3、もたらされた災厄の正体②
「……そんなことって」
驚いたように空色の目を瞬かせたティアリスが外に視線を流す。雨こそ止んでいるけれど、空にはまだ分厚い雲が居座っている。
「ずっと雨、だからね。水分にことかないのはミズチとってとても都合がいい環境だ。ただでさえ相手の得意フィールドでの戦い。属性的にも炎の使い手とは相性が悪い」
「……物理攻撃は?」
「効くみたい。だから空間を断絶してクラちゃんと閉じ込めてきた」
「旦那さまをお一人で、ですか?」
いくらクラヴィルが人類最強と呼ばれているとはいえ、どう考えても単騎で勝てる相手ではないだろう。
「そう睨まないでよ。今回の遠征は新人の訓練も兼ねてるんだよ? クラちゃんだって誰かを庇いながらじゃ思う存分暴れられないじゃん」
本人の希望も汲んでるんだよ? とナチは両手を上げる。
「ルシオン様やデュオン様はどうされたのですか?」
いつもなら状況を的確に判断し、クラヴィル達のサポートに回っていたはずの副官の名が上がらず、彼らの行方を尋ねれば、
「先発隊として索敵に出て連絡がつかなくなった」
生死不明、とナチは淡々とした口調でそう告げた。
さらりと出された情報にステイシーは息を呑む。だって、ルシオンはこの物語においては男主人公の親友というポジション。本来、こんなところで死ぬような人物ではないというのに、と。
「あのミズチは一定以上の火力でないと魔法が一切効かない。それにどうやらミズチの魔力が混ざった液体に触れると、一定時間魔力を失うらしい。そうなれば、普通の人間なんてペロリだよ」
だから一旦魔術師は遠方待機中、とナチは状況を知らせる。
「天候操って常に自分の得意フィールドを作り出せるわ、水に溶け込ませて魔力無効化を広範囲で散布してるわ、本体は桁違いの魔力を保有しているわの三重苦。まさに魔術師の天敵みたいな存在だよ」
「なるほど。最悪ですね」
さすが災厄級。桁違いに厄介な魔物だ。
「一応ね。災厄級がいる可能性が浮上した時点で、僕なりに対策の提案はしたんだよ」
そういってナチは胸元から濁った水の入った瓶を取り出す。どうやらこれが"魔力無効化"の成分が溶け込んでいる水らしい。
「対策?」
「そう。クラちゃんとりあえず離縁しない? って」
今回の最適解、と指を立てさも当然のようにサラッといったナチのセリフが飲み込めず、しばし部屋に沈黙が落ちた後、
「はっ? はぁああぁぁーーーー??」
大声を上げたのはティアリスだった。
「離縁? はっ? 離縁ってステイシーに離婚しろってこと? 冗談でしょ!? まさかお兄様はそれを了承したんじゃないでしょうね?」
淑女の婚歴なんだと思ってるのよ!! と、ブチ切れ寸前のティアリス。
「あははー、姫さんめっちゃ怖い!」
「ティア。ティア、落ち着いて。今、姫としてっていうか、もはや人としてアウトな顔してる」
怒ってくれるのは嬉しいけど、とどうどうとティアリスを宥めたステイシーは、
「ナチ様、端折り過ぎです」
「ん? 結論から話す方が良いでしょ?」
「ナチ様の場合は説明が足りなさすぎて、場が混乱しますと言ってるんです」
絶対わざとでしょ、とステイシーはため息を落とす。ナチは昔からこうだ。そして、相手の反応を楽しんでいる節がある。
「つまり、私に魔術師として討伐戦に参加せよ、と言いたいのでしょう?」
「さっすがステイシー。分かってる」
正解と親指を立てたナチは、
「実際、ステイシー以上に今回の討伐戦向きの魔術師はいないと思う。君は保有魔力こそ高くないけど、水との親和性は群を抜いてるし、何より汎用性の高い繊細な魔術式を即席で描ける」
後方支援だから危険はないしと笑う。
「私、学院を退学した身ですが」
「特例措置で魔力封じを解除してあげるよ。それに今回の討伐戦で貢献すれば"特級"資格を取らせてあげる」
元々実力は足りてるし、と決定事項のように告げるナチ。
特級。
それは魔術師資格としては最上位の資格で、複数の属性の魔法を編み込む複雑かつ取り扱いの難しい術式を扱える資格で、ステイシーがずっと取得を目指してきたものだ。
それが今すぐ手の届くところにある。
なのに"離縁"の文字が重たくて、ステイシーは素直に手が伸ばせない。
「……旦那さまは離縁に応じられたのですか?」
「とりあえずステイシーと話したい、って。伝言石鳴ったでしょ?」
そう言われ、ステイシーはクラヴィルが伝言石で連絡を寄越してきた夜のことを思い出す。
『ただの願掛けだ』
そう言っていたあの時にはすでに、クラヴィルはこの事態の渦中にいたのか。
確かにいつもとは違う様子だったが、全く気づかなかった、と唇をきゅっと結んだステイシーを見ながら、
「単純に王命だからってだけで結婚しただけだから、あっさり離縁了承するかなって思ってたんだけど。クラちゃんが了承しなかったから、今こんなことになってるんだよ」
とナチは肩をすくめた。
「……王命で結ばれた縁なのですから、簡単に頷いたりしないんですよ、普通は」
王命に逆らうのは反逆と捉えられても仕方ない行為だ。だから、クラヴィルがナチの提案に否というのは臣下として当たり前なのに。
クラヴィルが離縁に応じなかったことにほっとしている自分がいることにステイシーは気づく。
『今夜、君の声が聞けて良かった』
あの夜にクラヴィルが言った言葉はきっと嘘じゃない。
「ステイシーが行くなら尚更私も討伐に出る。物理攻撃が効くならの剣の腕だけでも役に立てるでしょうし、何より災厄級を人里に出すわけには行かないもの」
ステイシーを危険な目にあわせないわとティアリスは参加を表明する。
「ティア。ありがとう」
相手は災厄級の魔物。彼女がいるなら心強いし、腕の立つものは一人でも多い方がいいだろう。
「分かりました。私も……」
討伐に参加を、と思ったところでステイシーは、あれ? と首を傾げる。
ヒロイン不在で推しの恋物語は始まらず、原作とかけ離れた内容で日常が進んでいくから気づかなかったが、原作にも災厄級のエピソード自体はあった。
そう、あれはヒロインがクラヴィルのピンチを救い、二人の距離が近づくイベントで……。
「アレ? もしかしてこれ、メンヘライベントなんじゃ……?」
「何それ? メンヘラ?」
どういうこと? と疑問符を掲げたティアリスに、
「確かめたいことがあるの」
そう言ってステイシーはとある人物の名をあげた。




