後編
部屋でその日の分の勉強を終わらせ気分転換に庭へ出ると、お母様と、いつ来たのかユリウス様が花壇の前でお話をしていた。
お母様は少し年はいっているものの動作から何まで完璧な淑女で、ユリウス様と並ぶと子供の私が並ぶよりずっと絵になっていた。
先日、ユリウス様がお母様に想いを寄せていたと知ったのもあり、邪魔をしてはいけないと思ったのか私の体は勝手に動いて角に隠れた。
盗み聞きなんてお行儀の悪いことをしてはいけないとわかっているのに、好奇心には勝てず、耳をすませてしまう。
「ええ。ですから、ユリィ様もディアを説得してくれませんか?」
「そうだな……。俺もそろそろ腹をくくるか…」
「メルのためにもあの人をなんとかしないと…」
私?
自分の名前が出たことで、心臓がドクドクとなり出す。
「だいたいあいつはな…自分のことは棚にあげて、娘に婚約はまだ早いだのと…」
「本当にねえ、自分のことは棚にあげてねえ…」
婚約?私の?
嫌な予感がしてきた。
「よし、メルの婚約の件、なんとしても俺は認めさせるぞ」
「はい、その意気でお願いします」
「とてつもなく胃が痛むが仕方ない」
「気を強く持ってくださいね」
どうして?
「どうして……?」
どうしてユリウス様が私の婚約をお父様に進めるの?どうして?どうして。
「これもメルの幸せのためだ」
「今から行きましょうか」
「いや待てミラ。今はまだ心の準備が」
私の、幸せなんて。
「余計なお世話です!!」
気づいたらユリウス様の方まで駆け寄って叫んでいた。
お母様もユリウス様も驚いていたけれど、一番驚いているのは叫び終わってからの私。せっかく隠れていたのに何をしているんだろう。
「私……、私は……っ」
涙がボロボロ落ちてきて、顔がぐちゃぐちゃになる。こんな顔、ユリウス様に見せたくない。
「メル…っ、いつから聞いて…!」
「泣いているってことは、中途半端なところからでしょうねえ」
「な、ミラ!何を他人事のように…っ」
「親子と言えど、ユリィ様と言えど、別の人間ですからね。それにユリィ様がはっきりしないから誤解をさせてしまったんですよ?私は先にディアのところに行っていますね」
「はあ!?丸投げか!!」
「頑張ってくださいね?曲がりなりにも王子様」
「曲りなりには余計だ!」
お母様がクスクス笑いながら庭から出ていく。
ユリウス様は私の手首をつかんで、空を見上げて「あー」とか、「うー」とか唸っている。
「とりあえず、泣き止め、メルヴィナ」
「む……りで…す…っ」
「メル…」
「え、は……」
視界がぼやけるのは、涙のせいかと思ったけれど。ユリウス様との距離が近すぎるせいだった。
唇がくっついていて、体も同じくらいぎゅっと寄せられている。
数秒経ってからユリウス様が離れて行って、それでも私は動けない。ユリウス様は頬をうっすら赤くしながら、頭をかいて、大きなため息をついた。
「お前はこの手のことに関して鈍いな。そこは両親のどちらにも似なかったらしい。お前の両親は二人とも敏いからな」
「なん…っ、なん…っ!なにして…っ」
「キスだ」
「わかっています…!」
「初めてか」
「初めてですけど…!?」
「ならよかった」
ユリウス様は微笑んで、私の腰に巻いた腕をきつくした。
「お前にはしてやられた。まさか子供だと思っていたお前にここまで惚れこむとは、俺自身思わなかったよ」
ユリウス様の頬が、私の頭のてっぺんに乗っかる。
「メルは昔から全然変わらないな。ずっと、俺にわかりやすく好意を示してくれた。それが心地よかった」
「え…、わかりやすく…」
ある程度大きくなってからは、ほどほどに隠していたつもりだけど。
「なんだ、隠しているつもりだったのか?」
ユリウス様はくつくつ笑って、私の顔を覗き込んでくる。いたずらっ子みたいな笑み。
「その上お前はこんなにがんばり屋で、美しい女性になった。惹かれないでいられる方がどうかしている」
あんまり褒められてばかりで頭がついていかない。いっそ夢なのではとも思う。
「でも、でも、ユリウス様はお母様のことが…」
「ミラのことが…?あ、ああ!先日の研究所での話か。俺がまだ五つの時の話だぞ」
「五つ……?」
「俺とミラの年齢差からしてわかりそうなものだが…」
たしかに……。お父様とお母様が結婚した年齢を考えると、ユリウス様はまだ子供だったはず……。
「だけど、いつまでも私を子供扱いしていたでしょう?お部屋にも簡単に入れてくれて…」
「逆だろう。お前が俺を男として見ないから簡単に部屋へ入ったんだ。俺はいつかお前の父親に顔向けできなくなるほどの失態をおかしてしまわないかと恐怖していた」
ユリウス様の体がぶるりと震えた。
「でも、私の婚約の話をお父様に進めるように言おうと…」
「ああ。俺との婚約の話だな」
「誰との?」
「俺とお前の話だろう」
開いた口が塞がらない。
「本当は、お前の父親を納得させてからお前に言うつもりだったんだがな。お前のお母様と俺でもう三年も説得にかかっているが、あいつめ、首を縦にふる気が一向にない」
「え?だって、お父様は、私が好きな人と一緒になれるように婚約を先延ばしに……」
「たんに娘を手放すのを渋っているだけだぞ」
では別にお父様の優しさではなく。弟の言う通り私を惜しんでくれていたと?
「俺にも罪悪感がないわけじゃない。なにせお前の生まれた時のことも覚えているほど、年の差がある。成長する姿も見て来た。それでもお前に惹かれてしまうのだから俺にはもうどうにもできない」
すっと私を離したユリウス様は、私の手を取って、甲に口づける。
「レディ・メルヴィナ。貴女の父親を必ず頷かせて見せよう。だからもう少し、待っていてくれ」
「だけど……」
これは夢じゃありませんか?大好きなユリウス様が、私に待っていてほしい、だなんて。
「でも、と、だけど、が多いな。俺はお前が『はい』と言うのを待っているんだぞ?」
ああ、もう、夢でもいいかもしれない。
「はい…!」
抱きしめるユリウス様も夢で、次の瞬間には目が覚めてしまうんじゃないか。不安になった私に、ユリウス様は「夢じゃないからな」と耳元で囁いた。