第1章【価値(Substance)】
この世界に価値はない。
かつて栄華を極めた文明は崩れ去り、鉄錆と油の匂いが染み付いた瓦礫の山が、墓標のように地平を埋め尽くしている。
強者のみが生き残り、弱者は搾取されるだけ搾取され、やがて音もなく死に絶える。
強くあらねばならない。生きるために。
そしていつの日か、あの「仇」を見つけ出し、この手で葬り去るその時まで。
私は、まどろみの中でその真理を反芻する。
いつもの朝。いつもの絶望。そして、いつもの仕事だ。
【TYPE.S-2235-AB、待機状態から回復】
【緊急通信を確認】
視界に赤い警告灯が明滅する。
私はソファーから身を起こし、意識の焦点を現実へと合わせた。
秘匿回線を通じて、同僚であるTYPE.S-11351と11452からの救援申請が届いている。添付された視覚共有データを開く。
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ノイズ混じりの映像が脳裏に再生される。
暴力的な打撃音。悲鳴。そして、下卑た男の罵声。
「――違反行為を確認」
私は即座にTYPE.S-245へ情報を転送した。
≪こちら245、確認した。……またあの客か。速やかにお引き取り願おう≫
店長の声は、諦めと苛立ちが半々に混ざっていた。
「了解した。該当客室へ向かう」
≪サブ、手段は問わないが……殺すなよ? 警察機構との癒着も安くないんだ≫
「できる限りの配慮はする」
私は通信を切り、立ち上がる。
脚部リミッター解除準備。左腕リミッター解除準備。
該当客室の防音装置を外部から強制起動。さらに広域認識阻害装置を起動し、周囲の客からの認知を遮断する。
廊下を歩く足音が、カーペットに吸い込まれて消える。
305号室。扉の前で足を止め、私は一呼吸分の演算を行うこともなく、その鋼鉄の脚で扉を蹴り破った。
轟音と共にロックが弾け飛び、扉がへし折れる。
部屋の中へ侵入すると、そこは惨憺たる有様だった。
「な、なんだテメェは!?」
ベッドの上で暴れていた男が、剥き出しの背中を反らせて怒鳴る。
部屋の隅には、11351と11452が転がっていた。
頭部ユニットの装甲剥離。左腕切断。ボディユニットへの深刻な打撃痕。
……修理は不可能と判断。全損扱いだ。
「……キャストの破壊、及びパーツの窃盗は禁止されている。入店時の規約確認で同意したはずだ」
私は淡々と告げる。感情など乗せる必要はない。これは事務処理だ。
「っ、アンドロイド風情がうちのシマ荒らしてんじゃねぇよ! こいつは見せしめだ! 人間の俺様に逆らうとどうなるか、そのポンコツ頭に叩き込んでやらぁ!」
男が逆上し、サイドテーブルから隠し持っていた大型ナイフを取り出す。
客……否。
対象の認識タグを≪顧客≫から≪敵対生命体≫へと書き換える。
男が踏み込む。遅い。
人間の筋肉による動作など、スローモーションを見ているようだ。
私は最小限の動作でナイフを躱す。切っ先が私の鼻先数ミリを空振る。
「……今ならまだ、アンドロイド2体の修理代金600,000と、貴様の指5本で取引可能だ。どうする?」
私の提案に、男の顔が朱に染まる。
血圧上昇。アドレナリン分泌過多。攻撃力の上昇を推測。判断力の低下を確定。
「ふざけやがって!! たかが動くラブドールの癖によぉ!!」
男が右拳を振りかぶる。
交渉決裂。
予測軌道算出完了。
私は踏み込み、男の右拳を掌で受け止めた。
ゴシャッ。
左腕リミッター解除。握力を増大させ、そのまま男の拳を握り潰す。
「ぎゃあああああああっ!?」
悲鳴を上げる暇も与えない。
私は男の腕を引き寄せ、その無防備な腹部へ膝を叩き込んだ。
肋骨が砕ける感触。男の体がくの字に折れ、床に崩れ落ちようとするのを髪を掴んで引き止める。
続けて、両脚部リミッター解除。
私は男の首元に手をかけ、正確に、そして慈悲深く、頸椎を破壊した。
ボキリ、と乾いた音が防音室に響く。
敵対生命体、生命活動を停止。
【THREAT NEUTRALIZED】
男の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
直後、店長(245)からの通信が入った。
≪サブ、また殺っちまったのかい?≫
呆れ果てた声だ。
「現状、11351と11452の修理代……いや、買い替え費用に、この敵生命体の臓器を充てるのが最適だと判断した」
私は足元の肉塊を見下ろす。
「こいつの身体は脳殻以外は天然物だ。薬物汚染反応もなし。肝臓、腎臓、角膜……生身のパーツは高く売れる。頸椎の損傷と右手首の粉砕以外は無傷だ」
