2、当て馬妻の本領。
「……ここに旦那さまが?」
ナチの転移魔法により王都から遠く離れた場所まで瞬く間に移動したステイシーは鬱蒼とした森の入り口を見上げる。
「正確にはそこから先、半径1キロ圏内にミズチと共にいるはずだよ」
そっち、とナチが指さす先を見たけれど違いが分からずステイシーは手を伸ばす。
すると見えない壁に当たったような感覚がして、そこから先どうやっても進めなくなった。
「空間湾曲結界、ですか?」
先程アイリーのカフェで使っていた魔法に近いけれど、あちらは全てを遮断してしまうのに対しこちらはもっと簡易的。
「そっ。閉じ込めとくだけだから」
こっちの方が省エネなんだよ、とへらりとナチが笑う。
「省エネ……ですか?」
コレと指したステイシーは眉根を寄せる。複数の魔術師で維持している魔法陣の周りには尋常じゃない魔力回復薬の空瓶と屍のようにぐったりしている魔術師達が転がっている。
「あははー! なんせ魔力無効化を上回る量の魔力で結界を維持しないとだから」
力技だねぇ、とナチはカラカラと笑う。
「でも、まっ。正直、限界近いかも。物量戦じゃあねぇ。さっすがに"災厄級"には敵わないよねぇ」
「何を呑気な」
と、溜息と共に零したステイシーに、
「だってそうでしょ。魔物なんて、元々魔力の塊みたいな存在なんだし」
いつだって僕らは狩るか狩られるかだよ、と細められたアメジストの瞳が真理を説くと結界の境界線を見上げるようにナチは空を仰ぐ。
「そんな僕らが彼らに勝るものがあるなら、それは蓄積された"知識"と"願い"の強さだろう」
ナチはいつも苦しそうな顔でそれをいう。
どうにもならない事態に直面した時、ヒトは身勝手にナチに願いを押し付ける。
『どうか助けてください』と。まるで力があるのだから、どんな犠牲を払ってでもそうすべきとでもいうかのように。
深淵の魔術師と呼ばれるこの人は一体どれだけの人から願いを託されてきたのか、とステイシーは拳を握る。
「怖い顔してるよ、ステイシー」
ポンポンッとステイシーの頭を軽く叩いて、にへらっと笑って見せたナチは、
「僕は君にそんなふうに怒ってもらえるほど出来た人間じゃないよ」
と自身の頬に人差し指を当て小首を傾げる。
「僕は自分が特別だと信じて疑わなかった。僕以外の人間は弱いから群れなきゃ何もできない存在なのだと見下していた。そんな弱くてくだらないと見下していた存在に守られていたことに気づかないくらい、愚かで滑稽なのは、僕の方だったのに」
桁外れの魔力を持って生まれ、"特別"なのだと信じて疑わなかった傲慢な魔術師。
そして、そんな愚かな自分のせいで一人の魔術師が命を落とした。
ステイシーと同じ髪と目の色をした、損な役割ばかり押し付けられるくせに、よく笑う世話焼きな"師"。
もし、彼が生意気で傲慢な魔術師の犠牲にならず、今も生きていたのなら。
きっとステイシーは初めから当たり前に愛される普通の幸せな子だったはずなのに。
「僕は君に怒ってもらえる資格はない。だって僕は懲りもせず、今から君が踏みつけられてきた"過去"を利用するんだから」
決定事項として告げられたその言葉を耳にしたステイシーは、
「……私、ナチ様のこと好きですよ」
と栗色の瞳を真っ直ぐ向ける。
「でも、私の感情を、私の選択を、ナチ様が勝手に決めないでください」
盛大にため息をつき大袈裟に肩をすくめたステイシーは、
「私は自分で選んでいます。腹が立てば怒りますし、頼られたら嬉しいですし、自分の大事な人のためにできることがあるなら手を尽くします。好きだから! ただそれだけ」
頭いい癖に考え過ぎなんですよ、とビシッとナチを小突く。
「そして、ナチ様にヒトとして大事なことを教えた方にお会いしたことはないですが、感謝はしています。そのおかげでこうして私は無事生きているわけですし」
今、幸せとステイシーは親指を立てて胸を張る。
