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第14話 悪疫

 輝咲ミサにとって、飛行機に乗るのは今回が生まれて初めてのことだった。


 もちろん、夜鬼(ナイトゴーント)であるミサは自らの翼で空を飛ぶことができる。だが、さすがに遠く離れた英国にまで飛んでいくのは体力的にも不可能だ。それに、こういう時に限って「瞬間移動」の能力を持つ神園タクヤとは連絡が取れないと来た。仕方なく、急な短期留学という旨で枢木オーディットが検邪聖省経由で聖ヶ丘学園に根回ししてくれたのであった。というのも、先日オーディットからスマホにメッセージが届き、ついに彼女の兄の行方がわかったそうなのだ。ミサはオーディットに協力を申し出たが、最初は断られてしまった。当然と言えば当然だ。なんといってもミサはまだ中学生なのだ。だが、ミサには修羅場をそれなりに潜ってきた自負があった。だから、今度は夢見マキナを通して再び協力を申し出たのだ。ミサの絶対に引きそうにない決意を感じ取ったのか、結局のところ折れたのはオーディットの方だった。かくして、ミサは齢十三にして初の、しかもたった一人での海外旅行を経験することになった。通常一人で未成年が海外渡航するのはかなり困難である。今回は「検邪聖省の正式な招請によりミサがローマを訪問し、滞在中は枢木オーディットが責任をもって対応する」という外交文書に近いものを用意してくれたので、出国審査も怪しまれはしなかった。ミサも今回はさすがに検邪聖省の威光を初めて身をもって味わった。


 東京からの直行便でおよそ十五時間。ミサはどこでも即座に眠れる体質なので、フライト中はほとんど眠っていた。そしてフィウチミーノ空港に着いてイタリアへの入国審査を終えるとオーディットと合流し、すぐに鉄道でパリに向かった。慌ただしいことこの上ない。何もかもが初めての経験でミサは頭がパンクしそうだった。パリに着くまではかなり時間がかかるので、電車の中ではまたもやどっと疲れが出てずっと眠っていた。異国情緒が漂う街の風景なども見ている余裕は全くない。そしてパリに着いたかと思うと、今度はユーロスターに乗り換えていざロンドンへ。電車の乗車時間はほとんど寝ることに使い、完全に弾丸ツアーの様相を呈していた。目的地のセントラル・パンクラス駅に着いた時には正直ヘトヘトになっていた。とはいえ、自らいいだした共同ミッションである。オーディットに愚痴を吐いている場合ではなかった。それより、今は情報を集めなければならない。ユーロスターを降りて、まずはオーディットが手配してくれていたホテルにチェックインをする。そして、少し部屋で作戦会議を兼ねた休憩を取ることにした。


「つっかれたーーーーーー」


 ふかふかのベッドに飛び込むなりミサは眠ってしまいそうになった。それを見たオーディットは申し訳なさそうにいう。


「すまないな、初めての海外旅行がこんな慌ただしいものになってしまって」


 布団に頭をめり込ませていたミサはガバッと起き上がり、真剣な眼差しで返す。


「いやいや、元はといえばこっちからいい出したことなんだし。あのすごい装丁の推薦状にはマジで助けられたよ」


 そのことは大変苦労したのだが、オーディットは顔には出さずに答えた。


「なんといっても教父さまの直筆の第一級文書だからな。むしろ、学校の教職員が驚いていただろう」


 あれが届いた日の教室の大騒ぎっぷりときたらと思い出し笑いを堪えつつ、ミサはオーディットにその様子を伝えた。蜂の巣をつついたような騒ぎとはあんな状況を言い表したものなのだろう。敬虔な教徒でもなければ西欧の歴史、ましてや宗教学などにも明るいわけではないミサが、そんな由緒正しい聖座から直々に誘いを受けるなどとは、クラスメートにも意味がわからない事態だったのだ。唯一理解を示してくれたのは、ミサが命をかけて守ると誓った無二の親友緒川マユであった。


