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妖しい馨  作者: 月猫百歩
黄金色の箱庭
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十四ノ怪

 頭を下げたままの紫さんに、時雨ちゃんが何かを薙ぎ払った。

 黄色い刃のようなものが数枚紫さんに向かう。


 わたしが何かを叫ぶ前に、鋭い刃は紫色をした神主の姿を貫通する。

 けれどもまるで何事もなかったように、紫さんは頭を上げた。


「ずいぶんなご挨拶ですねぇ。荒々しくなられたもので」


「なぜいるの?」


「貪欲の鬼様の雀をお迎えに上がりました」


 冷たい視線に対して、飄々としながら紫さんは笑みを浮かべていった。

 少し間があってから金色の瞳が苛立たしげに細められた。


「彼女は私の親友よ」


「いいえ鬼様の雀です。鬼姫様のお人形じゃありませんよ」


「違うわ。私のよ」


 強く言い返す時雨ちゃんに、紫さんはわたしにした時と同じような溜息をを吐いた。


「鬼姫様も困ったお方ですね。無い物ねだりが相変わらず止まらないようで」


 呆れた口調に、時雨ちゃんのこめかみに青筋が立った。綺麗な顔は崩れないのだけれど、先程から紫さんが話せば話すほど目元が鋭さを増している。


「私はあくまで、鬼様の雀とお会いする協力をしたんですよ。まさか鬼様から盗むという愚行をなさるとは。私を遠ざけてまでお人形が欲しかったので?」


「貴方にはとても感謝しているわ。鬼様を出し抜いて、親友と会えたんですもの。でもこれ以上関わらないで。私達二人の為にも、貴方の為にも」


 最後のほうは穏やかに言う時雨ちゃんの言葉に、今度は露骨に小馬鹿にした笑い声が上がった。


「私の為とは意味の分からないことをおっしゃる。まるでこの場にいる皆全てが円満になると言っているように聞こえがますが、それはまた可笑しなことですねぇ。得をするのは貴女お一人だというのに」


「貴方や鬼様がこれ以上干渉しなければ、私達はずっと幸せに暮らせるわ。紫も余計なお喋りさえしなければ、鬼様から手痛い仕打ちを受けずとも良いのではないの?」


 どこか宥めすかすような物言いに、わたしの眉が下がった。

 この綺麗な鬼女はどこまでも「わたし達二人が一緒にいてこそ、二人の幸せなのだ」と。その選択肢以外はあり得ない、と言っているんだ。



「勘違いをなさらないで頂きたい。私は貪欲の鬼様に仕える煙々羅です。鬼姫様と雀さまを会わせたのも、すべて貪欲の鬼様の為です」


 紅い鬼の為?

 目で問えば、紫さんがこちらを見てゆらりと揺れた。


「人間は脆い。心も体も。だからすぐに鬼様にほだされるかと思っていたんですが、御姫さんはなかなかつれないご様子で。ですから、一計を案じましてね。無理を申して、私を御姫さんのお話役にしてもらったんです。御姫さんを騙すという、大役も兼ねて」


 大役というのはわたしに「帰りたい」という言葉を引き出させる事だったんだろう。

 それは結局、紫さんが何かをしかける前に、わたしが下手をして、勝手に自滅してしまったんだけれど。


「まぁ、それだけで済めば終りだったのですが。ただあまりにも御姫さんが鬼様を嫌うので、このままではいけないと。私、賭けに出たのです」


「賭け?」


「はい」


「時雨ちゃんに会わせてくれたことが?」


「そうです。しかしまぁ、とんだほうへ狂ってしまいましたがね」


 いま紫さんが話した事をまとめると、紫さんはこっそり鬼さんに内緒で、『わたしの話し相手として』時雨ちゃんと会わせてくれたんだ。


 再会した時に、時雨ちゃんはわたしに常闇にいなければいけない、と言っていた。

 きっと紫さんの考えでは、時雨ちゃんの言葉になら、わたしが従うと思ったからなんだろう。


 実際に常闇の花の時には、わたしは鬼さんに自分を差し出そうとしていたんだから。

 

