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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
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八ノ怪

「……よしっ。今日はおしまい!」


 日記を書き終えて墨が跳ねないよう気をつけながら、すずりの上に置く。書いていなかった分も一気に書いたおかげで手首が痛い。

 

「それにしても結構書いたなぁ」


 つづられた半紙をパラパラめくって眺める。こう目に見えると思っていたよりも枚数が多く感じられ、それだけ自分が常闇に長くいるんだと実感できる。

 ただ時計も朝日も無いせいで、自分が寝る前に書くだけになるから、正しい日数は分からないのだけれども。でもまぁ、無いよりはマシでしょう。


 さて、と。どうしようかな。

 日記はもう書いたし、頭が冴えているから眠る気にはなれないし。またお裁縫でもしようかな。

 そんなふうにあれこれと逡巡していると、部屋の襖がすっと開いた。


「あ、鬼さん」


 暗がりから出てきたのは黒い着物を着た鬼さんだった。わたしの顔を見るなり、やや怪訝そうな顔を浮かべて格子の前に立つと、ドカリと座り込んだ。


「ナンダ。ずいぶん機嫌が良さそうじゃないカ」


「そうですか?」


 わたし、なにか機嫌が悪くなるような事あったかしら。

 特に思い当たらないし、今は気分も体も悪くない。

 鬼さんはじっとわたしを見つめた後、なにか考え込んでいるのか、目を閉じると顎に手を当てて唸り始めた。


「どうかしたんですか?」


 眉間に皺を深く刻んでいる様はまるで頭でも痛いように見える。なにをそんなに悩んでいるのかしら。


「……大丈夫ですか?」


 可哀想に。

 そんな言葉が頭に浮かんで、格子の向こうにある鬼さんの頬に手を伸ばそうとして、はっとした。


 え……“可哀想”?


 な、何考えてるの!?

 慌てて手を引っ込めて自分のしようとしたことに血の気が引いた。鬼さんを可哀想だなんて。わたし、どうしちゃったんだろう。

 ちらりと鬼さんを見やればまだ何か考えているらしく目は閉じたままだった。わたしが手を伸ばしたことに気づいてはいないようでホッとする。


「鈴音」


「は、はいっ」


 突如呼ばれて肩と心臓が跳ねる。

 鬼さんは格好はそのままにして目だけをわたしに向けると、片眉を上げた。


「お前は俺のことをドウ思っている?」


 どう……って。

 また答えに難しいことを。


 正直に答えると、はっきり言って「大嫌い」な部類に入る。

 勿論過去鬼さんが手伝ってくれたり助けてくれたことは素直に感謝できるけれど、そもそも鬼さんさえいなければ数々の悲しいことが起きなかったんだから、どうしても好意的には思えない。

 家族とも友達ともいろんな人達と離れ離れになるだけじゃなく、太陽のない真っ暗な世界で監獄生活のような日々を送っているんだから尚更だわ。それに、時雨ちゃんだって。

 

 え……?


「どうしタ?」


「あぁ、いえ」


 わたし……今、誰の名前を言ったの。時雨って、それって。


 頭の中に浮かんだ綺麗な姿。記憶の中にある数々の場面に彼女がいる。

 学校とか。お昼休みとか、休日とか。

 みんなから慕われて誰よりも美人で、なんでも出来たわたしの友達。

 

 彼女は……時雨ちゃんは……友達で……

 それで、どうしたんだっけ。



 思考の海に沈みかけたところで、目の前から大きな溜息が聞こえて意識が戻る。はっとして目の前の顔を見れば、呆れ顔が片眉を上げた。


「お前は俺の話を聞いていないのカ?」


「あ! ぃやっ! そ、そんな事ないですよ! ただいきなりのことでなんて答えればよかったか分からなくなってしまって」


 えっと、それより質問の内容なんだっけ。早く思い出さないと、こんなこと鬼さんが聞いたらブチ切れそう。

 あ、そうだ! 鬼さんのことどう思っているかだっけ。


「えっとですね、あの、とても怖いです」


 ……はっ! 馬鹿正直に答えちゃった!

