因縁のその先
「……野菊ッ! お祖父さまと、おぬしの父との密約とはなんだ!?」
声を荒げた小夜に野菊は無言を通す。
そのかたくなな態度で、頭に血を上らせた小夜はつかみかかろうとしたが――。
「きさまッ! 言えッ!」
「それ以上はよせ……小夜。おれでよければ透破衆の古老から聞かされた 話を教えようかと思う」
正重は小夜を制止し、さらに野菊に問う。
「……良いな? 野菊」
「――好きに……すればよいのじゃ」
どこか投げやりな言葉を吐き、野菊はそっぽを向いた。
見せられたそのしぐさに正重は小さくため息をつき、そして語り始める。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……小夜。落ち着いて聞いてくれ。おまえの祖父・風魔小太郎どのは徳川家より追っ手として選ばれた野菊の父・高坂甚内どのに、あえて討たれたのだ」
正重は淡々とした口調で告げる。
しかし、その内容は小夜にとって信じられぬものだった。
「なッ……どういうことだッ!?」
「そなたの祖父・小太郎はすべての罪を一人でかぶることを選んだ。風魔衆と透破衆が戦えば双方に甚大な被害が出る――それを避けるためにな」
青筋立てて問いただす小夜に正重はなおも落ち着いた口調で返す。
その冷静さが己をバカにしているように思えて、小夜はさらに声を荒げた。
「バカなことを言う! たとえ犠牲が出ようと、わが風魔衆が透破衆などに後れを取るものか!」
激高する小夜に、今度は野菊が口をはさむ。
「……ああ、そうかもしれぬな。しかし、その後はどうじゃ? 戦いの果て、力を失った状況でさらに伊賀衆と争えばどうなる? 相手は天下をとった徳川家の配下じゃ。どちらが生き残ろうと、最後には必ず滅ぼされよう。そなたの祖父はそれを恐れたのじゃ」
「――ぐぬぅ!」
野菊の冷徹な指摘――さすがの小夜もそれ以上異論をとなえることはできない。
「小太郎どのの最期はいさぎよいものだったと父上も言っていた。もっとも、すぐに父も処刑されることになったのじゃがな。……けっきょく父は伊賀衆の関東入りの露払いをさせられただけじゃった」
つぶやいた野菊に、ちらと視線を向けられ、当代の伊賀衆頭領――正重は深いため息をつく。
「すまぬ……兄上がああまで野心の強い男とは思っていなかった。話に聞かされ、あまりな所業とも思ったが、当時、任務で大久保長安のそばにいたおれにはどうすることもできなかった」
「今さらあやまられても、もう遅い。ともかく処刑の前日、父上からは一族の今後と――そして……風魔一族のことも頼まれたのじゃ」
――野菊は淡々と事実を語る。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ならば……なぜ先にそれを言わぬ!? 今さらあれは祖父の意志だと聞かされても、言い訳にしか聞こえんぞ!」
「無茶を言うな小夜。風魔と透破の弱体化を狙う兄上が密約を知れば、また難癖をつけぬとも限らん。おれが密約について知ることができたのも、兄上を失脚させた上で甚内どのの側近に必死で乞うたからだ」
ひたすら野菊に食ってかかる小夜を正重がさとした。
だが風魔小太郎の孫娘――小夜は止まらない。涙目になってさけぶ。
「しかし、それでは……今まで高坂甚内を仇と狙い、腕を磨きつづけたわたしが、あまりにみじめだろうッ!」
血のようにほとばしる小夜の言葉。さすがの野菊もうつむかざるをえない。
そして――ひっそりとした謝罪が、顔の前に垂れた艶やかな黒髪の向こうから響く。
「……すまぬ小夜。そなたの恨みを利用していたのじゃ。かくも憎しみあっておるなら、透破と風魔の間に密約などあろうはずがない――伊賀衆にそう思わせるために……な」
「野菊、きさまッ! 人の気持ちをもてあそんだかッ!」
「返す……言葉もないのじゃ」
憤怒の視線を向けた小夜に、深々と頭を下げる野菊。
だが――正重がそこで口を挟んだ。
「待て。野菊! すべてを背負いこむなと言ったではないか!?」
「正重――いや、当代の半蔵。それはどういう意味だ?」
顔色を変えた小夜の問いに、正重が憤然と答える。
「どうもこうもない! 甚内どのが真相を隠したのは、密約を偽装するためだけでなく――小夜、お前に生きる意味を与えるためだ!」
「なっ……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「野菊、いいかげん、すべてを話せ!」