 でも、紫さんの考えとは違って、時雨ちゃんはわたしを鬼さんのお屋敷から連れ出してくれた。

 ……わたしが懇願したから。



「お話は終わりよ」


 ハッとして顔を上げると、冷ややかな顔をした時雨ちゃんが、乾いた足音を立てて石畳の上に降りた。

 暗いオレンジ色の裾からは、鋭い爪が見える。いつも見ていた丸い綺麗な爪先には、無かったものだ。


「それには同意ですね。私ものんびりとお喋りをしに、来たわけではございませんので」


 神主の姿が消えて、紫の煙が部屋中を満たし始める。

 視界が薄い紫色に覆われていく。


「彼女は渡さない。紫、貴方は生きて返さないわ」


「驕りもここまでくると笑えますねぇ」


 さぁっと風が走るような音が響くと、辺は濃い紫色に包めれてしまい、視界ゼロの状態になった。 

 こでじゃあ何も見えない。


「御姫さん」


 耳元に紫さんの囁き声が聞こえる。

 注意深く体を低くして耳を澄ませる。


「人間にしか分からない香りを流します。それに着いて行って下さい」


「香り?」


「梅の香りです。くれぐれも間違えないように。……さ、お急ぎになって」


 返事をするまもなく、壁か何かが崩れる音がして、さらに何がか激しくガラガラと落ちる爆音が響いた。

 小さな小石や砂利が顔や腕にあたってくる。


「サエちゃん!」


「走って下さい!」


 同時上がった叫び声を耳にして、手探りで前に進む。

 背後から盛大な刃が交じる音や、爆音が響いた。



 砂埃や紫の濃霧に囲まれて目を開いても開かなくてもあまり大差ない。

 ひたすら鼻を擦り、手で顔をかばいながら嗅覚に集中する。

 埃っぽい香りに混じって、わずかだけれども梅の甘酸っぱい香りがいてくる。これが紫さんの言っていた梅の香りね。


 避難訓練を思い起こすような低姿勢で、ブラウスの袖で口を覆いながら石畳を進む。

 上の方で怒号や金切り声、爆発音に鋭い刃が弾く音が炸裂している。

 二人が戦っているんだろうか。酷いことになっているんだろうか。


「わ……っ」


 意識がすぐ目の前の壁が崩れ、強制的に戻される。どうやら戦いの振動のせいで、足元のところに大穴があいたみたいだ。けっこう大きい。


 大穴に霧が流れ、一瞬視界が晴れると台所の床が見えた。この大きさなら部屋の外に出られそうだわ。


「く……痛い」


 足の筋や体の筋肉が痛みを訴えてくる。それでもなんとか、這うように穴へ近づき台所の床まで転がり込む。


 その途端ずしんと大きな振動が響いた。台所の到る所から、何かが落ちて割れる音がする。


 ハッと息を吐いて顔を上げると、紫さんの煙が既に充満していて、台所もまた濃霧で包まれていて、何も見えない。

 おそらくお屋敷中こんな感じなのだろう。だとしたら、やっぱり香りに頼るしかない。


 鼻をひくつかせて梅の香を探す。

 どこ? 梅の香りはどこ?   


 焦る気持ちを抑えて大きく鼻から息を吸い込む。

 するとほのかに、甘酸っぱい香りが鼻腔に抜けた。匂いは……前からだ。


「サエちゃんっ!」


 前へ進もうとしたわたしの耳に、悲痛な声が届いた。

 出そうとしていた手がぴたりと止まる。


「私を置いていくの? 私から離れていくの?」


 ほんの一瞬、あの般若の顔が浮かぶ。

 悲しい顔をした般若の顔。苦しい顔した般若の顔。

 わたしが今浮かんだのは、時雨ちゃんとみちゃんのお母さん、どっちの般若なのだろう。 


「私達親友でしょう? 約束したでしょう? ずっと一緒でしょう……」


 悲しげな声。懇願するような、悲痛な声。

 彼女に言われれば言われるほど、楽しかった思い出が蘇ってくる。

 

