90 ~白い図書館の白い家〜
例の空間です 彼女も主要登場人物として、一章に一回はメイン回が欲しいと思っております
ユリウスが瞼を開くと、そこは広大な白い図書館だった。 とは言えそれは現実の場所ではない。 【賢者の石】の中にある、例の仮想空間の図書館だ。
彼が現れたのは、いつものメインストリートだったが、今回は何故か少し様子が変わっていた。 少し先にある筈の別の大通りと交差する十字路あたりに、見覚えのない建物が目に付いた。 それは白い壁の、王国では一般的な二階建ての民家で、どこまでも白いこの空間の佇まいと相まって港町ハーフェンの街並みを何となく連想させた。
ユリウスがそこを目指して歩き出すと、お馴染みの楽しげな鼻歌が聴こえてきた。
例によって彼の訪問を予期していたのだろうか、その建物の一階部分が見えたと思うと、すぐに白い扉が開いて白いワンピース姿の少女が飛び出してきた。 彼女の名はセイレーン。 この広大な図書館で膨大な量の書籍を分類するためにメナスが作り出した彼女自身の別人格だった。
この空間での時間は、現実の世界とは流れ方が違う。 彼女が誕生して7年間、その体感時間は現実世界の実に600倍に相当する。 その気の遠くなるような時間の中、つい最近ユリウスが訪れるまで、彼女は独り情報を読み解き、分類し、索引を記録し続けていたのだった。
「お帰りなさいませ、マスター」
ユリウスが両手を広げる間もなく少女が胸に飛び込んで来る。 永い永い時間を孤独に過ごす【A・I】の少女── それはふたりの大切な儀式の時間だった。
「どうしたんだ、この家は?」
メナスと瓜二つの少女は、ユリウスの胸に埋めていた顔を上げて上目遣いに微笑んだ。
「最近はよくお客さまをお迎えしますから…… こんなのがあってもいいかな〜って」
「作ったのか? お前が」
「はい、簡単でしたよ? なんて言ったってここは想像の世界ですから」
「そうか…… そんなコト考えもしなかったな」
「うふふふふ。 マスターはお忙しいですから」
そう言いながら少女は、得意げにはにかんだ笑みを見せた。
「ダイニングにキッチン、客間とそれにお風呂まであるんですよ!」
「お風呂⁈ この仮想空間でか……?」
もしこの場所で、例えば睡眠を取ったらどうなるのだろう? 理論上は現実世界を完璧にシミュレート出来る筈だから可能だとは思うが、そんなコトは一度も考えた事がなかった。 すると彼の思考を読み取ったのか、少女が口を開いた。
「ここで眠ると、おそらく現実世界で眠らなくても精神的には充分な休養が取れると思いますよ?」
「そうなのか…… それは便利だな」
もっとも、東方の国の仙人たちの奥義【霞を食む】という技術を体得している彼には、そもそも睡眠は必要無くなっているのだが……
「ところで、今日は何で来たか分かっているのか?」
ユリウスはその質問に、少女の顔が少しだけ曇ったような気がした。
「分かっています。【ドワーフの大洞窟の地図】ですわよね」
「そうだ。 以前ここで手に入れた映像を現実の【記録水晶】に焼いてくれたコトがあったろう? もしかしたら──」
「もちろん出来ます。 多分必要になると思って、いつでも書き写せるように用意してあります」
「流石だな。 本当にお前は有能だよ」
「うふふふふ。 ありがとうございます」
再び少女は嬉しそうに微笑んだ。
「目を開けたらすぐ、マスターの手の平の水晶に『地図』を複製し終わっているよう準備を開始しました」
「そうか、助かるよ」
「もう行ってしまわれるのですか?」
少し視線を落とすと、躊躇いがちに少女が尋ねる。 その表情にユリウスの胸は締め付けられた。
「いや、もし良ければ今日もお茶を淹れてくれないか? それくらいの時間はあるよ」
その言葉に、曇りかけていた少女の表情が花が開くように輝いた。
「少しだけ待っていて下さい! すぐにとびきりのを用意しますからっ」
少女に手を引かれ白い扉をくぐると、そのまま白い家の白いダイニングに案内される。 白いテーブルの白いソファーに座ると、キッチンに向かう少女を見送り彼はゆっくりと息を吐きだした。
程なくして白い湯気の立つティーカップをトレイに載せて戻ってきた少女は、いつの間にか白いエプロン姿に着替えている。 その姿に何故か、ユリウスは既視感を覚えた。
「なぁ、セイレーン…… それってまさか──」
「なにがです?」
白いテーブルの上にティーカップを並べながら、セイレーンが聞き返してくる。 その顔には、心なしか悪戯な表情が浮かんでいるように思えた。
「そのエプロン可愛いな」
カップを並べ終えると、セイレーンは頬を染めてユリウスを見上げた。
「ありがとうございます、マスター」
もしかして彼女は、メナスに対抗心を燃やしていたりするのだろうか? ユリウスには分からなかった。
「なぁ…… そろそろ、アイツを連れて来てもいいかな?」
白いテーブルを囲み、少女の淹れてくれたとびきりのを紅茶を愉しみながら、何気ない風にユリウスは切り出した。 彼女の様子を伺うと、困ったような、はにかんだ笑みを浮かべている。
「やっぱり…… まだ抵抗があるのか?」
「正直…… 自分でもよくわからないんです」
生み出されてすぐにこんな場所に閉じ込められ、独り孤独に永劫の時間を情報の分類だけをさせられている── 人間の基準で考えれば、彼女がその発案者であるメナスを心の底から憎悪していても不思議ではかった。
「憎しみとか、恨みとか…… の感情ではないんです。 私たちは【A・I】ですから、その点は合理的に判断できますし納得もしています。 でも──」
「でも……?」
「どう接していいか、分からないんです…… 私たちは同じ存在であっても、既に全く違う経験と人格を獲得していますから……」
こんな場所で、独り四千年の時を過ごした少女は…… 既に人でも【A・I】でもない何か別の存在になっているのかも知れない。 ユリウスでさえ、そんな彼女をどう扱うべきか未だに確信が持てないでいるのだった。
ユリウスは恐る恐る尋ねてみた。
「いつか、フィオナやルシオラたちもここへ連れて来たいんだ…… それは構わないか?」
「えぇ、ぜひ。 それは私も楽しみです!」
「そうか、それは良かった」
「じゃあその時は、メナスも連れて来ていいかな……?」
その時少女は少しだけ俯いたが、すぐに顔を上げて笑みを作った。
「そうですね、その時は…… ぜひ」
カップを傾け最後の紅茶を喉に流し込むと、ユリウスは対面に座る少女の顔を見た。 セイレーンは既に姿勢を正して、その言葉を待っているようだった。
「それじゃあそろそろ戻るコトにするかな。 お茶、今日も美味しかったよ」
「ありがとうございます、マスター。 またいつでもいらして下さい」
ユリウスは立ち上がると、少女に向かって両腕を広げる。
それはふたりの…… 大切な儀式の時間。
彼が瞼を開くと、その右手には小さな球が握られていた。 それは小さな透明の水晶球で、その中心で虹色の光が揺らめいている。
「それ記録水晶ですか?」
急にユリウスが立ち止まったので、横に並ぼうと近づいてきたメナスが、それに気付いて無邪気に尋ねて来た。
ユリウスは、そんな彼女の顔を横目で見て、微かに笑みを浮かべるのだった。
これで第三章のストックも半分投稿し、残り10話分(+1)となりました 第二章の改稿分を投稿し終えたら続きを書きたいと思いますが、気楽にお待ち頂ければ幸いです




