第五話:【円環】朝は外へ、夜は内へ、4 日常という最強の結界:おばあちゃんの肉じゃが
「航太、ごはんですよ。今日はあんたの好きな肉じゃがだよ」
階下から響く節子おばあちゃんの弾んだ声に、航太は「今行くよ!」と短く応えた。
食卓に座ると、目の前には湯気を立てる大皿が置かれていた。
ホクホクとしたジャガイモ、味が染み込んだ牛肉、そして彩りのいんげん。おばあちゃんが丁寧にとった出汁の香りが、部屋いっぱいに広がっている。
「いただきます」
航太が箸をつけ、ジャガイモを一口運ぶ。
口の中に広がる確かな甘みと温かさ。それは、デジタルの光が決して与えてくれない、圧倒的な「現実」の重みだった。
「……美味しいね、おばあちゃん」
「そうかい。たくさんおあがり。しっかり食べて、しっかり寝る。それが一番の魔除けなんだから」
おばあちゃんは満足げに目を細め、自分も箸を動かした。
その傍ら、居間の飾り棚では、小さな金色のカエルが「内側」を向いて鎮座している。その琥珀色の瞳は、航太たちが交わす何気ない会話や、カチカチと時を刻む柱時計の音、そして味噌汁の香りを、愛おしそうに観測しているように見えた。
千年前、劉海は大陸の果てまで歩き続け、黄金の山を築き、そしてすべてを手放した。
彼は死の間際、カエルに飲み込ませた「縄」に何を託したのだろうか。
それは、富でも権力でもなく、いつか自分と同じように「数字」という名の迷宮に迷い込むであろう誰かが、ふと足を止め、この温かな食卓の風景に辿り着くための道標だったのかもしれない。
カエルの旅は、ここで終わった。
天下を揺るがす黄金の雨も、世界を繋ぐデジタルの霧も、この小さな家を囲む「日常」という最強の結界を破ることはできない。
外はもう、穏やかな夜の帳が下りている。
明日になれば、またカエルを「外」へ向けて、新しい縁を迎え入れよう。
そして夜になれば、また「内」へ向けて、このかけがえのない平穏を確かめ合おう。
航太は最後の一口を飲み込み、心の底から満足して、掌を合わせた。
「ごちそうさまでした」
その声に応えるように、飾り棚のカエルが、鈍い光を一瞬だけ放った気がした。
それは、かつて三本足の怪物を釣り上げた男と、それを受け継いできた者たちが交わす、静かで力強い、勝利の合図であった。
(完)