 緒川マユからしてみれば、聖ヶ丘学園中等部に入ってからのミサの成績の下降ぶりは心配の種の一つだった。学園一の秀才と名高い緒川マユから見ても、ミサの頭の良さは折り紙つきだったのが、全国三位の難関である入学試験を突破した頃のミサの学力と現在では天と地ほどの開きがある。ミサはちゃんと勉強すれば絶対に成績が上がるとマユは思っていたし、実際にはそうなのだが、まさかマユはミサが夜の睡眠時間も犠牲にして自分を神話生物から守るために戦っているなどということは夢にも思っていないし、そのことをミサが打ち明けるつもりもなかった。ミサの願いは、マユがこんな化け物に命を狙われているなどということを知らないまま、普通に日常を送ってくれることなのだ。そのために四六時中マユを警護し、結局のところ学習時間を確保できずにズルズルと成績は下がり続けていた。ミサは、このままでは聖ヶ丘学園の高等部に進学できないことは重々承知していた。それに、夜鬼として戦い続ける日々が長くは続かないことも。だから、自分の命の輝きを全て使ってマユを守ることに腐心している。もし自分が死んでしまったとしても、マユを守るために使った命は決して無意味なものではない。マユは悲しむだろう。だが、ミサは自分にできることをできるうちにしておきたかった。夜鬼とはそもそもそういう存在なのだ。どうせ天寿を全うできるわけでも、永遠に力を振るえるわけでもない。これほどの力を振るうにはそれ相応の代償が必要であることもまた、ミサは知っている。


「アタシにはまだマユを守るための力が圧倒的に足りない。今も、そして多分これからもマユを守り続けるためにはアタシ一人の力じゃなくて、何人かのチームを組んで、万全の体制でガードし続けなきゃならない。神話生物はいつ襲ってくるかわからないからね。だからこそ、今はこういう案件にも首を突っ込んで、出来るだけ経験を積まなきゃならないんだ」


 ミサの強さは日本に赴いた時のレンの商人との戦いでその一端は見せてもらった。オーディットからすればあれでも十分強いと感じていたのだが、ミサは全く自分の実力に満足していないようだった。だが、ミサはまだ中学生である。これから身体能力も伸びてくるだろうし経験も存分に積むことができる。だが、なんだかミサは自分の実力の限界がすぐそこに迫っているかのような物言いをする。検邪聖省の聖騎士であるとはいえあくまで普通の人間であるオーディットからしてみれば、日々研鑽を積みながら、それでも自らの伸び代を到底信用していないミサの態度は不思議であった。過去に誰かに何かを言われたのだろうか?だが、いまそんな心の傷を抉るような事を根掘り葉掘り聞くのは意味のないことだろう。オーディットからすればミサはとても頼りになる助っ人であるからだ。


 オーディットはホテルの備品を使ってティーバッグの紅茶を淹れた。そして、自宅から持ってきたビスコッティを添えてミサに差し出す。そして今後の計画をミサに切り出した


「実はこのロンドンの郊外に、秘密裏に地下都市が建設されていたことがわかった。どうやら建てられたのは十九世紀のことらしい。そして、いま兄はその地下都市にいる。兄が行おうとしている儀式はおそらくかなり大規模なものだ。魔法陣を張るだけでもかなりの準備と魔力を必要とする。現在どこまで兄の計画が進んでいるのかは掴めていないのだが、とにかく兄はすでに地下都市に入り込み、儀式の準備を着々と進めている。我々は、とある協力者のおかげでこの動きを知ることができた」


 一通りの状況を話すオーディットを尻目に、ミサはビスコッティをポリポリと食べていた。


「秘密裏に建設された謎の地下都市。そんなのほんとに存在すんだね」


 驚いたわけでもなく、あっけらかんとした様子で話すミサ。それもそうだろう。ミサは日々神話生物という日常とはかけ離れた存在と戦っている戦士なのだ。今にして思えばミサが無理矢理ミッションに加わってきたのは逆に暁光だったのかもしれない。想定外のことが起こっても、いや間違いなく起こる事がわかりきっている戦いに、人智を超えた力を持つ仲間がいるというのはそれだけで途方もなく心強い。


「ミサ、わたしが所属する『検邪聖省奇跡調査委員会』は、こういう不思議な存在や遺物、遺跡などの調査をし、人の手に負えない強力な力や存在そのものを収容したり封印したりするのが本来の業務なんだ。脅威度の調査や、場合によっては破壊や討伐もしなければならない。そして、今回の地下都市は都市そのものがその対象になる。通常の手順を踏むのであれば、まず地下都市を往来する際の安全を確保して調査チームを送り込んだりと数ヶ月から数年単位でのミッションになるのだが、今回は事が事だ。我々二人による潜入調査対応になってしまう。これは本当に危険な任務だ。だが、ミサの強さはわたしがじゅうぶんに知っている。信頼しているぞ」


