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妖しい馨  作者: 月猫百歩
紅の屋敷
7/60

六ノ怪

 引きずり込まれた部屋はそんなに広さは無く、一般家庭にある典型的な和室だった。

 枝を模した欄間や床の間の花の水墨画が見守る中、部屋の中央まで引きずられたところでようやく腕を離される。

 喉の辺りに心臓の鼓動が響くのを感じながら、こちらを見下ろす鬼さんを腰を抜かした状態で見上げれば、久しぶりに顰めっ面以外の鬼さんの顔を見れた。口端をあげて上機嫌な鬼さんをこのタイミングで見れるだなんてまったくの皮肉だ。


「さてさて。お前はイッタイなぁ~にをしていたんダ?」


 猫撫で声で不気味なぐらいにっこり笑う鬼さん。その背後には第六感なんてものは必要なくても感じる不穏な気配。笑んで細められた紅い眼は鋭くわたしを射抜いて、その場に雁字搦めにする。

 せっかくお風呂で温まった体が鬼さんの放つ冷気のせいで一気に冷えてしまい、指先が冷たくなった。


 わたし本当に今ここで食べられてしまうかも。


 情けない涙声が心の中で響いて体全体が強張る。じっとり背中まで汗で濡れてきた。

 完全に固まってしまったわたしを鬼さんはどう思ったのか、一瞬だけ無表情になると、わたしを離してからずっと組んでいた腕を解いて、そしてまたにっこり笑いながら私の前に屈みこむと


「……答えないンなら」


「み、道にっ、道に迷ったんです!」


 ひどく優しい声色と自分の首元に伸ばされた紅い手に、恐怖から反射的に喉から声が出た。ぴたり、と鼻先で鬼さんの手が止まる。


「道に迷っタ?」


「は、はい」


 ぶんぶん首を縦に千切れんばかりに振って頷く。

 すると鬼さんが形の整った眉を片方上げる。


「ほぉ~。道に迷った、カ。鬼火をやっているのにカ?」


「あ、えーっと、その」


「鈴音ぇ」


 鬼さんはゆるく左右に首を振ると、伸ばされたままだった紅い手が、今度こそわたしの襟元をがしりと掴んだ。そしてぐっと顔すれすれまで鬼さんの顔面が近づけさせられて、思わず息を止めた。


「嘘を吐くのがお前は下手カナ」


「いや、あ、の」


「さぁ~て。お仕置きしないとナァ」


 紅い瞳がさらに細まったのが見えると物凄い強い力であっという間に床に縫い付けられた。背中に畳の感触が一気に広がり、胸倉を掴まれたまま腕で押さえつけられる。


 まずい、まずいっ、まずいっ!


 両手で太い腕にしがみつくも相変わらず筋肉質な肌には爪も食い込まない。首元に鬼さんの顔が近づき、なにか堅いものが首の皮膚を掠る。次の瞬間にははっきりと肌に鋭い牙の先が突きつけられる感覚がして、そこを無遠慮に生暖かい舌が這わされる。

 瞬間、駆け抜けるように全身鳥肌が立った。


 喰われるっ! 


 頭の中で、鋭い牙で自分の首が噛み千切られるイメージが浮かぶ。部屋には鮮血が飛び散り、昔見たホラー映画のように無残な死体になって横たわる自分が見える。

 一瞬のうちに数々の暴力シーンが横切ったところで、顎の下に牙が移される。そしてまた牙を立てられ、恐怖が頭を突き抜けた。

 

 や、やだっ……死にたくない!



「花、が! 花の匂いがしたんですっ!」


 耐え切れず声を張り上げれば、裏返った声が喉を掠めるように飛び出た。

 するとピタリと鬼さんの動きが止まって、一瞬固まった後、おもむろに顔を首から離す。


「……花?」


 自分の上から呟くような、怪訝なものを含んだ声が降ってくる。

 恐々と顔を鬼さんのほうへ向ければ、声と同じくらい不可解そうに歪められた顔があった。


「……花の、匂いとは?」


「あ、あの、鬼さんから貰ったあの花の匂いがして、つい、気に、なってしまって。そ、それで、ぼぉっとしていたら、鬼火とはぐれてしまったんです。そしたら、鬼さんの声が聞こえてきて、花の匂いも強くなったものだから、その、部屋の側まで行ってしまって」


 喘ぎながら声が出るのに任せれば、かなり苦しい言い訳がぽろぽろ出てくる。

 鬼さんは何か言いたいのか何度か口に力を入れるような動作を繰り返すと、わたしからゆっくり体を離した。


「鈴音はあの花が気に入ったのカ?」


「その、とても、気になる香りの花、ですよね」


 鬼さんが起き上がったのを見た後、自分も鬼さんを刺激しないようにゆっくり体を起こして僅かに後ずさる。そして肌蹴つつある肩をさり気無く戻しながら、ぎこちなく頷いた。


「鈴音は……あの花が欲しいカ?」


「え?」


 いきなり問われて固まってしまう。な、なんだか思わぬほうに話が逸れているけれど、とにかく今は身の安全のほうが先だわ。


「い、頂けると……嬉しいです」


「……そう、カ」


 無表情に呟いて、ふと鬼さんは静かに眼を閉じた。

 一体なんだっていうんだろう。怯えつつも不思議に思って鬼さんの表情を眺めると、深く考えているのか眉間に皺が何本も刻まれて不機嫌にも見える。


 あの花になにかあるのかしら。

 

 そう言えばあの女性の声。部屋を見渡す限り入り口は廊下に続く襖一つだけ。どうやって部屋から出て行ったんだろう。瞬間移動できる妖怪なんていたかな。

 それにわたしのことを知っていた。親しげに呼んでいたけれど、誰だったかした。わたしのことを『鈴音ちゃん』だなんて呼ぶ知り合いなんて常闇ではいないハズなんだけれど。


「ま、ソレはソレ。コレはコレ」


 はっとして顔を上げると、ずしっと両肩に大きな手が降ってくる。そしてまたにっこり笑った鬼の顔が間近に現れた。


「いや~待たせたナ、鈴音。お仕置きがマダ終わっていなかったカナ」


 えぇ~! もうその話は終わったんじゃないの!?

