四話 構ってくれなきゃ悪戯するぞ
――カチャ、カチャ。カチ、カチ。
静かな部屋に響くのは、パソコンのキーボードやマウスを指先で叩く音。
現在、恋は仕事の依頼者とコンタクトを取っている最中である。
仕事部屋でもある洋室には、パソコンの乗せられた机や本棚がきっちりと並べられており、几帳面な性格が滲んでいるようにも見える。
ひたすら、パソコンの画面とにらめっこしてはキーボードを叩いている恋。
夜景観光プランニングというものは現場に赴く仕事ではあるものの、それよりも先に、依頼主と仕事内容について事前に詳しく話し合っておかなければならない。
今はまだメールでのやり取りだが、電話をする事も少なくはない。
生活のため。好きな仕事のため。
真剣に仕事に臨んでいるのだ。
しかし――。
亜鶴はそうもいかない。
恋が部屋に籠ってしまうと暇で仕方ないこのニートは、暫くリビングで炬燵に潜ってAV観賞をしていた。
しかし、それも三十分でDVDの電源を切ってしまったのだ。
「れーんー。ひーまー」
炬燵から抜け出しては、気怠い声を洩らして恋の居る部屋へと向かって行く。
部屋の扉は、『いつでもどうぞ』とでも言っているかのような半開き状態。
亜鶴はそこから顔を覗かせた。
「れーんー」
後ろ姿の彼に相変わらずの気怠い声を掛ける。
「仕事中だ」
背を向けたままの返答。亜鶴の唇が、次第に尖っていく。
「構えよ」
「仕事中」
素早くも先程と同様の内容が返されれば、短い溜め息を吐いて、再度口を開いた。
「あと、どれくらい?」
「仕事が終わるまで」
「だーかーらー、答えになってないし」
時間を訊いたつもりが、代わりに届いたのはひねくれた回答。
亜鶴は膨れっ面となり、部屋へと踏み込んで仕事に勤しむ相手へと歩み寄る。
「…………」
背後に立つと、両手を胸の高さまで上げた。
恋は振り返らない。
上げた両手を、恋の頭の両側からゆっくりと伸ばしていく。
「…………ッ!」
驚いて息を飲んだのは、恋だった。
――――後ろから、両手で目隠し。
「……おい。仕事の邪魔をするな」
ごもっともな御言葉と共に、両目を覆う手のひらが剥がされ、振り返った恋と亜鶴の視線が交わる。
亜鶴は、この時を待っていた。
それまで不貞腐れ、悪雲漂っていた表情が、明るい輝きを取り戻したのだ。
まさに、満面の笑顔。
そして一言。
「やっと俺の方見てくれた」
……そりゃ見るだろ。
内心で言葉を返すと、呆れたような溜め息を吐き、直ぐに亜鶴へ背を向けてしまった。
「あー、反応うっす! つまんなーい」
相手の反応を真に受けては、自分を見ろと遠回しの言動。
「仕事なんだから当然だろ」
しかし、恋が乗せられるはずもなく、背を向けたまま至極当然な言葉が返された。
「ばーか。後で構えよ」
踵を返しながら悪態を吐いたものの、悪戯が成功した事にどこか満足げな表情で、亜鶴は恋の仕事部屋を後にしていく。
――カチャカチャ、カチャ……。
「…………」
足音が遠退いたところで、キーボードを叩いていた指が止まった。
「…………ふっ」
洩れた笑みは、亜鶴のせい。
口が悪いクセに、ふとした表情が堪らないというのが恋の本心。
……可愛いんだよな。俺と違って。
素直な気持ちをぶつけてくる亜鶴。
正直、ウザくて迷惑だと思う事もあるが、その一方で、飾らない純粋さが羨ましい。
目隠しを外して亜鶴と視線が交わった時、素っ気ない態度を取ったのも、可愛さに悶える本心を悟られないようにするためだった。
しかし、そんな事は恥ずかしくて亜鶴には絶対に言えない。だから恋は、誰も居なくなったこの部屋で、一人表情を緩ませるのであった。