだから」
「まあ、扱いやすい女で助かっているよ。完璧な婚約者のふりをしてちょっと優しく接してやれば、勝手に勘違いしてあれこれと尽くしてくれる。婚約者としては、申し分のない最高の相手だよ」
「ふふ、ひどい方。真実を知ったら、彼女どんな顔をするのかしら?」
「多少は驚くかもしれないが、あいつは僕にべた惚れだからね。なんだかんだ言っても、最後にはすべて受け入れてくれるはずだ。いずれは君のことも明かして屋敷に迎え入れるつもりだから、それまで僕を信じて待っていてほしい」
「ああ、テオドルス様……」
不意に話し声が途切れたかと思うと、代わりに聞こえてきたのはなまめかしい息遣いとみだらな喘ぎ声。
図らずも耳にしてしまった信じられない残酷な事実に、私は踵を返して廊下を駆け戻った。
なぜ、どうして、という言葉が頭の中を埋め尽くす。
衝撃と混乱に襲われて、だんだん呼吸が浅くなる。
耐え切れなくなった私は、そのまま意識を失ってしまったのだった。
◇・◇・◇
目が覚めた瞬間、頭の中に見たこともない映像がどっと流れ込んできた。
手のひらの上で操作する不思議な魔法の板、その中に次々と映し出される賑やかに動く絵、馬はいないのに人を乗せて走る大きな箱、天高くそびえるたくさんの銀色の塔――――。
「……これってもしかして、前世の記憶……?」
掠れた声でつぶやいたら、急に意識がはっきりしてきた。
かつての自分の名前も顔も、はっきりとは思い出せない。でも普通の大学生だった。それはわかる。スマホをいじって動画を見ながら電車に乗っていたら、大きな事故に巻き込まれたらしい。その辺りの記憶は、曖昧だ。
「……転生ってこと……?」
もう一度、つぶやいてみる。
現代日本で大学生だった前世の記憶と、今この世界でラウラ・ファルクス侯爵令嬢として生きている今世の記憶とが絶妙に融合した瞬間、ふと気がついた。
「ちょっと待って! さっきのあれ、完全に浮気じゃないの……!」
独り言にしてはだいぶ大きめの令嬢らしからぬ声が出てしまったけど、今はそれどころじゃない。
だってこれは、今世紀最大の由々しき事態である。
今世の私は、国内屈指の有力貴族ファルクス侯爵家の一人娘として生まれ、今年の春に王立学園を卒業したばかりの十八歳。
学園を入学してすぐに婚約が決まった第二王子テオドルス殿下とは、半年後に結婚式を控えている。当然、殿下は我が侯爵家に婿入りする予定である。
テオドルス殿下は陽の光を編み込んだような金髪に、透き通るエメラルド色の瞳を持つ眉目秀麗な王子。かつてこの世界を創造し、王家に加護と祝福を与えたとされる『精霊王』の再来、ともてはやされるほどの美丈夫である。
そんな殿下に入学式で初めてお会いしたとき、私は一瞬で心を奪われてしまった。
完全なる一目惚れである。
幸運なことに、それからまもなく私と殿下との婚約があっさり決まった。
結びつきを強めたい我が侯爵家と王家との思惑が絡んだ政略的な婚約ではあったものの、殿下に恋い焦がれていた私は天にも昇る気持ちだった。
それから三年間、私と殿下は交流を深めながら想いを通わせ、相思相愛となって、もうすぐ幸せな結婚式を迎えることができると思っていたのに――――。
さっきのあれは、いったい何なの!?
人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしいんですけど!!!
確かに、私はテオドルス殿下にべた惚れで、ほとんど彼の言いなりだった。
頼まれたことはもちろん、頼まれもしないことをも先回りしてやってあげたり、事あるごとにやたらと高価な贈り物をしたり、ヘアスタイルでも服装でも「ラウラはこっちのほうが似合うよ」と言われればすべてその通りにして、ひたすら殿下の好みに合わせたり。
とにかく一心不乱に愛を注ぎ、盲目的に従い、ただただ尽くしまくってきた。
テオドルス殿下もそんな私の想いにだんだん応えてくれるようになって、「君と婚約できた僕は幸せ者だよ」とか「君以外の人は考えられない」とか「早く結婚したいね、ラウラ」なんて甘い台詞をささやいてくれるようになっていた。
愛されている、愛し合っていると、思っていたのだ。
それなのに。
とんでもない裏切り者じゃないのーーーー!!!!
婚約者の浮気現場に遭遇したショックで気を失ったと思ったら、意識が戻った瞬間前世の記憶を思い出し、本当の意味で目が覚めた思いである。
正気に戻ったというか。
おまけに、前世でも顔がいいだけの彼氏に裏切られ、こっぴどく振られたことも一気に思い出した。失意のどん底で電車に乗って帰ろうとして、事故に遭ったんだった。
あんな浮気男のどこがよかったんだろう。いいのは見た目だけじゃないの……!!!
いろいろ思い出したおかげで、あれだけ一途に燃え上がっていたテオドルス殿下への狂気じみた恋心はあっけなく木っ端微塵に吹き飛んだ。もはや影も形もない。
しかも、テオドルス殿下は婿入り予定なのである。
だというのに、結婚前から愛人を作って、婚姻後にはその愛人を侯爵邸に招き入れようと画策するなんてとんでもない。何を考えているのだ、あの人は。
これで私とは白い結婚を貫き、愛人との間の子どもを侯爵家の跡取りにしようとしたら、立派なお家乗っ取りである。そんなこと、断じて許されない。
さらにいえば、相手の女性、ナタリア・ネリウス伯爵令嬢は一応私の友人でもあるのだ。学園生時代は私や殿下と同じクラスで、「ラウラとテオドルス殿下は本当にお似合いね」なんて言っていたくせに。
なんなのよもうーーーー!!!
ほんっとうに頭に来た。
腹立たしいことのこの上ない。
かくなるうえは、殿下の浮気を公にしてこの婚約を破棄してやる……!
と、拳を空高く突き上げた瞬間、私は思い出した。
この婚約は、王命である。
我がファルクス侯爵家と王家とが、婚姻によって関係を強化するために決まったもの。
特に、ファルクス侯爵であるお父様は、以前から王家との結びつきを切望していた。それは我が侯爵家にとっての悲願でもあり、婚約が正式に決まったとき私以上に喜んでいたのはお父様のほうだった。
そのお父様が、殿下の浮気を知ったからといって、果たして婚約破棄を認めてくれるだろうか。
むしろ、「浮気の一つや二つ、許してやったらどうだ?」とか言いそう。
もっといえば、「なぜ殿下の気持ちをつなぎ止めておけなかったのだ?」とか「殿下がほかの令嬢に心を移したのは、お前に魅力がなかったからだろう?」とか言いそう。
だって、お父様にとっては、私の意志や感情よりも王家とのつながりのほうがきっと大事だもの。
え、じゃあ、私はこのままあの浮気男と結婚しなきゃなんないの?
そんなの絶対嫌なんですけどーーーー!!!
八方塞がりな現状を思い知り、私はほとほと頭を抱えてしまったのだった。
見つけてくださり、ありがとうございます!
全十一話です。
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