8、当て馬妻の秘密。
淡い光が消えた伝言石をクラヴィルはそっと握る。
「声、あんなに高かったっけ?」
確かに聞き覚えのある声なのに、耳元で響いたその声に心音が否が応でも早くなる。
声だけでは物足りない。
彼女はどんな表情をしていたのだろう。
クラヴィルがそんなことを思ったときだった。
「クラちゃん、ステイシーとは話せた?」
会話を傍受できないよう、周囲に魔法を張り巡らせていたナチが姿を現した。
真っ黒なローブを羽織ったナチには隙がなく、対峙しているだけで神経が逆撫でされる。
それほどまでに、緊迫した事態が起きている。
「約束の期日を過ぎて2日。ディーくん達の位置探索魔法が切れて丸1日。彼らの部隊は全滅だと思った方がいい」
「ああ、そうだな」
目を細め雨の向こうを睨んだクラヴィルは、
「だが、お陰で奴の居場所は割れた」
氷のような冷たさでそういい、剣を鳴らす。
「好戦的だねぇ。相変わらず」
大きな戦いを前にして、クラヴィルが纏う気配が常人のそれとは明らかに異なるモノへと変わる。
並の人間なら、クラヴィルと対峙しただけで戦意を喪失してしまうだろう。
集中を切らさないクラヴィルを前に、火傷しそうだと楽しげに口角を上げたナチは、
「ところで、離縁考えてくれた?」
と、本題を切り出す。
ナチにそう提案されたのは、ルシオン達索敵部隊が立った後のことだった。
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「ステイシーは僕の血のつながらない姪っ子で、元々は魔術師にするために引き取った僕の弟子なんだ」
驚いた? とアメジストのような目を細めたナチは、
「ちょっと訳ありでね。保護したあの子を僕の姉の嫁ぎ先であるエルネア伯爵家に預けたんだ。僕は"普通"を与えてあげられないから」
そう言って肩を竦める。
「つまり、僕とクラちゃん今親戚同士。いやぁー世間狭いねぇ」
ぐっと親指を立てる。
天気いいねぐらいの軽さで重たい情報を容赦なくぶち込んでくるナチ。
「そんな話は聞いてない」
「あははークラちゃん信用なっ!」
だが、クラヴィルの抗議はたった一言で一蹴される。
「まぁ、そんなに落ち込まないでよ。そもそもコレ表に出せない案件だし。だって、僕情報だよ?」
不敵に笑うナチのその表情からは、何を考えているのか一切読み取れない。
実際、魔術師ナチ・アメジオスの経歴の詳細は公爵位を持つクラヴィルですら知らされていない魔法省のブラックボックスだった。
出身地すら非公開。それほどまでにナチという存在は異端でそして権力と引き換えに彼は国に繋がれている。
「現にステイシーはちゃんと伯爵家の長女になってたでしょ」
養子じゃなくて、とニヤリと口撃の手を緩めない。
ステイシーについて知りたくて、一度自分で調べたことがある。だが、エルネア伯爵家についての情報は、驚くほど表面的なことしか出てこなかった。
作為的に隠されているとしか思えないほどに。
「そんなわけで状況が悪そうなら、僕の秘蔵っ子を引きずり出そうと思うんだ」
適任だと思う、とあっけらかんと笑ったナチは、
「そんなわけで離縁しよう。そうしよう」
ステイシーを返してと物の貸し借りくらいの軽さでクラヴィルに爆弾を投下した。
「ああ゛!?」
「あははークラちゃん、カタギじゃない顔してるよ?」
手をひらひらさせながら美男子が台無しと突っ込んだナチは、
「あの子、エルネア家に多大な恩を感じててさ。エルネア家のためなら簡単に全部手放しちゃうから。好きでもない相手と二つ返事で結婚しちゃうくらい」
と、急に真面目な顔でそう言った。
好きでもない、と言われクラヴィルは言葉に詰まる。
普段自分が女性達から向けられる"好意"といったものをステイシーから感じたことはない。だからこそ安心できたし、今の関係を築けた要因でもあった。
「6つ、だったかな。保護した時は、結構ひどい有様でさ。感情すべてを削ぎ落としたような子どもらしくない子で、魔術式を書く時以外は話すことすらできない状態だった」
それは今のステイシーとは全く結びつかない、想像すらできない姿。
だが、同時に納得もできた。
『ただ褒められたくて。それと同時にざまぁみろって言ってやりたくて。そんな不純な動機で身につけたモノでも、ですか?』
泣き出しそうな、だけど自分のためには泣けない栗色の双眸。
一度だけ垣間見た、彼女の過去。
「なぜ、そんなことに?」
「それは本人に聞きなよ。話してもいいと思ったら、多分言うから」
核心部分を伏せたナチは、
「ま、とにかく。一回地獄を見て、そこから自力で這い上がった人間ってのは強いよ? 僕とかクラちゃんみたいに」
覚えがあるだろう、とクラヴィルの濃紺の瞳を覗き込む。
「"魔力無効化"がある以上、魔術師達は前線に出せない。僕はディーくんと違って遠隔魔法は得意じゃないんだ。基本的に魔力で全部ゴリ押しちゃうから」
後方から無効化されない威力の魔法を放つには、魔術師達の統合された魔法を正確に打ち込むための中継役がいるとナチは災厄級に備えた最適解を提示する。
「だとしても、ステイシーは魔術師の資格をもってないだろ。それに今は」
結婚に伴い、ステイシーには魔力封じの紋が入れられている。彼女は今、ただの一般人でしかない。そんなクラヴィルの主張は覆ることはなく、
「アレ入れたの誰だと思ってるの? 秒で消せるし、それに国を揺るがす緊急事態だよ? やりようはいくらでもある」
使えるものはなんでも使う、とナチは決定事項のように告げる。
実際、できるのだろう。そして、この男にはそれだけの権限がある。
「ステイシーにとってさ、エルネア伯爵家が唯一の拠り所なんだよ。そこを守るためだったら僕のことも利用するし、もし僕がエルネア伯爵家の敵に回ることがあれば容赦なく寝首を掻きにくる。無害そうな顔してるけど、中身は結構苛烈だよ?」
と、ステイシーという人物を語る。
「知ってる」
『少々、腹が立ちましたので』
そう言ってステイシーは公の場で貴族を相手に完膚なきまでに叩きのめした事がある。
でも、それは。
「だが、ステイシーが怒るのは彼女にとって大事な誰かが傷つけられた時だけだ」
確かに苛烈な面もあるし、割と容赦なくやり返されているけれど。
そこには"正義"を振りかざすような理不尽さはなく、少なくともクラヴィルはステイシーのお陰でティアリスと和解することができた。




