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私はまた、目をぎゅっと閉じ、バッと開けた。
もううずまきは見えない。
「キイ…」キイに聞いてみる。「あれ、今見えてたかな…キイも見てたかな…」
布団の脇で充電していたスマホからラインの通知音がした。
スマホのバッテリー残量が四十八パーセントまで回復していて、ラインを開くと、「おはよ!」という水本からのライン。
「今もしかしてキイが来てない?」とすぐに続いた。
昨日の水本からの通知もそのまま残っている。
少し迷って「おはようございます」と返信しながら、私は「あっ!」と声を上げた。キイが窓から出て行ってしまったからだ。すぐに窓の外を見たが、もうキイの姿は見えない。
一応確認したがうずまきもやはりもう見えなかった。
ピロン、またラインの通知音だ。
「今日仕事でしょ?」とまた水本。
今日もどうしたんだ水本、と思う。すぐ続いてもう一通来た。「僕は今日一時から仕事 今日は昨日みたいな雨降らなきゃいいね」
なぜこんなやり取りをする仲になったのだろう。きっかけもないのに。
いや、軽い感じで聞けばいいのだろう。あれ?ライン交換しましたっけ~~?みたいな感じで普通だったら聞くだろうが私には出来ない。私の中にはその記憶が本当に全くないし、うまく白々しく聞けない。
それでも既読を付けてしまったので、とりあえずおじぎしているウサギのスタンプを返して、この場は収めようと思う。そしてもう仕事に行くまでスマホは見ないことにした。
夕べ読んだ大家さんの書いた小説は面白かった。
続けて読もうとしたが、そうだ、あのうずまきの広告が流れてきて…。あの広告のうずまきは茶色だった。さっき見たうずまきは銀色。目の錯覚?光がどうにか反射したとか、私の目が疲れていたとか…。…ホームセンター・…スパイラル…。そうかスパイラルってうずまきのことか!
すぐにもう一度大家さんの小説を見ようと思ったが、スマホは見ないと決めたばかりだ。水本からまたラインが入るといけないし、とにかく今はスマホは見ない。大家さんが感想を聞きたいと言っていたが一応一話目は読んだし…
そう思っていたらまたラインの通知音がした。
また!と思う。もう水本いったいどうしたんだろう…と思いながら通知履歴だけ見ると、水本ではなく、大家さんの奥さんだったので開く。
「朝早くごめんね おはよう 夕べたっちゃんの小説読んだ? 感想を聞きたいらしくて 夕方訪ねてもいいか聞いてくれって言うもんだから」
「わかりました 帰ったら連絡します 一話目しか読んでいませんが 面白かったとお伝えください」
一話目の感想だけでも先に言ったら大家さんが喜ぶかもと思ってついそう送信してしまった。偉そうな言い方になっていないだろうか、と送った後で気になったがしょうがない。
「ありがとう」奥さんからすぐに返信が来た。「たっちゃん喜ぶわ じゃあ帰ったら今夜はうちでご飯いっしょに食べて欲しいなあ」
嬉しいがどうしようと思う。ご飯をいただきながらうまく感想が言えるかな…。まだ一話しか読んでないのに。今日の休憩時間に続きを読むしかない。
石崎さんは大家さんの小説をどう思ったのだろう。石崎さんの感想を聞いてみたい。大家さんの奥さんの童話も読んでみたいが、自分から読ませてくださいとは言いにくい。奥さんの方から読んでみてって言ってくれないだろうか。
とりあえず朝ごはんを食べて仕事に行く準備をする。天気予報も確認する。この後私が予想した通り晴れてきて、それでも午後三時くらいから少し曇ってくるらしい。レインコートまではいらないようだけれど、昨日のこともあるし一応念のために持って行くことにする。
