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追っかけ令嬢は死に戻っても殺されたい  作者: 柊原 ゆず


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第1話 最高の幕引き


 突然、背中が熱くなる感覚に、リリアナ・マリュスは立っていることができずに崩れ落ちた。背部を貫く鋭い痛みと共に、ドクドクと自らの生命が流れ出していくのがわかる。

 ――刺された、のだろうか。

 薄れゆく意識の中、至近距離でコツリ、と冷たい革靴の音が響いた。リリアナは残された力を振り絞り、必死に音の方へと首を動かす。そこに立っていたのは、氷のように冷え切った眼差しでこちらを見下ろす愛しい人――夫であるシュテファン・フレースヴェイクだった。


「シュテ……ファン、さま……」


 血を吐きながらも、甘く震える声で愛しい彼の名を呼ぶ。すると、シュテファンは苦しげに眉間に皺を寄せて、小さく唇を動かした。


「……きみは……どうして……」


 シュテファンが何を言っているのか、リリアナにはもう理解することができなかった。ただ、徐々に暗転していく視界の中で、最後に大好きな彼の顔を拝めたこと。そして何より、彼自身の手によってこの命を散らすことができるという事実が、胸が痛くなるほど尊かった。

 ああ、なんて幸せな結末……!

 歓喜に打ち震えながら、リリアナはうっとりと目を閉じた。これ以上ない、人生の完璧な幕引きだった。






 ――はずだったのだ。


「……あっ、れ……?」


 ふかふかのベッドの上で、リリアナは目を覚ました。見慣れた天蓋。可愛らしい調度品。そこは間違いなく、彼と結婚する前に過ごしていたマリュス伯爵邸の、自分の部屋だった。慌てて背中に手を回すが、ドレスを血に染めたあの熱い傷口も、痛みも、どこにもない。窓の外では、平和な朝の光が鳥のさえずりと共に差し込んでいる。


「嘘、嘘でしょ……? あんなに最高で、完璧な幕引きだったのに……っ!」


 何が起こったのか、リリアナには分からなかった。ただ一つ分かるのは、あれは幕引きではなかったということ。どういう訳か、リリアナの人生は続いている。頬を抓ると痛みがあった。紛れもなくこれは現実で、大好きなシュテファンに殺されるという神様からのご褒美のような結末は無かったことになっていた。心底残念で、悲しくて堪らない。最早ベッドから起き上がる元気もなく、涙をはらはらと零すことしか出来なかった。


「お嬢様! 朝ですよ!」


 リリアナの悲しみを吹き飛ばすような明朗な声を響かせながら部屋に入ってきたのは、専属メイドのアニーだった。手早くカーテンを開け放ち、朝の光を部屋いっぱいに取り込んでいく。振り返った彼女は、ベッドの上で涙を流している主の姿を見て、目を丸くした。


「リリアナお嬢様っ!? どうしてお泣きになっているのですか!? まさか、どこかお加減でも悪いのですか……!?」

「……違うわ。とても悲しいの」

「悲しい……? 一体何が悲しいと仰るのですか? 今日は、お嬢様があんなに楽しみにされていた卒業パーティーの日ですのに……」

「そつぎょう、パーティー……?」


 訳が分からずリリアナが呆然と呟くと、アニーは『悪い夢を引きずっているのだ』と安堵したように、柔らかく微笑んだ。


「まあ、まだ恐ろしい夢の中でおいでなのですね。……さあ、もう大丈夫ですから、涙を拭いてくださいませ」


 そっと目元を拭うと、アニーはリリアナの不安を吹き飛ばすように明るい声を張り上げた。


「今日は婚約者であられるフレースヴェイク公爵令息様がエスコートにいらっしゃるのですよ! 私がお嬢様を誰よりも美しくお仕立ていたしますから、楽しみに待っていてくださいね!」


 明るく意気込むアニーの言葉に、リリアナはハッと息を呑んだ。卒業パーティー。アニーの口から出たその単語は、今のリリアナにとってあまりにも異質だった。なぜなら、彼女が王立魔法学校の卒業パーティーに参加したのは、記憶が確かならばとうの昔、『五年前』のことのはずだからだ。

 背中を鋭い刃で貫かれ、焼け付くような熱と共に命が零れ落ちていった、あの最期の瞬間。普通ならば恐怖に狂うであろうその凄惨な死の記憶は、リリアナにとって、これ以上ないほど甘美で、すべてが報われた『最高の幕引き』だったのだ。

 あの美しく完璧な結末が、無かったことになってしまったというの……?