 再び背筋に嫌なものが走り、体が強張る。そんなわたしを面白そうに眺めながら鬼さんはまた顔の距離をつめてくる。


「あ、あああああああのっ、鬼さん」


「盗み聞きだなんて悪い子ダナ~。悪い子供の所には鬼が来ると言われなかったカナ?」


 まるで小さな子供にでも言うような口調により鳥肌が立つ。気持が悪いとか気味が悪いとかそんなものがブレンドされて胸の中で渦巻いた。


「さ~て。どんな仕置きにしようカナ。以前のように肌着のままで過ごさせようカ。それとも指の一つ一つまで舌で堪能しようカ。しかしお前を喰えないのは残念カナ。契約を違えるわけには、いかないからナ」


 きょろりと紅い眼がこちらを向く。思わず唾を飲み込めば喉が鳴った。

 そ、そうだ。鬼さんとは一応わたしとの約束がある。わたしが『帰りたい』と言わなければ鬼さんはわたしには手を出せない。けれども、その『手を出す』手前までなら良いという事だ。

 その微妙な判定はどこまでなのか良く分からないけど、いっそのこと手を繋ぐのもアウトなくらい潔癖判定にしてくれたら良いのに。 


「鈴音はナニが良い?」


「お、お酌じゃ、ダメ、ですか?」


「ソレなら後でたっぷりして貰うカナ。しかもそれじゃあ仕置きにならンだろう。鈴音がもっと嫌なものでなきゃ~ナァ」


 なんで自分で自分の嫌がることを提案しなきゃいけないの。本当にこの鬼は意地が悪いというか。こんな危機的状況でもさすがにイライラしたものを感じずにはいられない。

 いや、でもこれはチャンスだわ。

 だってそんなに苦痛じゃないものにしたら良いわけなんだし。古典落語みたいに露骨なものは鬼さんにばれた時が怖いからやめておくにしても、そんなに辛くないものにしたら何とかなるわ。


「えっと、そしたら――」


「ん? ナニかあるのカナ?」


「わたし正座が苦手で」


「正座?」


「えぇ。長く正座してるのが苦手なんです。数時間正座してるのはかなりきついです」


 一度門限を破ってお母さんにしこたま怒られたときに一時間ほど正座させられたことがあるんだけれど、まぁ、そこそこ辛かった。

 ひどく辛いわけじゃなかったのは、よくおばあちゃんの家で茶道ごっこをしていたおかげで、多少ならなんてことは無かったからだ。

 さすがに数時間ともなれば辛いだろうけれども、鬼さんの提案するものに比べれば天と地ほどの差がある。

 わたしはずるずる鬼さんからさらに距離をとろうと後ずさりしながら言った。


「ん~……確かに辛そうダガ」


 逃げつつあるわたしを、またきょろりと捉えると小首を傾げる。


「俺がソレを見ていても楽しくは無いナァ。もちっと、楽しそうなのはナイのカ?」

 

 なにそれ……。

 思わず露骨に出そうになった怒りを押さえ込んで、顔を引きつかせる。

 わたしが辛い思いをしつつ鬼さんを楽しませろって? どこまで意地が悪いんだろう!


「そ、そんなの、あるわけ無いじゃないですかっ。……正座が一番良いと思うんですけれど」


 語尾を弱めながらすかさず自分の提案を押す。

 この言い方も変だけれど、今はなんとかしてこれで手を打って欲しい。鬼さんが提案するものなんてどれ一つとして碌な物が無いし、わたしも今はこれしか思いつかない。


「お願いです鬼さん。正座でお願いします」


 崩していた足を正して鬼さんに向き直る。なんとかして鬼さんを説得しないと。

 全身強張った体で姿勢を正してお願いするわたしを、鬼さんが整った顔を顰めながら息を吐いた。


「前々から思っていたんダガお前は強請ねだり方がヘタクソだナ。もっとこう――」


 そう言い掛けて鬼さんが止まった。

 顎に手を当ててしばらく考えた後、次第に悪戯を思いついた子供みたいに笑みを浮かべて頷いた。


「そうダ。仕置きにもならんし、俺としてはずいぶん甘いガ。こちらのほうが面白そうダ。……ナァ、鈴音」


 ちらっとこちらを横目で見る。

 嫌な予感しかしない。


「お前俺が納得するオネダリの仕方をしてみるんダ。な? 簡単ダロウ?」


 ニヤニヤ顔の鬼さんが提案したものは、ある意味一番安全でまともなんだろう。

 でも、どうやらわたしは自分が思っていたよりも鬼さんが嫌いらしい。掛けられた言葉に固まり、瞬時に思った。



 『最悪』だと。







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