大澤りず編①
私は、夫を裏切っている。
裏切るつもりなどなかった。
だけど、あの闇に触れた時、手を差し伸べずにはいられなかった。
これは、きっと愛じゃない。
たぶん、同情?
いや、違う。
そんなんじゃない。
たぶん、彼は昔の私に似ていたんだと思う。
「ママーー」
「今日は?」
「今日は、関西のホテルに泊まるから。パーティーだから」
「そうだったね。気をつけて行ってきなよ!りず先生。友里亜は、見てるから」
「ありがとう。幸哉」
「いいんだって。気をつけてね」
「うん」
「じゃあ、友里亜。保育所行くよ」
「はーーい。ママ、頑張ってね」
「はい。頑張る!友里亜もね」
「はーーい」
「行ってきます、ママ」
「行ってらっしゃい、パパ」
私には、絶対的な味方がいる。
だから、頑張れる。
それなのに、私は……。
ーーピーンポーン
「はーーい」
「りず先生、迎えに来ました」
「青山君、いつもありがとう」
「何言ってるんですか、マネージャーですから」
「そうだね」
「もう、行けますか?」
「うん。準備はバッチリできてる」
「じゃあ、行きましょう」
「うん」
青山君の車に乗り込んで、関西にあるホテルに向かった。
関西地方は、ここから車で1時間半くらいだ。
関東方面に行くよりは近い。
「再来月は、関東になりますから」
「そうなの?」
「はい。急に決まりまして。何か【雪月花】を映画化したいらしくて。話をしたいって先方が……。リモートじゃなくて、りず先生とご飯食べたいみたいです」
「そうなんだ。映像化されるのは私も嬉しいので行きます」
「よかったです。3泊4日の泊まりですが、いけますか?」
「そんなに?」
「りず先生がこっちに来るなら【南へ】のドラマの配役とかの話とかさせて欲しいって」
「ああ、そっちも」
「駄目でした?」
「ううん。大丈夫だと思う。でも、一度夫にも相談してみるね。日にち送っててくれるかな?」
「わかりました」
3泊4日……関東に行くってなると連絡きちゃうのかな。
「はぁーー」
「ため息大きいですね」
「あっ、ごめん」
車の窓を流れる景色を見つめる。
私の苦しみや悲しみが産み出したものに、彼は共鳴しただけ。
だけど、その共鳴はただの友情で終わらせてくれなかった。
だから、私は夫を裏切ることになったのだ。
「つきました。りず先生の部屋はここになります。手続きしましょうか?」
「ううん。大丈夫」
「じゃあ、車停めてきますね」
「わかった」
「パーティーまで、ゆっくりしてくださいね」
「うん。ありがとう」
ホテルに入る。
青山君から教えてもらった部屋番号を言って手続きをした。
エレベーターをあがって部屋に入る。
「はぁーー。何か疲れた」
ーーピリピリ
「もしもし」
『もしもし、ホテルにいるんでしょ?』
「えっ?いないよ」
『今日のパーティーに出席するんでしょ?』
「えっと何のパーティーかな」
『嘘つかなくていいよ。さっき手続きしてるりずさんの姿見たんだから』
「見たって……陽も来てるの?」
『そうだよ。楠先生の【哀憐華】の主演に選ばれたから。今日は、楠先生のパーティーだからね』
「そう。知らなかった」
『りずさんは、楠先生と同じようなジャンルを描いた作品が多いから呼ばれたんでしょ』
「ま、まあね」
『今から会える?』
「それは、さすがに無理だよ」
『会ってくれないなら。酔って女の人のいる店に行って。そういうことしてこようかな』
「わ、わかった。今、メッセージ送った」
ビービー
電話を切っていないのにインターホンが鳴る。
「はい」
「りずさん、会いたかった」
ドアを開けると満面の笑みで彼が立っている。
「うん」
