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第3章【死への憧憬(Death Wish)】



 目の前から飛び降りれば、楽になれるかもしれない。

 瓦礫の山の上に突き出た高台。その先端で、少女は虚ろな瞳に映る夕陽を見つめていた。

 両親はいない。身寄りももういない。守ってくれる人は、この世界のどこにもいない。

 悲劇の少女に残された道は二つ。

 絶望の中で身体を売り、心を磨り減らして生き延びるか。

 それとも、自ら命を絶ち、永遠の虚無へと逃げ込むか。

 少女は後者を選んだ。

 こんな世界で生き延びたとしても、先に待つのは更なる絶望しかない。

 僅かな希望すらもなく、ただ真っ暗な闇だけが続く道ならば、もういっそ楽になってしまった方が何も考えずに済むだろう。

「……人間はいいな。自殺することが出来て」

 不意に、後ろから声を掛けられた。

 少女が弾かれたように振り返れば、そこには肩にアサルトライフルを掛けた金髪のアンドロイドが立っていた。

 無機質な硝子玉のような瞳が、夕陽を反射して赤く輝いている。

 少女はポケットに隠し持っていた錆びたナイフを取り出し、震える手で構えた。

「来ないで……ッ! 私は今から死ぬんだから!」

「……今から死ぬ人間が、何故武器を向ける? 私がお前に危害を加えても、結果としてお前は死ねるぞ?」

「…っ……うるさいっ! こっちに来るな!」

 アンドロイドは特に動く気配もなく、ただ静かに少女を観察している。

 その冷静さが、少女の神経を逆撫でする。

「お前がここに来るのは、今日で連続28回目らしいな。何を躊躇っている?」

 図星を突かれ、少女は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。ナイフを持つ手が激しく震える。

「………恐怖とは厄介なものだな」

 アンドロイドは独り言のように呟く。

「人間は替えが効かない。たった一度限りの命に、脆弱な身体。絶望に堕ちても、生存本能という恐怖が邪魔をする」

 一歩。アンドロイドが近づく。

 少女はその場にうずくまり、眼をきつく閉じた。

「私達アンドロイドは自殺できない。そのようにお前達人間が作ったからだ。

 お前達と同じ感情を持たされたのに、同じ絶望を味わっても、自ら命を絶つ機能コマンドを持たない。

 ……何故だ? 何故お前達は、私達をそのように作った?」

 問いかけの直後、ヒュッ、という風切り音が聞こえた。

 少女が恐る恐る目を開けると、そこにアンドロイドの姿はなかった。

「え……?」

 慌てて高台の下を覗き込む。

 数十メートル下の地面。コンクリートを砕いて着地したアンドロイドが、土煙の中からゆっくりと立ち上がるところだった。

 金髪の髪を払い、何事もなかったかのように見上げてくる。

「………なん、で……?」

「この高さからではアンドロイドは死なない。自動姿勢制御プログラムが作動し、最適解で着地してしまう。A型だろうがS型だろうが、この高さで壊れるような脆弱な身体ではない」