そう考えて嬉しくなっている自分がいる。一人でもちゃんと起きてご飯を食べ、天気予報を見て仕事に行く準備ができる自分が嬉しい。それでも昨日の朝良くない夢を見た後思ったように、何か資格をとって、正社員として働ける仕事をちゃんと見つけなきゃいけない。せっかく本屋で働いていることだし、資格の本も見てみよう。
私はちゃんと、先のことについてもほんの少しずつだけど、本当にほんの少しずつだけれど、ちゃんと考えられるようになってきている。
仕事に行こうと外に出ると隣の水本の部屋のドアが開いた。ぴょこっと顔を出す水本。少しドキッとする。
「おはよ!」と水本が言った。「さっきラインしたけど、やっぱ春花ちゃん仕事行く前に顔見たいと思って」
爽やかに笑って見せる水本に怪訝な顔をしてしまう。
「…おはようございます」
ここで聞けばいいのだ。なんで私たちラインするようになったんでしたっけって。普通の感じで。
「あの…えっと…すみません、行って来ます」
「うん!行ってらっしゃい!気を付けてね。僕も気を付けるよ」
やはり聞く事が出来ずに変な感じになった私に、水本は変わらず爽やかに笑顔で言ってくれた。
空はだんだん雲間も広がり、雨上がりのキラキラとした空気が街を覆い出した。
自転車を漕ぐ足が軽い。バスも良いタイミングで乗れた。
今日は帰ったら大家さんの部屋へ小説の感想を話しに行く。休憩中にちゃんと続きを読んで良い感想を言えるようにしておこう。この間も奥さんにごちそうになったから今日はショッピングモールの中に新しくできたスイーツの店に寄って、お土産も買って行こう。石崎さんのところにも少し買って行って渡そう。
ちゃんとこういうことも考えられるようになっている自分が嬉しい。少しだけどコミュニケーション能力がついてきたように思える。
職場の書店のあるショッピングモールの従業員入店口のそばのバス停に、バスはスムーズに到着し、私は降りる。そのまま入店口に向かう人の波に乗って、私も入店し、認証機械に入店証をかざして、書店のある二階への階段を上がる。
いつも仕事に行くときは少しだけお腹が痛くなる。今日は苦手な同僚ときつめの絡むような問い合わせを受けませんように。上から目線の嫌味な客がレジに来ませんように。そんなことを思いながら階段を上がると、トイレに行きたいような感覚に陥って、階段を昇った先の一応従業員用のトイレに入るのだが、実際トイレに行くと行きたいような感覚がしただけで、排尿も少ない。それでもまだトイレに行きたいような気がするけれど、なんとなく大丈夫だと自分をごまかして職場に向かうのだ。そうしないと、就業開始時刻が過ぎてしまうから。
ショッピングモール二階フロアの東端の方に職場の書店はある。
急ぎ足で向かうと、「えっ…?」と声が出た。足も止まった。
右隣のユニクロ、左隣の先月改装したばかりの雑貨店はちゃんとある。
「えっ…?えっ…?」
両隣は昨日までと変わらない。それなのに昨日まで書店があった場所には違う店…。
閉じたシャッターの上の黄色い大きな看板には茶色のうずまき模様、そして同じく茶色の文字で『ホームセンター・スパイラル』と入っている。
えっえっえっえっえっ…
心の中で「えっ」を繰り返す。
シャッター脇の書店従業員専用のドアは昨日までのドアと変わらない。シャッターも変わっていないと思う。シャッター全体をまじまじと見たことはなかったが、それも昨日までと同じグレーの普通のシャッターだと思う。
つぶれた?
本屋潰れた?
従業員が全体的に愛想がなくて、床や棚の細かいところまで掃除も行き届いていない、大きくて蔵書が多くなかったらきっと潰れると思ったこともあったのだ。
いや、潰れたとして。一日で他の店に改装変するのは無理だ。しかも従業員に何の連絡もなく。
「何してんですか?木本さん。入んないんですか?打刻の時間過ぎちゃいますよ?」
後ろから声を掛けられてはっとする。
そこにいたのは実用書担当の田中さんだった。