部屋の中にすぐにいれるのは、他の人に見られないようにだ。
「りずさん」
「もう終わりにしよう。陽にとってもよくないよ」
「そしたら、逮捕されてもいいかな。薬物やる?それとも、暴力。どれがいいかな」
「陽、そんなこと言わないで」
「りずさんの闇は、俺を救ってくれたんだよ。だから、別れたくない。別れるなら逮捕されるか死ぬ方がいい」
「陽……」
「りずさん、好きだよ」
三白眼の綺麗な瞳は私を見つめている。
抱かれたい男、恋人にしたい男、結婚したい男に選ばれた彼が、私を好きだと言っている。
「りずさんに会えないだけで消えたくなる。何をしても楽しくない」
彼は、私の頬に優しく手を当てる。
夫や子供を裏切りたくない。
裏切りたくないのに、彼の痛みがわかる。
「ずっと孤独だった」
「うん」
「誰にもわかってもらえなかった」
「うん」
「あの痛みをりずさんが言葉にしてくれたんだよ」
私の右手を自分の左の胸に持っていく。
私には、彼の痛みがわかる。
彼の孤独がわかる。
だから、あの日受け入れてしまった。
元々、彼には興味があったから。
彼が出ているドラマや映画やバラエティーをよく見ていた。
だけど、それはその他大勢の1人ってだけで。
私自身、選ばれるとは思ってもいなかったし。
この先も関わることなんて思っていた。
「りずさん、好きだよ」
彼の唇が私の唇に重なる。
「お願い。拒まないで」
チュッと音をたてながら何度もキスをされる。
やめたいのにやめられない。
彼の闇がクモの巣のように私の回りに張り巡らされているように感じる。
もがけばもがくほど、絡み付く糸は、私を締め付ける。
「会いたかった」
「待って、シャワー浴びる」
「いいよ、浴びなくて」
「浴びたいの。だって、それがしたかっただけでしょ?」
私の言葉に彼は唇を離す。
「陽?」
「エッチがしたいだけなら誰だっていいよ」
「でも、そうでしょ?だって、私達はそれから始まったわけだし」
「それは、りずさんの心の中にすぐに入りたかったから。俺は、一晩中手を繋いで眠るだけでもいいんだよ」
「泣かないで、陽」
演技じゃなくて陽が泣くのは、私の前だけ。
昔から、付き合った人にも友達にも涙は見せたことがないと陽は話してくれた。
「りずさんの体が欲しいんじゃない。心が欲しい。だけど、見てくれないでしょ?何をしても心は俺のものにならない。あの日、わかったんだ。だから、体だけでも欲しくなった。旦那さんよりうまく出来たら、俺を求めてくれるでしょ?」
「それじゃあ、陽の孤独は埋まらないでしょ?だから、私とは」
「嫌だよ。埋まってる。こんな風にりずさんに会う日はちゃんと埋まってるから。別れるなんて言わないで」
陽の綺麗な顔が涙で濡れていく。
優しくしたら、もっと求められるのをわかっているのに……。
私は、陽の頬に触れてしまう。
「りずさん、愛してる」
「ありがとう」
「嘘でもいいから言って。りずさん」
「陽……好きだよ」
愛してると言わないのは私のささやかな抵抗。
それも全部わかっている彼は、柔らかい笑顔を浮かべた。
「シャワー浴びてくるね」
「うん、わかった」
シャワーの蛇口を捻る。
私と陽の出会いはあの日だった。
戻れるならあの日に戻りたいけれど。
戻っても私は彼の闇に触れて、受け入れてしまうのではないだろうか?
服を脱いでシャワーを浴びる。
あんなにも綺麗な女優さん達がたくさんいるのに、私みたいなおばさんを求めてどうするのだろう。
彼の経歴に傷がつかないように別れてあげたい。
もう、私はじゅうぶん夢を見れたから。
だから……もうこの関係を終わりにしよう。
もう1年も続けたのだから。