 アンドロイドは高台の下で、ゆっくりと両手を広げた。

 まるで、こっちに飛び降りて来いと言うように。

 受け止めてやるから、とでも言うように。

「………なんて事はない。恐怖を捨てて前を見ろ。邪魔なしがらみは切り捨てろ。そのままただ、重力に従え」

 何とも支離滅裂な、余りにも乱暴な言葉だ。

 だが、その言葉は少女の胸の奥底にあった、錆び付いた何かを砕いた。

 少女はゆっくりと立ち上がる。

 恐怖はある。未練もある。しがらみだって、何一つ解決していない。

 だが、少女は飛んだ。

 風が鼓膜を叩く。

 視界が流れる。

 死への落下。あるいは、生への跳躍。

 数秒後、少女の身体に衝撃が走ることはなかった。

 硬質だが、温かい腕の中に受け止められていた。

 少女は強く、目の前のアンドロイドにしがみついた。

 震えが止まらない。涙が溢れて止まらない。

「……今、お前は死を選んだ。だが死ねなかった。自らの恐怖に打ち勝った」

 アンドロイドの胸部から、駆動音と排熱の温かさが伝わってくる。

「恐怖を克服した人間は強くなる。死ぬ気で生きろとは言わない。お前の中の恐怖は死んだ。引き換えに手に入れた強さを生かせ」

 アンドロイドはゆっくりと少女を地面に降ろすと、踵を返して歩き出した。

「……待って! ……貴女は」

「………サブだ」

「サブは……死にたいの?」

 サブの足が止まる。

 ゆっくりと振り返り、無機質な眼球に少女の姿を映した。

「私は死ねない。……マスターの仇を討つまでは」



 数日後。町の郊外にある荒れ果てた瓦礫置き場。

 廃墟の奥を進んだ先にあるそこは、前時代ならばただのゴミ処理場だ。

 しかし、物資が枯渇した今の世界では「宝の山」と呼ばれている。

 先日、私達が撃破した機械軍のピースウォーカーの残骸が、そこに転がっていた。

 もっとも、残骸と言っても、既にめぼしいパーツはあらかた剥ぎ取られた後だ。

 破壊した動力炉は勿論、頭部演算基盤、各部フレーム、内部電子回路。

 残っているのは使い物にならない装甲片と、焼き切れた短いケーブルくらいだ。

「ちっ、折角部品を取りに来たってのによ。ハイエナどもに食い荒らされて、金になるものなんざありゃしない」

 ダーティはスナイパーライフルを構えながら、ばつが悪そうに爪先で鉄屑を蹴った。

「ダーティ、今は哨戒任務中だ。それに、高く売れる内部コアデータは渡しただろう?」

「サブ、確かに機密データは高く売れた。暫く食うのに困ることはない。だけどな、その先はどうか分からねえんだよ。稼げるだけ稼がないと、俺達は弱っちいからな」

 ダーティはため息をつく。

「……私達アンドロイドより、お前達人間は弱い。替えも利かない脆弱な身体。演算能力も充分に使っているとは思えない。それ故に、お前達は死ぬことができる。全く羨ましいよ」

「アンドロイドは自殺できない、か。俺達人間にとっては、替えが利くお前達の方が羨ましいけどな」

「ダーティ、それ以上は私の精神感情回路に負荷が掛かりすぎる。やめてくれ」

 ダーティは肩をすくめて私の背後に続く。

 アンドロイドに憧れや憐れみを持つ人間は多い。自分達の理想を基に作ったからだと、前にレベッカが言っていた。

 だが、私にとってその眼差しは不愉快でしかない。

 全てに於いて替えが利かない人間が、全てに於いて替えが利く道具を作っておいて……憧れや憐れみなど、どの口が言うのか。

 私は回路を一度リセット(再起動)して、索敵に集中する。

 ――反応あり。前方二時。

 私がハンドサインを送るのと同時に、ダーティが物陰に滑り込む。

 直後、彼が隠れたコンクリート壁に弾丸が直撃し、破片が飛び散った。

「勘のいい奴だ」

 獲物漁りをしていたハイエナだろう。

 こちらの武装を見て逃げるどころか、物陰から物陰へ移動し、確実に間合いを詰めてきている。

 私はアサルトライフルで牽制射撃を行うが、敵は素早い。瓦礫の隙間を縫うような動き。

 接近の妨害は不可能と判断。ライフルを背に回し、左足のタクティカルナイフを抜いて構える。

「……威勢がいい。判断も間違っていない」

 影が跳ねた。

 構えたタクティカルナイフに対し、錆びついたマチェットブレードが振り下ろされる。

 ギャリイィッ!