 それは昔みっちゃんと過ごした学生時代のだったり、時雨ちゃんとここで過ごした、楽しい日々だったり。 


「私やっと幸せになれたの。これからも幸せになるの。でもそれは二人でなければ駄目なの。……お願いだから行かないで」


 瞳が揺れる。何度か瞬きをして振り返ると、肩ごしに神主の顔があった。


「何をしているのです。早く行って下さい」


「でも……」


 ギィンと弾かれた刃物がすぐそばの床に刺さる音がした。

 消えかけた緊張感がすぐに戻り、全身の毛が逆だった。


「考え事をしている暇はございませんよ! さ、早く!」


 むわっとした空気が圧縮されたようなものに背中を押されて、つんのめりそうになる。両手を前に突き出したおかげで床とか顔が激突するのはなんとか免れた。


 とにかく今は、ここから無事に出よう。

 ぎゅっと口を結んで、梅の香を頼りに台所の流しの横を進んだ。


 ガシャンガシャンと壺や陶器が割れる音がする。

 砂煙だけでなく、背後から風が起こるとあっという間に様々な香りが入り乱れた。 


「梅の香りが……」


 甘い香りや澄んだ香り、ツンとする香りに癖のある香り。頼りであった梅の香りが、霞んでしまう。 


「どうしよう……」


 たらりと汗が出てくるが、ふるふると首を左右に振って気を引き締める。

 呆然としている暇はない。部屋の間取りならなんとか分かるし、少しでも梅の香りがしたのなら、それを追いかけていけばいいわ。


 リビングと思わしき場所に出て、何故か足が欠けたテーブルと、引っ繰り返っている椅子を跨ぐ。


 壁際にへばりついて、窓から逃げようと探すが、見つけた途端に無駄だと知った。

 見たことのない、随分硬い鉄製の鍵が付けられていて、どうあってもわたしの力では開きそうにない。 


 諦めてまた梅の香を探し、リビングを進んでいく。

 そして廊下へ出て、ふとまたあの絵画たちを思い起こす。紫の視界の中では見えないけれど、あの四季それぞれを描いた四枚の絵たち。


 花と妖怪たちが描かれた不思議な絵。時雨ちゃんが、みっちゃんが大好きな向日葵が描かれていない絵。


 時雨ちゃんに、あの先輩が作った向日葵のオルゴールと髪飾りのことを話したら、人に戻ることはなくても、今のような悲しい顔をすることも、残酷なことをするようにはならなくなるんじゃないかな。


 常闇のみんながいう『闇』も、薄まるんじゃなのかしら。


 でもそんなこと話したところで、信じてはくれないだろう。鬼さん同様、捕まってしまえばもう私の話に耳を傾けてくれる事は無くなるんだと思う。 

 

 時雨ちゃんの所から逃げて、なんとか鬼の門をくぐる事は出来ないかしら。

 新しく設置したお社には、まだオルゴールは管理者の厚意でお社の中に置かれている。あれを持って来れば、時雨ちゃんを説得できるんじゃ――



 ふわりと甘い馨がわたしを包む。

 足を止めて考えに耽っていたわたしの心を、突如現れた凪いだ馨が絡め取る。


 

 ウラミ ヲ ワスレル ノ ?


 え……恨み? 怨みを忘れる? 


 オニ ヲ ウランダ ソノ キモチ ワスレルノ?



 囁かれた思い浮かぶ。

 鬼さんを怨んだ気持ち。お姉ちゃんを苦しめた紅い鬼。

 騙してわたしを貪ろうとした、紅い鬼。


  

 何かにとり憑かれたように、その場に棒立ちになるわたしに、なおも甘い馨が囁いてくる。

 

 カエリマショウ イッショニ クラシマショウ

 

 ヤミ ヲ カカエテ カオリニ ツツマレテ


 クルシミモ ナニモカモ ワスレテ



「苦しみもなく、香りに包まれて」


 妖しい馨が繰り広げた光景はここで暮らしてきた時の温かい思い出。楽しい毎日。幸せな日々。


 恍惚としたわたしは、その妖しい馨に導かれるように足を動かした。

 足は先ほど来た道のりを戻るようにして歩を進める。目指すはあの綺麗な鬼姫の下。親友の、時雨ちゃんのところ。


 歩くその間にも、ずっと妖しい馨はわたしに甘く囁いてくる。


 イッショニ イツマデモ クラシマショウネ


「そうね、いつまでも、暮らしましょう。とっても、楽しかったものね」


 

 ソシテ オニ ニ ナリマショウ  

 


「……鬼に、なる?」


 オニニナッテ ジユウニ クラシマショウ


「……鬼になって自由に?」


 ソウスレバ ホシイモノハ テニハイル


「欲しいもの」


 ウバッテ サラッテ

 ジブンノ ノゾミドオリノ ハコニワヲ――



「っ! 嫌っ」



 纏わりついていた妖しい馨を、乱暴に両腕で払いのける。

 知らずに辺りに漂っていた霧は紫ではなく、黄色い金色の鱗粉が混ざった濃霧だった。

 がむしゃらに何度も払い除けて、転びながら進んでいた先を急いだ。   

  

 角を曲がった先の紫の霧の中へ突っ込み、なんども家具の角に体をぶつけ、壁に激突する。


 次は、どこに行けば。

 ここはどこなんだろう。


 フラフラになりながら顔を上げると、鼻腔を甘酸っぱい香りがくすぐった。

 ……これは、梅の香り。



 足も体も頭もフラフラだった。

 それでも、細い糸を縋るように辿って走っていけば、突然前が開けた。


 生ぬるい風が頬を撫でてボサボサになっているであろう髪を舞い上がらせる。

 放たれた玄関扉のそと。そこには月もなく、星もない、紛れもない常闇の空があったのだ。




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