 いやでも一応「大嫌いです」とは言ってないからセーフかな?

 焦って挙動不審になっている目を必死で抑えつけて、籠の向こうにある鬼さんの顔に焦点を合わせる。

 

「ほぉ~。怖い、ネ」


 こちらを見下すように顎をやや上げて鼻を鳴らす。もしかして怒ったかな。でも、他に言いようがないし、今の鬼さんじゃお世辞を言ってもさらに機嫌を悪くさせるだけだ。


 本当に、鬼さんは突然なんで褒めても嫌な顔をするようになったんだろう。気分屋にしてもこんなにがらりと変られたら、どうしようもないじゃない。

 それにわたしが嫌がることしてきたり、させたり、意地悪ばっかり! せっかく仲良くやっていこうとしているのにっ。


 あぁもうっ! だんだん腹立ってきた!


「鬼さんこそわたしのこと、どう思っているんですか?」


 未だに「この下等生物が」とでも言いたげな視線を送る紅い目を、ちょっとだけ睨み返してみる。


「猫や犬だって、自分を苛めたり意地悪したりする人に懐いたりなんかしませんよ。わたしも一緒です」


「な~にを言っているカナこの小雀は。こんなに良くしてやっているダロウ」


「どこがですか! 人のことさらってきて家族から引き離して、友達も気軽に話せる人もいない真っ暗な世界に押し込めて! 鬼さんこそ何を言っているんですか! それに人がせっかく仲良くしていこうと努力しているのにいきなり冷たくなって! 鬼さんは一体何がしたいんですか!」


 目の前にあった机をばんばん叩きながら、勢いに任せて言いたいことを全てぶちまける。それからまたキッと睨みつけ、わたしは立ち上がった。


「ずっとずっと一人なんてもう嫌です! せめて子鬼でも誰でもいいから話せる人を付けて下さ――」


 言い終わらないうちに格子の外から伸びた手がわたしの顎をすくい、強引に顔を上向かされる。


「俺がいるダロウ」


 怒ってはいないけれど、複雑そうな顔をして眉を寄せる鬼さんが目に映る。その切なそうな表情に思わず息を詰めてしまうけれど、すぐに顎を背けて鬼の手から逃れる。


「鬼さんじゃ緊張してしまうし(ついでに楽しくないし)、話し相手になれません。それになんて言うか、その、会話が合わないみたいですし」


 最初の頃は鬼さんの話もそこそこ面白かったんだけれど、あまりにも自慢話が多すぎて今じゃ欠伸を噛み殺しながら聞いている始末だ。それに鬼さんばかり話をしていて、聞き役ばかりのわたしは退屈になる一方で楽しくない。


「お前の話はハッキリ言って、俺からしたらどうでも良いカナ」


 あーそうですか。わたしからしたら鬼さんの自慢話ほど、どうでも良いものはないですけれど。

 ……なんて、ハッキリ言えたら気持ちが良いんだけれど。

 

「お前は他の奴らと会う必要なんざナイ。大人しく籠の中であの妙ちくりんな熊もどきでも作ってれば良いカナ」

 

 その言い方にわたしはカチンときた。


「凶悪な熊もどきを作った鬼さんに言われたくないです! どうせ作るならあの花みたいな綺麗なものを作ってみて下さいよ! あんな熊いらないです!」


 言った後、『しまった言いすぎた』と思って口を噤んだけれど、罵声でも飛んでくるかと身構えたわたしを鬼さんはギロッとひと睨みしてきただけで、それ以上なにもしてこないし何も言ってこなかった。