 窓から差し込む眩しい朝陽も、シーツの温もりも、目の前で無邪気に笑うアニーの姿も。五年も前の過去が、あまりにも残酷な現実味を帯びて彼女を縛り付ける。


「……アニー。今日のドレスは、誰からの贈り物かしら」


 すがるような震える声で問いかける。もし、ここが本当に五年前の今日であるのなら、その送り主はただ一人――。


「お嬢様、忘れてしまわれたのですか? 婚約者のフレースヴェイク公爵令息様からの特注ドレスですよ!」


 アニーが誇らしげに広げてみせたそれは、間違いなく五年前のあの日、リリアナが身に纏ったものだった。彼の瞳と同じ、深い青の装飾があしらわれた美しいドレス。

 ああ、やはりこれは現実なのだ。冷え切っていた頭が、狂おしいほどの現実をゆっくりと咀嚼していく。


「……ええ。とても素敵なドレスね」

「はい! お嬢様に誰よりもよくお似合いになるはずです!」


 シュテファンが与えてくれたこの完璧な装いを身に纏い、もう一度あの人の隣に立てる。その事実に気づいた瞬間、絶望に沈んでいたリリアナの心に、どろりとした甘い熱が蘇ってきた。

 もう一度……あの方の美しく冷たい手で、あの『最高の幕引き』を味わえるというの……?


「ああ、シュテファン様……っ」


 熱を帯びた吐息とともにポツリとこぼれ落ちたその名前に、リリアナの胸はちぎれそうなほど高鳴った。両手で自らの体を抱きしめ、うっとりと目を潤ませる。冷たい刃で背を貫かれたあの瞬間。己の血で赤く染まりながら、死の淵へと沈む最期の最期まで、見下ろす愛しいシュテファンをこの目で拝むことができた。愛する夫の手で命を絶たれる。一般的に見れば、それは紛れもない凄惨な悲劇だ。だが、シュテファンを絶対神と崇め、狂おしいほどに妄信しているリリアナにとっては、それこそが何にも代えがたい至高の幸福であったのだ。

 また、あの方にお会いできるのね……!

 死に戻った今、五年前の若く美しい彼に再び出会える。そして、もう一度あの至福の終焉へ向けて、彼を愛し抜くことができる。一度は手放した完璧な結末。しかし、それをもう一度一から紡ぎ直し、再びあの刃に貫かれる歓喜を味わえるのだ。予想外の巻き戻りに最初は落胆したものの、これから彼と共に歩む『死への輝かしい道程』を想像し、リリアナは背筋が粟立つような恍惚とした喜びに、その身を甘く震わせるのだった。






 アニーの並々ならぬ気合いによって、リリアナは頭の先から爪先まで一点の瑕疵もなく磨き上げられた。豊かに波打つ亜麻色の長髪は滑らかな艶を帯び、伏せられた長い睫毛の奥では、新緑の宝石を思わせる瞳が瑞々しい光を宿している。

 リリアナが屋敷のエントランスで待っていると、やがて砂利を踏みしめる重厚な蹄の音が響いてきた。フレースヴェイク公爵家の誇り高き紋章が刻まれた、豪奢でありながらも品格漂う馬車がゆっくりと停車する。従者が恭しく扉を開き、そこから一人の青年が降り立った瞬間――リリアナは思わず、ほうっと熱い吐息を漏らした。

 シュテファン・フレースヴェイク。サイドを短く刈り上げ、前髪を隙なく立ち上げた漆黒の髪。酷薄なまでに整った顔立ちの中で、深い青を宿した切れ長の瞳だけが静かに冷気を放っている。『氷の貴公子』。そう畏怖とともに称される彼の美貌は、見る者の呼吸すら奪ってしまうほどに冷たく、そして抗いがたい引力を放っていた。周囲の空気をピンと張り詰めさせるような静謐(せいひつ)な佇まいで、彼は真っ直ぐにリリアナの前へと歩み寄る。

 そして、表情一つ変えることなく、スッと白い手袋に包まれた手を差し出した。


「……待たせた。行くぞ」


 発せられた言葉は、たったそれだけ。甘い愛の囁きも、ドレスを褒めるお世辞も一切ない。彼の言葉はいつだって短く、無駄がなかった。社交界の令嬢たちの多くは、そんな彼を「冷酷だ」「木石のようだ」と恐れ、あるいは囁き合う。婚約者であるリリアナに対してもあんな態度をとるなんて可哀想に、と的外れな同情をされることすらあった。

 ああ……っ! なんて洗練された、美しい所作なのかしら……!

