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第一話:【渇望】スマホの光と、棚の奥の闇、1 微熱を帯びた、情報の残響

第一話:【渇望】スマホの光と、棚の奥の闇

1 微熱を帯びた、情報の残響




四月の湿り気を帯びた風が、少しだけ開いた窓の隙間から、古い木造家屋の独特な匂いを運び込んでいた。


 それは、長年蓄積された畳の枯れた香りと、湿気を含んだ木材の重苦しい匂い、そして仏壇に供えられた線香の残り香が、おりのように混ざり合った、静かな「過去」の匂いだ。しかし、その静寂を鋭く切り裂くように、航太の指先はスマートフォンの滑らかな硝子面を、無機質に、かつ執拗に叩き続けていた。


六畳間の薄暗い一角で、航太の顔だけが液晶の青白い光に照らし出されている。その光は、彼の瞳から生気を奪い、代わりにある種の病的な熱狂を注ぎ込んでいた。


 画面の中で踊るのは、刻一刻と更新される数字の羅列だ。

「いいね」の数、リポストの数、そして自分に向けられた、実体のない数多の言葉たち。それらはまるで、目に見えない無数の虫が耳元で羽撃いているような、微かな、しかし止むことのないノイズとなって航太の脳を侵食していた。


この数週間、航太の喉の奥は、どれだけ水を飲んでも癒えない渇きに支配されていた。


 きっかけは、何気なく投稿した一枚の写真だった。夕暮れの学校の屋上、逆光でシルエットになった自分の姿。それが「バズり」、万単位の数字が跳ね上がった瞬間、彼は生まれて初めて「世界に接続された」という全能感に包まれたのだ。だが、その喜びは麻薬のように短く、すぐにそれを上回る「承認」という名の飢餓が襲ってきた。


 もっと、もっとだ。誰かに見られていなければ、自分はこの暗い和室の影に溶けて、消えてしまうのではないか。そんな薄氷を踏むような恐怖が、彼の指を止めさせない。


ふと、画面の輝度に目が疲れ、航太は視線を上げた。


 青白い残像が視界に焼き付き、周囲の闇が余計に深く感じられる。西日が落ちきった後の居間は、まるで水底のように深い紺色に沈んでいた。


 そこにあるのは、祖母が長年守り続けてきた、時代に取り残されたような生活の断片だ。


 古びた飾り棚の隅で、日光で手に入れたという破魔矢が、闇を射抜くように立てかけられている。その赤い漆塗りの軸は、液晶の光に照らされる現代の色彩とは異なり、重く、深く、光を吸い込むような質感を持っていた。


 破魔矢の影が、壁の煤けた壁紙に長く伸びる。その影は、風に揺れるたびに生き物のように蠢き、飾り棚のさらに奥、棚板の影に潜む「何か」を指し示しているようだった。


そこには、一塊の金属があった。


 埃を被り、鈍い、しかし執念深そうな黄金色の光を放つ、三本足のカエル。


 かつて祖母が「福を呼ぶ」と笑いながら話していたその置物は、今、この情報の嵐が吹き荒れる航太の部屋において、異様なまでの「実体」を持って存在していた。


カエルの皮膚を模したゴツゴツとした金属のイボ。その凹凸の一つ一つに、部屋の微かな光が溜まり、淀んでいる。

カエルは、何千年も前からそうしてきたように、一切の瞬きをせず、その大きな口に嵌め込まれた一文銭を噛み締めていた。


 その銭の隙間からは、言葉にならない「音」が漏れ出しているような気がした。


 スマホのバイブレーションが鳴らす乾燥した音ではない。それは、深い深い井戸の底で、泥が気泡を吐くような、湿った、粘りつくような響き。


航太は、無意識のうちにスマホを握る手に力を込めた。


 手のひらに伝わるデバイスの熱が、微熱のように不快だ。一方で、棚の奥のカエルから放たれるのは、骨まで凍りつくような、冷徹なまでの静寂。


 情報の海で漂流する航太の心と、数千年の重みを湛えて居座る金色の塊。


 その二つの接点が、この古い家の淀んだ空気の中で、静かに、しかし確実に火花を散らそうとしていた。


カエルの瞳が、スマホの青白い反射を受けて、一瞬だけ、琥珀色に燃えたように見えた。


 航太の喉が、引きつるように鳴る。


 彼は気づいていなかった。自分が「見ている」と思っていたスマホの画面の向こうから、それ以上に貪欲な、底なしの「渇望」が自分をじっと見つめ返していることに。


部屋の隅で、古い柱時計が、重苦しい音で刻みを刻み始めた。


 ボーン、ボーン。


 その振動が、畳を伝い、航太の足首を掴む。


 現代という名の光の檻と、太古から続く影の理。その境界線が、今、ゆっくりと、音もなく崩れ始めていた。


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