「確かに私の"魔法の使い方"は普通じゃないです。でも、もう平気です」
そう言ったステイシーはそっと髪飾りに触れる。
それは白い花とたくさんのサファイアが散りばめられたクラヴィルからの贈り物。
「全部君が努力して身につけたモノだろうって。そんな私はカッコイイんだって。そう、言ってもらえたから」
心についた古傷に未だに引っ張られそうになる時がある。
だけど、クラヴィルがかつての自分ごと今のステイシーを肯定してくれたから。
「カッコイイ私は、私の旦那さまをカッコ良くお迎えに行くのです」
きっと、あの夜にはもうすでに心がクラヴィルに落ちていた。
この気持ちが叶わないものだとしても、もうなかったことにはできない。
「そっか。ステイシーがそう決めたなら大丈夫だね」
うん、と頷き微笑んだナチは杖を空に向ける。
「クラちゃんとミズチの鬼ごっこが始まって3日目。そろそろ丸2日、か。欲を言えばもう少し閉じ込めておきたかったんだけどねぇ」
そこには相変わらず分厚い雲が空を支配するように重く広がっていて、時折稲光が見えるのに世界は不気味なほど静かだった。
「"水"を介してかなりの情報がステイシーに雪崩れ込むだろう。全部読み解いて」
解くよ、とナチが杖を横に振った瞬間、パリンと音がして雨が降り注いで来た。
ステイシーは目を閉じ、意識を水だけに集中させる。
水は世界を巡る。空から落ちた一滴の水は多くの軌跡を辿ってまた空へと戻る。その流れをイメージし、静かな水面に落ちていく水の波紋を追いかける。
水が見た記憶。バラバラのそれらから一本の糸を紡ぐように、ステイシーはその記録を読み解き、欲しい情報だけを選別する。
「……みつ……けた」
ぐらり、と身体が揺らぎ地べたに座り込んだステイシーはバッと地図を広げ、
「生体反応がありました。東の洞穴」
この辺と場所を示す。
「あえて位置探索魔法を切ったんだと思います。魔力をこれ以上持っていかれないために」
「なるほど。幸いミズチを閉じ込めていた場所から離れてるね。すぐ向かわせよう」
ナチは伝言石で結界外で行方不明者を捜索中だった部隊に指示を出す。
「なら、私もここに向かうわ」
ステイシー達のやり取りを見守りつつ、こっそり魔術師達を回復させていたアイリーが救助の参加を表明したところで、
「この場所ではルシオン様の魔力だけが探知できませんでした」
ステイシーがそう言って首を振る。
「そん、な」
最悪の事態を想像し、顔色を曇らせたアイリーに、
「どうやらルシオン様は別行動をしたようです。ミズチを自分に引き寄せるために」
トンッとステイシーが指したのは先程まで結界が張られたいた範囲内。
「多分、この辺りにいます。だいぶ反応弱いですけど」
「生きてる……の?」
「生きてます。結界があった場所、ということはミズチがいるわけでだいぶ危険ですけど。行きますね」
「当然」
そのために来たと迷いなくアイリーが行ったところで耳を裂くような破裂音が森の奥で鳴り響いた。
「クラちゃんだね。どうやら交戦中だ」
「ルシオン様を助けに行くなら、旦那さまがミズチを相手にしている今ですね」
爆音がしたのはルシオンがいると特定した場所とちょうど真反対。
行くなら今がチャンスだろう。
「ラガベル卿の救助には私が一緒について行くわ。物理攻撃が効くなら万一ミズチに遭遇しても私なら戦える」
剣を鳴らしたティアリスがコッチは任せてと頷く。
「じゃあ決まり。さっきの爆音聞いて手空きの騎士達はみんなクラちゃんのとこに向かっただろうし、コッチはコッチで準備しようかね」
ほとんどの魔法が効かないミズチを討つにはクラヴィルが直接致命傷を与えるしかない。
その隙を魔術師達で作る。そのためにステイシーを連れて来たのだ。
「それじゃ、みんなお家に帰るまでが遠征だから」
救出作戦開始、とナチは楽しげに口角を上げそう宣言した。