 自分が思っているよりも随分と信頼してくれているのがその言葉から伝わってくる。ミサは少々呆気に取られてしまった。


「おっけー、信頼には応えるよ」






 ニューロンドンの中心部、ウェストミンスター宮殿。本物のロンドンでは英国国会議事堂として現在でも使用されている、英国を代表するゴシックリバイバル様式の壮麗な建築物である。だが、いま目の前に立っている建物は本物のウェストミンスター宮殿とは少し違って見える。確かにこの建物の象徴とも言えるビッグベンとヴィクトリアタワーはあるのだが、どこか歪な見た目で、なんだか捻れているように見える。実際に建物が捻れているというより、この空間自体が安定性を欠いているのだろう。急遽用意した簡易的なロア曲率を測定できるセンサーでも異常値を示している。だが。このセンサーではそれ以上のことはわからない。大型のロア曲率測定装置とは違って、現実強度がどの程度改変されているのかまでは測定できないのだ。だが、むしろそれだけでも十分だった。やはりこのニューロンドンは、現実改変能力によって建設されている。 その根源が能力者によるものなのか、あるいは何かの遺物によるものなのかは不明だが、常識的に考えれば遺物の可能性が高い。なんといってもこの街は建設開始から単純に見積もっても百五十年程度は経過しているはずなのだ。その間『ずっと現実を改変し続けている人間』がいるとは考えにくい。といっても、目の前で起きているのは現実改変なのだ。人である可能性も排除はするべきではないが。


 ウェストミンスター宮殿のほど近く、テムズ河の川沿いに宿舎のようなものが建てられていた。神園財団のエージェント、エデンの用意した私兵十名は経験も豊富で、アイコンタクトとハンドサインで見事な連携を見せ、その宿舎を探索した。見事な手際だった。あっという間に散開し、二人一組で死角をカバーしあいながら、時折『警官』達と交戦したものの、速やかに内部の資料を持ち出してきた。その結果、ここは作業員の宿舎などではない事が分かった。どうやらここはこの都市の建設初期にここにいた医師の研究所兼診療所のようだ。だが、回収された資料を読んでみるとどうも様子がおかしい。この資料によれば病気の治療について書かれている部分が大半だが、どうも医師はこの街にいる人間がペストにかかっていると思っていたようだ。四体液や悪疫といった前時代的な言葉も散見される。よくよく考えれば十九世紀の末期にペスト菌が発見されているが、このニューロンドンはその当時の最新の医学研究は取り入れられてはいないようだった。この街の建設が具体的にいつ始まったのかはわかっていないが、もし外界から隔絶された環境だったのならば(その可能性は大いにある)ペスト菌の発見というパラダイムシフトはここには十分に伝っていなかった可能性もある。一通り資料を読み終わり、最後にゾハル•シモンズ•枢木が手にしたのは一冊の日記だった。これも、件の医師が書いたものだ。


「エデン、これを見てみろ」


 別の資料をチェックしていたエデンが日記を覗き込む。そして、すぐに驚愕の表情を浮かべた。


「ゾハル様… これは… まさか…」


 ゾハルが開いたページには、この日記の持ち主である医師の狂気的な『治療』の様子が事細かに記されていた。この医師は、自分が『発見』した『患者』を手術室に連れ込んで殺害し、その遺体を解体した後に、『悪疫』を祓うために秘蔵の血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁…すなわち四体液のバランスを注射器等で遺体に注入する事で調節し、ペストの『治療』を施して、『患者』を解放していた。不思議なことに『治療』を受けた『患者』は確かにその後再び歩けるほどに回復し、医師のもとを去ったようだ。この医師にとって、この『手術』こそが唯一ペストから逃れられる『治療』であり、救済でもあったと確信してる事が妄執に囚われた日記の文章からもよくわかる。


「この日記に載っているスケッチを見る限り、このニューロンドンを彷徨う『警官』を作ったのはこの医師だ。そして、君たち神園財団の報告書にあった『医師』は、ひょっとしたらこの男のことなのかも知れないぞ」


 それを聞いてエデンは至極当たり前の疑問を抱いた。


「しかしゾハル様、百数十年前の人間が生きているとはとても考えにくいのですが…」


 ゾハルは日記を裏返して所有者の名前を確かめてからエデンに日記の最後のページを見せた。


「この男、アルベシスト•ダナァンは、もはや人間ではないのかもしれん」


 最後のページにはこう書いてあった。


『その時、私は一つの悪疫がついに私の中に入り込んだのを見た。誰がこの悪疫に匹敵しようか。誰がこの悪疫と戦う事ができようか。否、私ならば出来る。その為に私は生まれたのだ。私自らがこの悪疫となりて、全ての人を救おう』

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