≪はぁ……言い訳が上手くなったねぇ。Mとレベッカに遺体回収は任せるよ。お前は客室の掃除とベッドメイクだ≫
「雇用契約では、私は悪質な違反客の対処のみだったはずだが」
≪店長命令だ。殺すなって言ったのにこの子は……全く≫
通信が切れる。
私は小さく息を吐き、散乱した部屋を見渡した。
「うひゃー、随分派手にやらかしましたねぇサブさん。商品の方は使い道たっぷりでうれしいですけど!」
軽薄な声と共に、白衣を着た TYPE.M-22749(通称:M)が入ってくる。
その後ろには、工具箱を提げたツナギ姿の TYPE.E-44475(通称:レベッカ)も続いていた。
「TYPE.M-22749、私は私の仕事をしたまでだ。後はよろしく頼む」
「サブ、お前がぶっ壊した扉と備品は俺が修理してやるが、床の血とベッドメイクはやらねぇからな?」
「TYPE.E-44475、お前ならば簡単だろう?」
「その呼び方やめろっつってんだろ! 俺様にはレベッカって名前があるんだからな!」
レベッカがスパナを振り回して抗議する。
名前、か。
私の電子演算回路の奥底で、古いメモリーが再生される。
『……今日から君は――。――だよ』
優しい声だった。私のただ一人のマスター。
あの声だけが、この無価値な世界で唯一、私を繋ぎ止める鎖。
「あら? この方の肝臓、見た目に反してかなり状態がいいですね! 下戸だったのでしょうか? かなり高く売れますよコレ!」
Mが嬉々として男の腹を切り裂き、臓器の品定めを始めている。
その光景は地獄絵図のようだが、この部屋では日常茶飯事だ。
人間が通貨としての信用を失って久しい。今や、最も信頼できる通貨は、人間そのもの(パーツ)なのだから。
「M、分かったから早く保存パックにしまってくれ。俺様はそういうの苦手なんだよ。おいサブ、ぼーっとしてねぇで仕事しやがれ」
「……了解した」
私はモップを手に取る。
赤黒い染みを拭き取りながら、思う。
この男に価値があったとすれば、それは死してようやく、肝臓一つ分の価値を生み出したことくらいだろう。
数時間後。
私は「給料」の入った保冷バッグを提げ、町の整備工場を訪れていた。
「よう、いらっしゃい。……なんだ、また随分と新鮮な『現物』を持ってきたな」
整備士の男が、私の持参したバッグの中身を見て口笛を吹く。
油まみれの作業台に座り、私は自らの左腕を差し出した。
「個体識別コードS-2235-AB。各種機能異常無し。リミッター解除による駆動系への負荷チェックを頼む」
「へいへい。しっかし、お前はS型の癖に、中身はゴリゴリの戦闘用キメラだもんなぁ。S型のフレームが悲鳴上げてるぜ?」
整備士は端末を私の腕に接続しながら、呆れたように笑う。
S型の外見は、敵を油断させるのに役立つ。だが、中身はA型やB型のパーツを無理やり詰め込んだ継ぎ接ぎだ。
私の身体そのものが、この歪な世界を体現している。
「余計なお世話だ。……代金はこれで足りるか?」
「成人男性の健康な腎臓2つに肝臓1つ。お釣りが来るぜ。お前は余剰パーツや機能を削ぎ落とせば、耐久力がもっと上がるんだがな」
「必要ない。……それより、頼んでいたものは?」
整備士はニヤリと笑い、奥の倉庫を指差した。
「ああ、入荷してるぜ。エリック! 倉庫から268番持ってきてくれ!」
「ハイヨー、店長!」
店員のドロイドが運んできたのは、無骨な黒鉄の塊だった。
軍用アサルトライフル。旧式の火薬式だが、信頼性は高い。
「マガジンはどれでも使えるように改造済み。リコイル制御はお前の筋力に合わせてある。どうだ?」
私はそれを受け取り、構える。
ずしりとした重みが、手に馴染む。
照準器を覗き込むと、工場の入り口に立つ人影と目が合った。
「……おいサブ、いきなり銃口向けるんじゃねえよ」
気怠げな声と共に現れたのは、ダーティだった。
背中に長大なスナイパーライフルを担いだ、人間の男。
無精髭を生やし、いつも眠そうな目をしているが、その腕は確かだ。
「ダーティか。生体反応が薄いぞ。死にかけているのか?」
「失礼な奴だな。昨晩飲みすぎただけだ。……また新しいオモチャか?」
「仕事道具だ。お前のその、すぐジャムる骨董品とは違う」
私が言い返すと、ダーティは肩をすくめた。
「人間様には骨董品がお似合いなのさ。……行くぞ、サブ。お呼び出しだ」
「どこからだ?」
「管制室から。……どうやら、デカいのが出たらしい」
デカいの。
つまり、機械軍だ。
私はアサルトライフルを肩に担ぎ、整備士に礼を言って立ち上がる。
日常は終わりだ。
ここからは、鉄屑と硝煙の戦場が始まる。