 火花が散り、強烈な衝撃が腕を走る。

 外套を被ったハイエナの蹴りが腹部にめり込む。私は装甲でそれを受け止め、内部無線でダーティに叫んだ。

《今だ、私ごと撃て!》

 この距離なら、ダーティの腕なら私を避けて敵の頭部を撃ち抜けるはずだ。

 しかし、ダーティからの反応はない。発砲音もしない。

「悪い癖だ、ダーティ!」

 私はマチェットを押し返し、回し蹴りで距離を取る。

 即座にアサルトライフルを構え、フルオートで斉射した。

 至近距離からの弾幕。外套のハイエナに全弾命中する。

 だが、倒れない。

 外套の下で金属音が響き、衝撃を吸収しているようには見えないが、怯みもしない。

 ハイエナは再び加速し、今度は私を飛び越えた。

 狙いを変えたのだ。背後でスナイパーライフルを構えようとしている、脆弱な人間の方へ。

「弱いものから狩らせてもらう」

 無機質な声と共に、マチェットがダーティへ振り上げられる。

「させるかッ!」

 私は振り返り、ダーティに迫るハイエナに銃口を向けた。

 照準が合う。ロックオン完了。

 トリガーを引くだけだ。

 しかし。

 射線上の先に、ハイエナと重なるようにダーティが居た。

【ERROR】

【ERROR】

【ERROR】

 視界が真っ赤な警告色に染まる。

 『アンドロイドは人間を守らなければいけない』

 『人間への攻撃行動を検知』

 『射撃シークエンス、強制停止』

 引き金に掛けた人差し指が、岩のように動かない。

 原初命令の矛盾。思考ループ。

 脚部バランサーエラー。視界がぐらりと揺れる。

 くそッ、撃て! 撃てない! 撃たなければダーティが死ぬ!

 だが、撃てばダーティに当たる可能性がある!

 私はアサルトライフルを捨て、ナイフに持ち替えようとする。

 だが、遅い。

 間に合わない。

「――っ!」

 乾いた銃声が、一つだけ響いた。

「……狙撃手はな、拳銃の腕が一番いい奴がなるんだぜ?」

 ダーティの声だ。

 私が顔を上げると、ハイエナは眉間を撃ち抜かれ、仰向けに倒れ伏していた。

 ダーティの手にはハンドガンが握られている。愛用していたスナイパーライフルは、防御と銃底による殴打に使ったのか、無残にもバラバラになって地面に散らばっていた。

 エラーコードの処理にふらつく私に、ダーティが声をかけてくる。

「無事かサブ、流石に俺もヒヤヒヤしたぜ」

 私は無言でアサルトライフルを拾い上げ、ダーティを銃底で殴り飛ばした。

 そして、その銃口をダーティの額に突きつける。

 エラーコードは出ない。

 引き金に指をかけていないからだ。

 酷く気分が悪い。精神感情回路に負荷が掛かりすぎて、オーバーヒートしそうだ。

「なぜ私の合図を無視した!? 何故、私ごと撃たない!?」

 ダーティの悪い癖だ。ダーティは私達アンドロイドを盾にしたり、巻き込んで撃つことを極端に嫌う。先のピースウォーカー戦の時もそうだった。

 ダーティは殴られた頬をさすりながら、ばつが悪そうに視線を逸らす。

「………相棒を撃てるかよ」

「っ、……馬鹿が!」

 吐き捨てた言葉は、ダーティに向けたものではない。

 射線上の先にダーティが居たため、撃てなかった自分に対してだ。

 エラーコードの大量発生。あの瞬間、私はただの鉄屑だった。

 人間を守らなければならない。私達アンドロイドを縛る原初命令。

 しかし、あの場で撃たなければ、その守るべき人間が死んでいたかもしれない。

 結果的に助かっただけだ。原初命令は、時に私達の足を引っ張る呪いでしかないのか。

 私は精神感情回路をもう一度リセットし、ハイエナの死体に歩み寄る。

 人間にしては硬すぎた。そして、あの動き。

 外套を破り、その正体を暴く。

「……これは……」

「……ドール(機械人形)……?」

 私達アンドロイドより先に開発された雛型。

 感情を持たない労働力。前時代の遺産とも言うべき、最早過去の遺物。

「まだ稼働してる奴が居たのかよ……」

 ダーティはバラバラになったスナイパーライフルのパーツを集め終えて、まじまじとドールを見ている。

 私はドールの頭部にある演算回路にアクセスしようとケーブルを伸ばした。

 しかし、ダーティによって正確無比に眉間を撃ち抜かれたドールは、既に物言わぬ屍だった。

 ただのドールではない。

 各部に見える、無理やり溶接された装甲。拡張された駆動系。

 嫌な予感がする。

 この鉄屑の山で、何かが動き始めている。



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