「……そこまで知られておるなら、やむをえぬ――か」
肩をいからせた正重がうながすと――野菊は淡々と話しはじめる。
「父上は一族のため身を捨てた小太郎どのを討ったことを悔いておった。だからこそ、そなたの恨みを甘んじて受け入れたのじゃ……そればかりか、力をつけたそなたに討たれてやろうとすら考えていた。もっとも、そうなる前に公儀によって処刑されたがな」
「なッ! あの高坂甚内がそのようなことを……!? 待てよ……ということは、まさか!?」
仇敵の娘が語った言葉でなにか悟ったのか。小夜がはっと身震いした。
そして、すぐさま糾弾の声を上げる。
「野菊! 先ほどわたしに討たれようとしたのは……高坂甚内の遺志をとげるためか!?」
「…………そうじゃ。ただで討たれてやるつもりはなかったが、もし討たれるなら、そなたにとも思っておった」
しばし迷ったが、けっきょく野菊は小夜の詰問にうなずいた。
その答えに小夜はつかつかと野菊のそばに歩み寄り――、
「――このバカ者ッ! 愚か者ッ!」
平手で野菊の顔を張る。それはそれは強烈な一撃だったが、小夜は手を止めようとはしない。
しかし左から右から……一度、二度、三度、平手の回数が増えるたび、その勢いは弱まっていき――。
「……わたしのしてきたことはなんの意味もない……ただの独り相撲ではないか……」
小夜は力なくひざをつき、その目からついに大粒の涙がこぼれた。
一人の娘にもどってしまった小夜に、野菊がそっと声をかける。
「……すまぬ」
「謝るな! よけいみじめになる!」
小夜は野菊の気遣いを拒絶する。それでも、もはや二人の間に殺意は存在しない。
そのようすに、はらはらと見ていた半蔵――正重も、ようやく胸をなでおろす。
「とりあえず……こちらのほうは一段落だな。とはいえ、まだまだめんどうごとは山積しておるが……」
「うむ」
野菊は万感をこめて、みじかく返事した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さて、これからどうする?」
「すまぬ。わたしは足を……」
正重の問いに野菊が首を横に振った。
先ほども小夜とかわした相談だが今は状況がちがう。野菊がちらりと視線を落としたさき、細く白い足首がいたいたしく、はれあがっている。
これでは長い距離を歩けない。つまり助けを呼びに行くにせよ、脱出するにせよ足手まといということになる。
かといって、置いていけば危険――ためいきをつくしかない状況だ。
と、そんな野菊の傷を見て、
「わたしの……せいだ。わたしが下らぬ私怨で」
慙愧に堪えぬ表情の小夜が暗い声でつぶやく。自分の所業を悔やんでいるようだ。
半分事実であるだけに、これはこれでまずいことになったと、野菊と正重は顔を見あわす。
「ともかく、だれかが助けを求めにいかねばなるまい」
「……ああ。その件なのだが……実は……」
できるだけ小夜の負担にならないよう、話をすすめる二人だったが――、
そのとき三人の背後から一つ、影が迫る。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
にじり寄る足音が地にしきつめられた苔の柔らかさに吸われたせいか?
気配が複雑な洞穴の地形と岩石が含む磁気により隠されたせいか?
それとも、先ほどまで感情をあらわにしてかたりあっていたせいか?
――とにかく幾重もの不幸な偶然が重なり、正重たちは敵の接近を思わぬところまで許していた。
「――グウウゥゥッ!」
「しまった!」
一行の真後ろ――岩陰より姿をあらわした凶屍から殺気が立ち上る。
真っ先に気づいた正重が声を上げたが、岩陰から現れた中年の農民――凶屍はすでに一行のすぐそばまで迫っていた。
「ガアアアアアアッ!」
恐ろしいまでの野生の勘というべきか。凶屍は一行の中でもっとも弱っている人物をかぎつける。
金色の目を光らせた凶屍が一直線に襲いかかった、その先――足を痛めた野菊がいた。
「……ぐぅっ!」
あわてて飛びのこうとした野菊だったが、力を入れて踏ん張った瞬間、足首が悲鳴を上げる。
強烈な痛みに足をもつれさせた野菊に――凶屍は歓喜の雄叫びとともに襲いかかった。
「グウウウウウウウウウゥッ!」
「野菊……ッ!」
――正重がさけびを上げた目の前、野菊に凶屍の魔の手が迫る!