 ちょっとした沈黙が流れた。

 鬼さんはわたしを睨んだ後、鼻を鳴らしてそっぽを向いて黙っている。


 ……どうしようかな。


 わたしは言うか言わないか、迷った末に意を決して鬼さんを見た。


「わたし……あの宴の時、誰に会ったんですか?」


 途切れがちに言えば、横を向いていた妖しい紅が僅かに見開いたように見えた。それから目だけをわたしに寄こしてくる。


「よく覚えていないんですけれど、女のひとですよね? もしかして、部屋で鬼さんが話してたひとですか?」


 探るように見つめれば、鬼さんのほうからも同じ眼が向けられる。そして顔をわたしに向ければ正面からひたりと見つめられる。なんだか居心地が悪い。


「あの、わたし、もしかしたら――」


「お前にくれてやった花はアイツからダ」


 わたしの声を遮って、鬼さんは半ば投げやりに言った。そして腕を組むと、また複雑そうな顔をつくる。


「アイツ? アイツって誰ですか?」


「……教える必要は無いカナ」


 声に不機嫌さが混じっている。わたしには知られたくないひとなのかしら。気にはなるけれど、このパターンはあまり深入りしないほうが賢明そうだわ。不機嫌な鬼さんを刺激したって悪い事しか起きない。


「じゃ、じゃあ、あの綺麗な花を勧めてくれたのは、そのひとなんですね」


「あぁ」


「でもどうしてわたしにって、言ってくれたんでしょうか。その、会ったことない・・・・・・・のに」


 ちらっとカマをかけてみたけれど、鬼さんはぶっきらぼうに「さぁな」と言うだけだった。わたしの思い違いだったのかな。

 残念に思えば自然と視線が下がる。もしかしたら会えるかもって、思えたのに。


「鈴音」


 呼ばれて下がった視線を上げる。

 鬼さんはじっとわたしを睨んだ、もとい、見つめた後、小さく溜息を吐いた。


「お前は俺と居て、楽しいダロウ?」


「え゛?」


 思わず反射的に嫌な顔をしてしまい慌てて引っ込ませる。

 な、なにをどうしたらそうなるの? 鬼さんさっきまでのわたしの会話を全部忘れちゃったの?


「あの花はナァ、ちょいと仕掛けがあるんダ」


「仕掛け?」


「あぁ。――ん? ただし、害があるわけじゃあ無いゾ」


 わたしがあまりにも不安な声をあげたからか、鬼さんが言葉をつけ足した。そういうところは、たまに親切にしてくれるから不思議だ。


「仕掛けってどんなものですか?」


「気分が良いという気持ちがほんの少しでもあれば、ソレを増大させる効果があの花にはアル。つまりマッタク面白いという気持ちがなければ、気分が良くなるなんて事はナイ」


「そんなことって……何かの間違いじゃないですか? そのひとが嘘を言っているとか」


「俺がな~んの調べもしないで、言われるままにすると思うカ?」


 ということは、鬼さんが言っていることは本当なんだ。

 でも、そんなことってある? わたしが鬼さんといて楽しいだなんて。有り得ない。絶対に無いわ。富士山が噴火しようが、琵琶湖が枯れようが、それだけは有り得ない。


「ナンダ、その不満そうな顔は」


 不機嫌な声が向けられて一瞬怯んでしまうけれど、どうしても腑に落ちなくて今度はわたしがそっぽを向いた。


「鈴音。一つ言っておこうカナ」


「なんです?」


 口を尖らせつつ鬼に問えば鬼さんはまっすぐわたしを見た。


「お前が今欲しているモノが手に入るとしよう。だがナァ、手にした途端に後悔する時がくるかもしれんゾ? 望んでいた時が一番シアワセだったというオチがそれこそよだれを垂らし、大口を開けてお前を待っているかもナ。……それでも良いなら、好きにすれば良いカナ」


 鬼さんの皮肉交じりの言葉に意味がわからなくて呆然とする。そんなわたしを鬼さんは一瞥して、これで遊んでいろとわたしに何かを投げる。そして踵を返して部屋から出て行ってしまった。


 未だ纏まらない頭で足元に転がる投げられた何かを見れば、あの開花しかけの、常闇の花だった。







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