 だが、リリアナの受け取り方は全く違っていた。無駄な飾り言葉を持たない彼の態度は、どこまでも誠実で気高い。エスコートのために差し出された指先の角度から、静かにこちらを見下ろす涼やかな瞳の瞬きに至るまで、そのすべてが一切の隙を持たない完璧な芸術品のように思えた。同情してくる令嬢たちには、この至高の尊さが理解できないのだと密かに優越感すら抱いている。


「とんでもございませんわ。お迎えに来ていただき、光栄の極みです……っ、シュテファン様!」


 感激のあまり少し上擦ってしまった声で応え、リリアナは陶酔しきった笑みを浮かべて、差し出されたその手に恭しく自らの手を重ねた。その瞬間、シュテファンの端正な眉が微かにピクリと動き、重ねられた彼の手が僅かに強張ったような気がしたが、リリアナが気にするはずもない。五年の時を経て再び『生きた彼』に触れられたという事実だけで、脳髄が痺れるほどの多幸感に包まれていたのだから。






 馬車に乗り込んだ二人だが、その車内には当然のように会話はなかった。時折、ふと視線を感じて顔を上げると、シュテファンと目が合う。その度にリリアナがうっとりと微笑みを返すと、彼はすぐにスッと目を伏せてしまう。この静まり返った距離感は、『政略結婚』で結ばれた二人ならば決しておかしなことではない。

 公爵令息との政略結婚。当の本人であるリリアナは、一般的な令嬢のようにその運命を嘆き嫌がるどころか、隙あらば頬が緩みきってしまうのではないかと思うほど喜んでいた。彼女は、見目麗しいシュテファンを深く愛している。けれどそれ以上に、リリアナ・マリュスにとってシュテファン・フレースヴェイクという存在は、文字通り『絶対的な憧れの人』であったのだ。

 出会いは、貴族の子女が必ず通う王立魔法学校。入学して間もない頃、リリアナはシュテファンを一目見て、その常人離れした美しさに魂ごと魅入られてしまった。彼がスッと手を翳し、水魔法を発動させた時のあの光景を、リリアナは生涯忘れることはないだろう。彼の指先から生み出された水滴の一粒一粒が、太陽の光を受けて宝石のように煌めいていた。その中心に立つ彼の、深い青色の瞳。神の如き神々しさに、リリアナは内心で地に額を擦り付けてひれ伏した。

 ずっと、あの方を見つめていたい……っ!

 それからというもの、リリアナは学生時代の多くの時間を、密かに彼を見つめることに費やした。とはいえ、ただ遠くから眺めるだけで満足し、自身のやるべきことを疎かにするような真似はしなかった。日々ストイックに勉学に励む彼を冒涜するような行為は、リリアナ自身が絶対に許せなかったからだ。彼に憧れる一人の人間として、同じ空気を吸う信徒として恥ずかしくないよう、リリアナは猛烈に勉強にも力を入れた。

 学生時代、リリアナは結局シュテファンと言葉を交わすことは一度も無かった。気安く話しかけるなど恐れ多くてできなかったし、何よりもただの伯爵令嬢と公爵令息では接点が無さすぎたのだ。卒業すれば、もうこのご尊顔を拝む機会は永遠に失われるだろう。そう思って密かに涙を流していた三年生の春――突然、信じられないような政略結婚の話が舞い込んだ。

 マリュス伯爵家が携わる事業を共同で行いたいというフレースヴェイク公爵家からの申し出と共に、二人の婚約話が持ち上がったのだ。末永く付き合いたいという先方の強い意図があったらしく、リリアナの父親は大喜びで即座に書面にサインをした。そのため、リリアナがこの夢のような話を聞かされたのは、完全に事後報告であった。

 それからの日々は凄まじかった。学校の勉学と共に、由緒正しき公爵家へ嫁いでも決して恥ずかしくないよう、最高峰の教養やマナーを文字通り骨の髄まで叩きこまれた。血を吐くほど辛く苦しい特訓だったが、シュテファンの隣に立つに相応しい人間になるためならばと、寝る間も惜しんで努力を重ねた。

 そして、卒業パーティーの一か月前。公爵家から、本日着ているこのドレスが届けられたのだ。リリアナの艶やかな茶色のロングヘアと緑色の瞳によく似合う白を基調としながらも、シュテファンの瞳の色と同じ『深い青色』がアクセントとしてあしらわれた、この上なくエレガントなドレス。一度も採寸などしていないにもかかわらず、恐ろしいほどサイズがぴったりであったことは不思議でならなかったが、リリアナにとってはそんな疑問よりも圧倒的な喜びが勝った。

 まさか、シュテファン様からの贈り物だなんて……!

 彼の瞳の色を身に纏い、彼と同じ空間で、彼の用意した馬車に揺られている。リリアナは恐れ多さと、天にも昇るような喜びを胸の内で激しく混在させながら、向かいの席で静かに目を閉じている黒髪の神様を、今日も今日とて熱烈に見つめ続けるのだった。


つづく

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